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都心から1時間でアメリカに行ける!?「ジョンソンタウン」は元米兵の町

埼玉にある「アメリカ」!?住民が暮らす観光地【ジョンソンタウン】は元米兵の町
去年は海外に旅行できましたか? 「海外に行きたいな」と思っていても、予算的な問題や時間の都合で、なかなか行けないという人の方が多いと思います。そうなると国内で異国情緒あふれるスポットに出かけるという現実的な方法が出てきますが、どこか近場でいい場所はないのでしょうか?

そこで今回は埼玉県入間市にあるジョンソンタウンというスポットを紹介したいと思います。同地は西武池袋線の入間市駅から徒歩18分ほどの距離にある、アメリカ郊外の暮らしを濃密に感じられるスポット。入間市は池袋から40分ほどですから、都心から1時間で「アメリカ」旅行に出かけてみてください。

 

ジョンソンタウンは米軍の兵士が暮らしていた町

埼玉にある「アメリカ」!?住民が暮らす観光地【ジョンソンタウン】は元米兵の町
埼玉県入間市と言われると、何を思い浮かべますか? 「何も思い浮かばない」「どこそれ?」という人も少なくないと思いますが、入間市は埼玉県南部にある自治体。東京都西部の瑞穂町、青梅市と都県堺を共にしています。狭山茶などの名産品が知られていますが、他の目立った特徴もあります。ずばり、航空自衛隊入間基地ですね。

<計18個の部隊と、そこに従事する約4,300人の隊員を擁する航空自衛隊最大級の基地>(入間基地の公式ホームページより引用)

この基地は戦前の1938年、陸軍航空士官学校の飛行場(豊岡飛行場)として設立され、1945年の敗戦を受けて米進駐軍に接収された歴史があります。接収とは権力機関が必要上、権力を使って他人の所有物を取り上げる行為ですね。

豊岡飛行場はジェラルド・G・ジョンソン有名パイロットの名前をとって、ジョンソン基地という名前に生まれ変わります。米兵たちも最初は基地内に暮らしていたそうですが、次第に住宅が足りなくなり、オフベースとして基地の外に米兵と家族向けの住宅街が作られるようになりました。その町並みが現在のジョンソンタウンの原型になっています。

 

荒廃した町を再生した事業は都市景観大賞を受賞

埼玉にある「アメリカ」!?住民が暮らす観光地【ジョンソンタウン】は元米兵の町
実は筆者の育った町も入間市。土地の古老に話を聞くと、ジョンソンタウンに暮らす米兵はオープンかつフレンドリーで、地域の子どもたちが遊びに行けば、キャンディやガムをくれたと懐かしそうに教えてくれました。

当時の米兵が支払っていた家賃は日本円にして3万円。しかも1ドル360円の時代でしたから相当な収入で、米兵向けの住宅を手掛けた磯野商会は早々に建築費用を回収できたと言います。

しかし、1954年に航空自衛隊が発足し、1958年には入間基地がスタート、1961年に日米共同使用協定が成立し、1978年に基地の全面返還が行われると、米兵が住んだジョンソンタウンも荒廃していきます。

そこで1997年に地元の有志が立ち上がり、再生がスタート。磯野商会と渡辺治建築都市設計事務所を中心に、進駐軍の残した文化遺産を改修・保全して、現在のジョンソンタウンに生まれ変わります。

<戦後進駐軍の住宅を建設し賃貸運営してきた民間会社が、その後の荒廃・スラム化した困難な状態を克服し、「進駐軍ハウス」という文化遺産を改修・保全して、文化的で魅力溢れる住宅地の景観を生み出した価値ある事例である>(都市景観大賞の資料より引用)

として、平成27年度には都市景観大賞を受賞しました。

埼玉にある「アメリカ」!?住民が暮らす観光地【ジョンソンタウン】は元米兵の町
現在では約2.5ヘクタールある敷地に、進駐軍の遺産である24棟の米軍ハウスと、その米軍ハウスを模して作った35棟の平成ハウス、景観に溶け込んだワンルームタイプのフラッツが軒を連ね、独特の景観を作り出しています。

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