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車内恋愛 #01「私のサンタさんは、ロードスターでやってくる」後編

▲車を舞台にした、小さくて素朴なラブストーリーをお届けします

▲車を舞台にした、小さくて素朴なラブストーリーをお届けしますこのお話の前編はこちら

こんな日に限って……淡くよみがえる恋の記憶

堺さんが選んでくれたお店は、東京カレンダーに出てくるような、女性の憧れそのものだった。

窓からは横浜の絶景。純白のテーブルクロスにキャンドルとクリストフルのカトラリー。

執事のようなまめまめしいスタッフに、自分がお姫様にでもなったような気分だ。次々に運ばれてくる料理は芸術品のような美しさ。

小市民の私なぞが、到底形容できるはずもない高尚なお味。

運転する堺さんには申し訳ないが、シャンパンがただの炭酸水だったとしても酔ってしまいそうな空間だ。

研究熱心な堺さんのことだ。あれこれ調べて選んでくれたのだろう。

今、クリスマスのディナーを楽しむ世界中のカップルの中でも、私は上位1%の幸せ組にカテゴライズされるに違いない。

「すごい」と「美味しい」という貧困なボキャブラリーでしかこの感動を伝えられないのがもどかしいが、堺さんは「気に入ってもらってよかった」と心底嬉しそうに言ってくれる。

博学な彼にとって私の話など面白いはずもないのに、私の稚拙な感想や意見ひとつひとつに驚き、面白がってくれる。

堺さんといると、自分がすごく価値のある人間になったような気がする。

開発者ではない、文系出身の広報の私でもわかるようにかみ砕いて丁寧に説明してくれた、初めて会ったあの展示会で感じた気持ちが今確信となってよみがえる。

この人を選んでよかった……。

食事が済み、車に戻った堺さんがシフトレバーに置いた手に、思わず私はそっと手を重ねた。

手を伸ばせば触れられる距離に好きな人がいることの幸せを、こんな夜だからだろうか。胸にこみ上げてくるものがあって、自然と体が動いていた。

堺さんは、そこに自分の右手を重ねて私の手を包み込むようにして、「行きたいところがあるんですが、付き合ってもらえますか?」と微笑んだ。

遠距離恋愛なんてうまくいくはずがない。そんな周りからの邪揄が最初は腹立たしかった。他の恋人たちは成し遂げられなくても、自分たちは違うと信じて疑わなかった。

距離に負けるほど絆は柔じゃないと信じたくて、「絶対大丈夫」と言ったあの言葉に嘘はなかったと証明したくて、意地になっていた。でも、距離に時間がかけ合わされると、2人を隔てる面積は大きくなるばかりだった。

一度だけ、雄大が車で東京まで来たことがあった。

いくら車好きとはいえ、距離が距離だ。着いた頃にはすっかり疲弊した雄大は機嫌が悪かった。私の狭いワンルームに入るなり、「ここに、人が住めるんか……?」と心底ぎょっとしていた。

車で出かけようにも、勝手知ったる地元と違い、交通量と標識と車線が膨大な都会の道に、雄大はすっかり萎縮していた。

作画:CRO

「俺は、こんな人も車も多いところは無理じゃわ」

この頃には、雄大の気持ちはもう固まっていたのだと思う。

そして私も、この狭くて人も車も異常に多い、だけど何にだってなれそうな無限の可能性を感じさせてくれる東京から離れることはできないと感じていた。

その年のクリスマスが、雄大に会った最後だ。

「おまえ、いつの間にか標準語になっとるね」

雄大のことならなんでも知っていると思っていたのに、その渇いた笑顔は私の知らない誰かのようだった。

「未来予想図は小休止かのぉ」

ちゃかしてみても、その先を描くことはないことはお互いわかっていた。2人乗りしていた自転車が車に変わり、乗っていたロードスターが2回変わった冬に、私たちは終わった。

あのとき、雄大の手を離さずにいたらどうなっていただろうと、クリスマスが巡ってくるたびに思い出した。後悔しているわけではない。未練があるのとも違う。だけどこの日だけは、雄大を思い出さないことはなかった。

車は閑静な住宅街を走っていた。家の明かりが外に漏れ、道をほのかに照らす。

家族で食卓を囲み、チキンを頬張り、ケーキを食べて、子供たちはサンタクロースがくるのを楽しみにしながら眠りに着く頃だろうか。

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