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私は母親失格? 自分に余裕がなく、子どもをかわいいと思えなくなっていた by なないお

f:id:akasuguedi:20171213100723j:plain 前回のエピソード:赤ちゃんの心臓に穴があいている!? 発覚時の不安からその後の成長まで by なないお

母親なのに子供がかわいく思えない。

そう思ったことはありませんか?

私は今までたくさんありましたし、今も時折思います。

母親として失格でしょうか。失格だったとしてどうにか他の手段が選べるものでしょうか。

37歳にして待望の赤ちゃん!

難産を乗り越えての初めての我が子との対面は、ドラマのように感動的で涙が溢れ出すものだと思っていました。

ところが、実際産んでみると正直いって(これがずっとおなかに入ってたんだ・・・うわー、けむくじゃらー、ぶよぶよー)という感想しかありませんでした。

やっとでた!おわった!という感動しかなく、初めて会う不思議な生き物にはなんだこれという興味しかありませんでした。

そりゃそうです、赤ちゃんも産まれたて、母親としての私もその時初めて母になったのです。

出産後はとにかくこの小さな生き物を死なせないようにしなければと必死でした。小さくて今にも壊れてしまいそうな赤ちゃんが、複雑な機能で生きていることが不思議で、夜中に何度も呼吸をしているか、心臓は動いているか確認したものです。

そうしているうちにだんだんとかわいく思えてくるようになりました。じわーっとわいて来るような感覚でした。

うちの娘は割とすんなり寝てくれる子でしたし、第一子のため赤ちゃんのうちはそんなに手がかからずかわいいな~と思いながら過ごすことができました。

しかし、動き出してからが本番でした。

ハイハイしはじめたかと思えばなぜかタンスの上によじ登ってる、下味中の生肉をむしゃむしゃ食べてる、歩き出したら親の所在は一切気にせず一瞬で消える、川を見るとまっすぐ突進していく。車だって気にしません。工具箱からニッパーを取り出し電気コードを切ろうとしたこともあります。

全力で死にに行こうとするのです。この小さな生き物は。

一瞬たりとも目が離せないのですが、そんなことは不可能で、トイレすらもゆっくり入ることが出来ない生活でした。

そんなこんなのうちに第二子の息子の出産、娘は2歳で暴れ盛り。私はもう40歳です。体力的に限界がきていました。数ヶ月続く微熱と原因不明の激しい眩暈ではって子供の世話をする時期がありました。

娘はふすまは貫通させて出入り自由にする、カーテンはレールごとひきちぎる、ベッドで暴れて骨折、外で転んで前歯折る、一切座って食事をすることが出来ない、ダメということも全く聞いてくれません。

もう、子供をかわいいと思う余裕は、全くありませんでした。

この子は私になにかバツでも与えるために生まれてきたのではないかと思えるほどでした。

そう思ってしまう自分に、母親としてダメな人間なのではないか、躾もろくに出来ない自分がいけないのではないか、と毎日自分を責める日々でした。

うちの場合は後々、娘が発達障害という診断をもらうことができ、原因は自分の育て方ではなかったという救いを得るのですが、

振り返ってみれば、子供がかわいいと思えないときは、自分に余裕がない時なのです。

12歳になった今も娘とはしょっちゅうぶつかります。これは発達障害が原因なのではなく、私と娘の相性の問題です。親子といえども一人の人間と一人の人間。別の人格をもつ以上相性があり、血の繋がりがあるから必ずしも相性がよいとは限りません。同じ親から生まれたはずのきょうだいが不仲のことがあるのと同じです。

娘と私はおそらく互いに相性が悪いと思います。それでも家族として大切に思う気持ちはあります。

ぶつかったときは本当にかわいいとはみじんも思えないときがあります。それでも大事な我が子です。かわいいと思う感情と、大切であるというのは別だと感じます。

そうしながらかわいい寝顔を見ながらごめんねと反省する日々です。まだまだ私も余裕が足りません。

理想の母親像を捨てる

親が追い詰められてしまえば、子供にとってよいことなどなにひとつないものだと思っています。

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