体験を伝える―『ガジェット通信』の考え方

面白いものを探しにいこう 本物を体験し体感しよう 会いたい人に会いに行こう 見たことのないものを見に行こう そしてそれをやわらかくみんなに伝えよう [→ガジェ通についてもっと詳しく] [→ガジェット通信フロアについて]

大相撲、いっぱいある世間を騒がせたトラブル・事件

 

横綱・日馬富士が暴行事件の責任を取って引退した。角界は、度々こういったトラブルや事件が起こるので、相撲ファンからすると残念というか、歯がゆい気持ちでいっぱいだ。そこで、昭和・平成で起こった、角界の騒動・事件をいくつかピックアップしてみた。少し詳しめに紹介する。

 

【春秋園事件】(1932年・昭和7年)

明治・大正時代から、力士の待遇改善をめぐり、力士によるボイコット的な事件は幾度か起こっていたが、これは角界最大のクーデターかもしれない。

 

1月場所を前に、関脇・天竜、大関・大ノ里以下、出羽海部屋の西方全関取が、東京・大井町の中国料理店「春秋園」に立てこもり相撲協会の体質改善、力士の待遇の向上を要求、大日本新興力士団を結成する。立てこもった店の名を取り「春秋園事件」と呼ばれるようになる。

 

― 要求したのは以下の10箇条 ―

相撲協会の会計制度の確立とその収支を明らかにすること

2. 興行時間の改正、夏場所は夜間興行にすること

3. 入場料の値下げ、角技の大衆化、枡席を少なくし、大衆席を多くすること

4. 相撲茶屋の撤廃

5. 年寄の制度の漸次廃止

6. 養老金制度の確立

7. 地方巡業制度の根本的改革

8. 力士の収入増による生活の安定

9. 冗員(不要な人間)の整理

10. 力士協会の設立と力士の共済制度の確立

 

よく見ると、力士側がかなり真当な意見を出していると思う。幾度か話し合いが持たれたが天竜サイドは納得せず、当時の幕内と十両の西方関取全員と数人の幕下力士が相撲協会から脱退する前代未聞の事態に発展した。

 

当時の大相撲は今とは様相が違っていた。幕内の取り組みは東西に分かれての団体戦が主で個人優勝はあまり重視されていなかった。東西同じ側の力士仲間での団体戦になっていたため結束が堅かったのだ。

 

この騒動で、番付の西側力士がすべて相撲協会から脱退、同調した東側力士も多くが脱退する事態に。日本相撲協会には幕内が11名、十両が3名しか関取がいないという大ピンチに陥ってしまう。

 

当然このままでは興行が成り立たず、1月14日初日の予定だった初場所を2月22日へ延期。しかし、力士の絶対数が足りず陳腐な取組が多くなり、当時11日間興行が8日に短縮、全日の売上がこれまでの1日分程度にしかならなかったという。一方の脱退側、大日本振興力士団(のちに大日本相撲連盟)も2月に、根岸で旗揚げ興行を打ち、こちらは大盛況だった。

 

ところが、今度は新団体の内部で内紛が勃発。翌年1933年には、元の相撲協会へ戻る力士が多数出る。関西へ拠点を移し、関西相撲協会を設立するも、相撲協会では双葉山や玉錦という人気力士の台頭で人気を盛り返していたため更に多くの力士が帰参した。結局、1937年に新団体は解散する。

 

【柏戸・大鵬 拳銃密輸事件】(1965年・昭和40年)

 

5月場所の3日前、発端は元大関・若羽黒が拳銃を不法所持していた上、暴力団に売買した容疑で逮捕された件から。その数日後、本場所中に、元横綱・千代の山こと九重が拳銃1挺と実弾5発を持って出頭、「弟子から預った」と証言し、九重部屋の現役力士が拳銃を不法所持していることが発覚する。

 

すぐに協会が調査を行うと、なんと二人の現役横綱、柏戸、大鵬が拳銃を所持していたことが判る。今なら即出場停止処分、引退勧告も受けるような出来事だが、二人とも千秋楽まで相撲を取っている。

 

場所後の取調べで、両横綱とも拳銃は隅田川に捨てたと供述。捜索したが発見されなかった。両横綱は罰金3万円の略式起訴処分を受け、この他に九重、豊国、北の富士が書類送検され、一応の解決を見る。とんでもない大事件だが、当時のスポーツ紙は扱いが低く、相撲欄の片隅にひっそり載る程度だった。

 

【双羽黒 暴行廃業事件】(1987年12月・昭和62年)

週刊アサヒ芸能 [ライト版] 2017-11-29 発売号
Fujisan.co.jpより

1 2次のページ
マガジンサミットの記事一覧をみる
  • 誤字を発見した方はこちらからご連絡ください。
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちらから
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。