福島第一原発事故 避難区域の現実と酪農家の苦悩

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福島第一原発事故 避難区域の現実と酪農家の苦悩

 2011年3月に発生した東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故は、世界でも類を見ない規模となり、周辺の自治体の住民は避難を余儀なくされました。

 そこで問題となったのが、そこに残された動物たちの存在です。ペットだけではありません。酪農を営んでいた家も多く、牛たちが取り残される事態となりました。住民が退避してしまったあとゴーストタウン化した町を、犬や牛たちがさまよい歩く映像を、ニュースなどを通して観たことがある人も多いでしょう。

 被災したのは私たち人間だけではなく、動物たちも同じ。石巻で動物保護の支援を行うNPO「アニマルクラブ」代表の阿部智子さんが執筆した『動物たちの3.11』(エンターブレイン/刊)は、3・11以後の被災地の動物支援の現場をつづった一冊。ここには、避難区域に指定された浪江町の実情も語られています。

 9月末、阿部さんは福島を訪れ、今は仮設住宅で暮らす浪江町の酪農家の夫婦から生き残った牛が次々と処分されている現実を聞きます。その方法は安楽死と言われていましたが、夫婦は「安楽死なんかじゃないよ。死にきれなくてなくて鳴く声は、今までに聞いたことのない苦しい声だよ。その声、なんべんも聞こえてきた」と阿部さんに伝えます。
 酪農家さえも入れさせてくれなかった避難区域では、おびただしい数の牛が餓死しました。
 長い時間をかけて動物たちを苦しませて、最もむごい死を与える。阿部さんは、「マスコミなどで、取り残された家畜の惨状が公表されて批判の声が上がったから、殺して終わりにしようというのでは施策としても稚拙すぎます」と批判します。もっと早い時期から酪農家やペットを残してきた人々と話し合い、情報を開示して危険回避をはかれたはずですし、ボランティアにどんな協力を頼みたいかを明確にし、動物たちを救済する対策を模索すべきだった。そう指摘をします。
 また、酪農家の妻は、阿部さんが帰る頃になってようやく口を開け、4月22日以降、一切入れなくなってからは、飢えているだろう牛たちのことを思い出して、のどが詰まってご飯が食べられなかったことを告白します。そして、7月になってようやく一時帰宅できたとき、牛舎をチラッと見ると足を広げて死んでいる姿が見えて、中に入ることができなかったと語り出しました。

 手塩にかけて育てた牛たちをおいての避難。無念と虚しさ。人間が起こした大失敗によって、多くの無実の動物たちを死に追いやる結果となったのはまぎれもない事実です。

 『動物たちの3.11』では動物たちを通して東日本大震災の現場で起きた事実が描かれています。また、動物支援活動とはどのようなものなのか、動物保護団体やシェルターの活動における課題なども垣間見ることができます。
 本書の中には一部、目も背けたくなるような動物の写真も掲載されています。しかし、それが被災地で起きた現実なのです。
(新刊JP編集部)



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