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奇想の書『百年泥』はこうしてできた――石井遊佳さんインタビュー(中編)

奇想の書『百年泥』はこうしてできた――石井遊佳さんインタビュー(中編)

出版業界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』。

第95回となる今回は、『百年泥』(新潮社刊)で第158回芥川賞を受賞した石井遊佳さんが登場してくれました。

『百年泥』は、「百年に一度」という大洪水に見舞われたインド南東部のチェンナイで暮らす「私」が、水が引いた後の橋の上に残された泥の中から人々の百年間の記憶にまつわる珍品(そして人間!)が掘り出されるのを目撃するというユニークなストーリーと巧みな語りが特徴的な、石井さんのデビュー作。

痛快であり、時にほろりとさせるこの物語がどのようにできあがったのか、石井さんにお話をうかがいました。(インタビュー・記事/山田洋介)

■奇想溢れるデビュー作『百年泥』はこうしてできた

――受賞作の『百年泥』は、語り手の「私」がインドで受け持っている日本語クラスでの奮闘や受け持つ生徒たちについての語りと、チェンナイの大洪水の後に残された泥の中から思いもかけない物品が掘り出されるなどの奇想が入り混じったとてもユニークな小説です。この作品の最初のアイデアはどのようなものだったのでしょうか。

石井:私がチェンナイに住み始めたのが2015年の4月だったのですが、その年の12月にあった、百年に一度という規模の大洪水の時の経験が土台になっています。

確かに雨の多い年ではあったのですが、私はまだ来たばかりとあって「まあこんなものか」と思っているうちに洪水になってしまって、三日間くらい自分の家に閉じ込められて身動きがとれなくなってしまいました。

その洪水が引いた後、アダイヤール川というチェンナイを流れている川にかかった橋の上に膨大な量の泥が残されて、それを野次馬が大勢見に来ているという、小説に書いた通りの光景を見たんです。

その時はただその橋を通っただけで、何かを考えたり思いついたりということはなかったのですが、一方でいつかこの経験を小説に書けたらいいなという漠然とした思いはあって、その後にストーリーを考えたり、思いついたことをメモしたりはしていました。

仕事が忙しかったりして実際に書くことはなかなかできなかったのですが、洪水から一年近く経った頃に数カ月暇になった時期があって、その時にようやく書けたという感じです。

表紙

――石井さんも小説の語り手と同様、インドで日本語を教える仕事をされています。作中の「私」のように生徒に翻弄されながら悪戦苦闘しているのでしょうか。

石井:そうですね。私がやっているのは企業での日本語研修で、勤め先の会社に入ってきた新入社員を相手に日本語を教えているのですが、この小説ではそこで初めて受け持った生徒たちがほぼモデルになっています。

日本だと、学生時代にアルバイトなどを経験して、少しは社会に触れた状態で会社に入る人が多いと思いますが、インドの学生のほとんどはそういうことをしませんから、まったく社会経験がないまま会社に入ってくる。だから本当にまだ「子ども」なんです。

――日本でいうと中学生くらいの感じですか?

石井:社会性という意味では日本の中学生以下だと思います(笑)。しかも私は英語があまりできません。教室では英語を使って何とか授業を説明しようとしますが、生徒の言っていることがよくわからないので、なめられますしバカにされてしまって、最初はひどい状態でした。その時期の描写がこの作品に役立ったので、結果的には良かったということになりますが。

――石井さんはこの作品を通してどのようなことを表現したかったのでしょうか。

石井:自分自身の世界観や人間のあり方といったことでしょうか。それらを言葉の力を最大限に発揮して書いていきたいというのが基本的なモチベーションとしてあります。

今回の小説の最後の方で「どうやら私たちの人生は、どこをどう掘り返そうがもはや不特定多数の人生の貼り合わせ継ぎ合わせ、万障繰り合わせのうえかろうじてなりたつものとしか考えらえず」と書いているのですが、この部分がそれを端的に表現できたところではないかと思っています。

――「不特定多数の人生の張り合わせ」とはどういうことでしょうか。

石井:私たちは自分の人生を自分だけのものだと考えがちですが、実はいろいろな人の人生が自分の中で入り混じっているんじゃないかと私は思っています。

人間は一人で生きるのではなく、人と人が交じり合って生きています。そのことで必然的に存在と存在が交差して、互いが互いの一部になっていく。だから私たちの心も体もたくさんの人の人生がパッチワークのように混じったモザイク状になっているという考えです。

こうした世界のあり方を表現したい気持ちは常にあって、今後書く小説もこの考えが土台になっていくのではないかと思います。

――「輪廻」とはまた別の話ですか?

石井:輪廻というのは、前世、今生、来世と、「私」が何度も生まれ変わっていくという考えですが、そうではなくていろいろな存在がぐちゃぐちゃに交じり合った「私」が瞬間瞬間に生まれては死んでいるという考え方です。

仏教の言葉で「刹那滅」というのですが、生まれては死んでという激しい動きの瞬間を繰り返しながら、無限の過去から無限の未来にかけて業の流れとして続いていく。そのなかの「今この一瞬」というのが私たちの姿、というイメージですね。

もともと仏教の研究をしていたので、小説を書く時にもそのあたりの考え方が自然に出てくるんだと思います。

――なぜ仏教の研究をしようと思ったのでしょうか。

石井:もともと小説を書いては新人賞に投稿するという生活をしていたのですが、小説を書く時って、事前に必要なことを調べて知識を入れてから書きますよね。それまではどんなことでも2、3冊図書館で本を借りて読めば、だいたいのことはわかっていたのですが、何度読んでもさっぱりわからないものがあって、それが仏教だったんです。

わからないからいっそう知りたいという気持ちもありましたし、やはり日本人として生まれたからには、日本人の精神性の根本を知るためにも仏教は欠かせないという思いもありまして、大学に入りなおして勉強することにしたんです。

(後編 ■「ウソを書くこと」に抵抗があった頃 につづく)

(前編 ■芥川賞受賞、インド人上司の反応は? を読む)

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元記事はこちら

デビュー作で芥川賞受賞 インド人上司の反応は?――石井遊佳さんインタビュー(前編)

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