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なぜ、いくら待っても、ぶぶ漬けは出こないのか?

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なぜ、いくら待っても、ぶぶ漬けは出こないのか?

 松崎有理さんは、作家になる以前、医学系研究所に勤務をしていた。第一回創元SF短編賞を受賞したデビュー作「あがり」にもその経験が反映されていたが、本書『架空論文投稿計画』からはいささか戯画的とはいえ、かなり生々しい研究者の嘆きや苛立ちが伝わってくる。サスペンス仕立ての研究職エレジーだ。

 舞台となるのは北の町にある蛸足大学。主人公は若くして助教授の座についたユーリー小松崎(ロシア系クォーターだが生まれ育ちは日本)。専門はメタ研究心理学である。

 さて、ぼくの少年時代を思い起こしてみれば、アカデミックな研究者は宇宙パイロットと並んで「やりたい仕事」の双璧だった。しかし、大人になってみて知った研究者の実態は、かつて憧れたイメージとは似ても似つかぬものである。知りあいに大学の先生が何人もいるが、みなさんシンドそうだ。研究自体はもともと好きでやっているのだから良いけれど、授業やら採点やら会議やら学内の役割やら、それにともなう事務手続きに書類書きやらで、時間は割かれるし神経はすり減る。また、研究にも先立つものが必要で、その大半は科研費でまかなうのだが、それもおいそれと獲得できない。

 そうした事情は、この『架空論文投稿計画』の巻末に併載されているショートショート「研究者心理におけるパーキンソンの法則──メタ研究心理学者ユーリー小松崎の事件簿」に、端的に描かれている。引用しよう。

(科研費申請の)採用の基準がわからない。書類の中身、すなわち研究のおもしろさを評価していると信じたいところだが、審査員はひとりあたり百件もの申請書類を一週間でこなすらしい。かれら自身も多忙な研究者で、ボランティアである。だから審査員は書類の冒頭三行しか読まないという噂がささやかれている。「申請書執筆マニュアル本まで出ている、しかもたくさん。何冊か買ってはみたが、時間がなくてろくに目を通してない。思えば公募要領だって拾い読みなんだ。本を熟読できるわけがない」 (略)マニュアルどおりに書類をつくったところでかならずあたる保証はない。  日本の古いことわざを思い出す。あたるも八卦あたらぬも八卦。

 身分の保障された研究者でさえ汲々としているのだから、それ以前のポスドク(博士号を取ったものの常勤職につけずに任期つきで契約している研究員)はもっと切羽詰まっている。『架空論文投稿計画』は、業績ほしさに論文の多重投稿をしたのが発覚し自暴自棄になった高齢ポスドク男が、高層ビルから油揚げをばらまく事件からはじまる。

 事件の背景を知った小松崎は、研究職をめぐる構造的な不備があると感じ、問題点をあぶりだすべく大胆な実験を試みる。知りあいの作家・松崎有理に協力してもらい嘘の論文をでっちあげ、学術誌に投稿しようというのだ。

 その嘘論文第一号が、「島弧西部古都市において特異的に見られる奇習”繰り返し『ぶぶ漬けいかがどす』ゲーム”は戦略的行動か?──解析およびその意義の検証」。内容はいうまでもなく、長居する客を婉曲に牽制する「いけず」な慣習についてなのだが、図解や表、参考文献など、論文としてのもったいぶった体裁がキチンと整っているだけに、かえってオカシイ。おそらく、物語の部分よりもこの嘘論文の作成に、ものすごい手間がかかっているはずだ。ディテールの凝りかたが半端じゃない。

 もちろん、これが実験に基づく研究発表などではなく、まったくのでっちあげだということは、素人目にも明らかだ。しかし、あにはからんや、これが中堅の専門誌『数理と進化』に採用されてしまった。事態は小松崎が想定していたよりもずっと深刻のようだ。ボランティアの査読に代表される性善説、つまり研究者どうしが間違いをチェックしあうシステムがもはや機能していない。

 小松崎・松崎コンビはつづいて「経済学者は猫よりも合理的なのか?──”反据え膳行動”を通して判明したもっとも合理的な生物とは」、「”借りた本に線を引くひと” とはどんなひとか──書きこみされた図書館蔵書における網羅的研究からこころみた人物プロファイリング」、「おやじギャグの社会行動学的意義・その数理解析」など、タイトルからしてインチキだとわかる嘘論文を繰りだしていくのだが、驚くことにことごとく採用されてしまう。

 ふたりは適当な時期にすべての手の内を世間に明かし、問題点の告発をおこなう算段だったが、そのまえに事態が思わぬ方向へと転がりだしてしまう。まず、彼らが投じた嘘論文を引用したマジ論文を書く研究者があらわれる。さらには、論文投稿上の重大な違反を取り締まる、謎の自警組織「論文警察」が跋扈しはじめる。そのうえ、嘘論文の仕上げを依頼した代書屋トキトー──彼は同じ著者の別な作品『代書屋ミクラ』のサブキャラクターでもある──が代金を厳しく要求してくるので、小松崎が得ている科研費は目減りする一方。立ち往生する小松崎に、蛸足大学の同僚である黒野クロエ(彼女は社会学の准教授で母親がフランス人)が議論をふっかけてくる。彼女は敵か? 味方か? 

 物語は怒濤の終局へとなだれこむのだが(SF的な大仕掛けもあるが論文警察の正体にかかわるため、ここでは伏せておこう)、そのあいだも嘘論文はたゆまず書かれつづける。「比較生物学から導かれる無毛と長寿との関係──はげは長生き?」「『ねえ、太った?』は存在証明機会──代数的構造抽出による容姿からかい行動対応策の検討」「経験則『あらゆる機械は修理を依頼した直後になおる』現象の検証──機械故障にかんする大規模調査」……。

 そしてトリを飾るのが「架空論文投稿実験──その顛末と、研究世界の未来にたいする提言」。はたして小松崎・松崎コンビは、自分たちが広げるだけ広げてしまった風呂敷をうまくたためるのだろうか?

(牧眞司)

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