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Gargoyleがインディーズバンドの威信をメジャーにぶつけた初期の集大成『天論』

“結成○周年”とか“デビュー○周年”と謳っているアーティストやバンドは基本的には十分に祝福の対象なのだが、さすがに中抜けがすぎると興醒めだ。例え20周年、30周年であっても5年以上活動休止していたりすると、そこは差っ引いて考えたほうがいいのではないかと思う。まぁ、音源や映像作品は工業製品ではないのでコンスタントに出せばいいというものではないし、ライヴに関しても毎年毎年やればいいというものではない。それは分かってはいるが、それでも活動を継続してこその周年だろう。その点で2017年に結成30周年を迎えたこのバンドは本当にすごいと思う。人呼んで“ライヴハウスの帝王”、Gargoyleである。結成以来、ライヴを欠かした年はなく、ここまでの通算ライヴ本数は優に1,300本超。オリジナルアルバムは全17作品で、約2年に1度のペースで発表しており、ミニアルバム、ベストアルバム、シングル、映像作品を含めると、作品リリースを欠かした年はない。それでいて1996年からはメジャーレーベルを離れて、インディーズで活動──つまり、マネジメント、レーベル運営を自らで行なっているというのだから、その孤高の存在感はまさしく“帝王”と呼ぶに相応しいバンドである。
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Gargoyleの楽曲はタイトなリズム、ヘヴィなギターサウンドが中心で、ヴォーカリゼーションはデスヴォイスが多用されているので、その音楽性はスラッシュメタル、あるいはハードコアに分類されるものだろう。ただ、最初期からスローテンポな楽曲やファンク系のダンサブルなナンバーが混在しており、ひと口でスラッシュだ、ハードコアだと言えるものではない。それらの音楽ジャンルとの最大の違いは出で立ちだ。音楽性と出で立ちは関係ないと言うなかれ。METALLICAやMEGADETH、DISCHARGEらを画像検索してもらえれば分かるが、メンバーは概ね長髪で中には派手に立てている人もいるものの、格好はほとんどTシャツにデニム。サウンドはもちろんのこと、ジャケットやバンドロゴも派手はグラフィックが用いられているが、出で立ちは至って地味で、革ジャンとタトゥーがなかったら見た目は案外ごつくない。この辺はスラッシュメタルのLAメタルに対する敵視、対抗心から生まれたものであるそうだが、80年代当時は日本国内でもその姿勢に則ったメタルバンドがほとんどだったという。
そんな中、Gargoyleは濃いメイクに奇抜な衣装で関西メタルシーンに現われた。関東ではX(現:X JAPAN)、関西でもAIONがすでに活動を開始しており、この辺りは所謂シンクロニシティだったのかもしれないが、そのサウンドも出で立ちもド派手な彼らの登場もまた当時のシーンで相当な衝撃を持って迎えられた。とりわけKIBA(Vo)がその歌詞と共に推した和テイストやオリエンタルな雰囲気は、その界隈のみならず、邦楽ロックの新発見とも言えるインパクトの強さで、のちにビジュアル系と言われるシーンに多大な影響を与えたと思われる。
そのオリジナリティーあふれるスタイルでGargoyleは結成直後から関西インディーズで一気に盛り上がった。1989年に発売した1stシングル「蠢(うごめき)」、1stアルバム『禊 (みそぎ)』は即完売。メンバーチェンジが相次いだことや、加入直後のKATSUJI(Dr)がまだ高校生だったこともあって、当初は全国ツアーをすることがままならなかったが、情報の入手先はほぼ音専誌に限られていた時代である。それゆえにGargoyleは“未知なる強豪”として期待値をグンと高めたようで、逆にその名を全国に広めていった。そして、1990年に満を持して発表した2ndアルバム『檄(ふれぶみ)』も好リアクションを記録。1991年には3rdアルバム『璞(あらたま)』をリリースした上、日本青年館、渋谷公会堂でのホール公演を実現させている。音専誌の『LEADERS POLE 1991』なる企画ではインディーズバンド部門の第1位を獲得しているのだが、その時の2位はLUNA SEAで3位がCOLORだったことを考えると、当時のGargoyleの盛り上がりのすごさを分かってもらえるだろうか。
インディーズの奔放さを そのままメジャーへ

そんな絶大なる人気を誇ったインディーズ期を経て、1993年、ついにGargoyleはメジャー進出。もともとGargoyleはメジャー指向が強かったわけではなく──いや、はっきり言えばメジャーへの意識が薄いメンバーもいたのだが、“病床に伏していた父親にメジャーデビューを報告したい”という屍忌蛇(Gu)の想いからそれを決めたという。紆余曲折の末、日本コロムビア・TRIADレーベルと契約し、LOUDNESSやRED WARRIORS、THE YELLOW MONKEYのディレクションを手掛けた名伯楽、宗清裕之氏の元で完成させたのがアルバム『天論』である。それまでインディーズでやってきたことをそのままメジャーでやる──メンバーは『天論』のことをのちにそう振り返ったが、まさしくそういう作品だと思う。インディーズ三部作と呼ばれた『禊』『檄』『璞』で見せた勢いと奔放さはそのままに、1枚のアルバムとしてしっかりとしたトータリティーを持ち、なおかつサウンド面においては間違いなくそのクオリティーをアップさせた、インディーズとメジャーの理想的な邂逅であった。
何が奔放かって、とにかくギターが奔放だ。まず印象的なイントロが多い。そこがいい。M1「審判の瞳」、M2「あめえば らいふ」、M4「雨ニモ負ケズ」、M6「我が闘争」辺りのリフはハードロック、ヘヴィメタルならではのものとも言えるが、ポップさもあり、間違いなくギターが楽曲全体をけん引している。また、その一方で、M9「月下濫觴」のような実に流麗で、聴いていてうっとりしてしまうようなメロディアスな旋律もあれば、M4「雨ニモ負ケズ」やM6「我が闘争」でのシンプルだがしっかりと聴かせるカッティングなど表現は多彩だ。何よりも“表現が多彩”と言うに相応しいのは間奏のギターソロだろう。M2「あめえば らいふ」ではカントリー&ウエスタン調のアルペジオを、さらにM10「破裂願望」ではトルコ行進曲を聴くことができる。まぁ、ELPが『展覧会の絵』を発表して以来、ロックとクラシックの融合は珍しくはなく、トルコ行進曲もそれ自体は驚くほどではないかもしれないが、M2「あめえば らいふ」の間奏は初めて聴いた時はびっくりしたものだ。当時は“よくこんなことを思いついたな”と思ったものだが、その思いは今も変わらないし、当時の創作作業がつくづく自由だった証だとも思う。また、これはギターだけのことではないが、M9「月下濫觴」のCメロでリズムを3拍子に変化させたりしており、この辺りからも当時のGargoyleが悪い意味でのメジャーの枠にとらわれることなく、奔放にレコーディングにしていたことが分かる。
バンドの基本姿勢と新章を描いた歌詞

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