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ロックがロックだった頃、熱いパフォーマンスを繰り広げたエレクトリック・フラッグの『ア・ロング・タイム・カミン』

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以前、このコーナーで『フィルモアの奇跡』という作品を取り上げたことがある。そのアルバムはアメリカの誇る名ギタリストのマイク・ブルームフィールドと才人アル・クーパーのセッションライヴを録音したものであったが、フィルモアのライヴ以前にマイク・ブルームフィールドの結成していたスーパーグループがエレクトリック・フラッグである。60年代の後半、ブルームフィールドは米ロック界で最も注目されていたアーティストのひとりで、68年にリリースされたデビュー作の本作『ア・ロング・タイム・カミン』は、全米チャート31位と思ったよりも振るわなかった。しかし、これだけ熱いロックアルバムはそうはない。ロック史に残るこの名グループが、今ではすっかり忘れられているので、思い出してもらおうと取り上げることにした。
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ポール・バタフィールド・ ブルースバンド登場の衝撃

67年に結成されたエレクトリック・フラッグは、スーパーグループの名に恥じないすごいメンツが揃っている。ギターはマイク・ブルームフィールド。彼の名前が知られるようになったのは、65年にポール・バタフィールド・ブルースバンドでデビューしてからのこと。彼の地元はブルースの本場として知られるイリノイ州シカゴで、中学生の頃からブルースマンたちとセッションしていたのだから筋金入りとも言えるミュージシャンである。シカゴ時代に知り合った友人たちは優れたプレーヤーが多く、ポール・バタフィールドをはじめ、バリー・ゴールドバーグ、チャーリー・マッセルホワイト、エルヴィン・ビショップ、マーク・ナフタリン、ニック・グレイヴニッツら、おそるべき精鋭揃いである。
60年代半ば、ポール・バタフィールド・ブルースバンドの勢いはすごかった。イギリスではジョン・メイオールやヤードバーズなど、シカゴスタイル(電気楽器を使ったブルース)のブルースロックグループの人気が高かったのだが、ブルースの本場アメリカで白人がシカゴブルースをやることは少なく(黒人のブルースが聴けるから当たり前なのだ)、その中で本物のブルースフィールを持ったポール・バタフィールド・ブルースバンドが登場してきたのだから、イギリスのミュージシャンたちは驚愕しただろう。
マイク・ブルームフィールドの 情感溢れるギターワーク

中でも、マイク・ブルームフィールドの情感あふれる粘っこいギターに国内外から大きな注目が集まり、60年代中頃から終盤にかけて、アメリカでもっとも脚光を浴びたギタリストのひとりとなった。ポール・バタフィールド・ブルースバンドでデビュー後、ニューポート・フォーク・フェスでボブ・ディランのバックメンとしてもザ・バンドの面々とともに参加している。また、ディランの転機となったアルバム『追憶のハイウェイ61』(‘65)にも全面的に参加し、世界的な名声を得る。しかし、セッション参加は別として、本業のポール・バタフィールド・ブルースバンドの多すぎるツアー疲れから、グループを脱退することを決めるのである。その頃、ロックの中心は西海岸にあり、彼もまたサンフランシスコに移り、67年に気心の知れたミュージシャンとエレクトリック・フラッグを結成するのである。以降も『フィルモアの奇跡』(’68)、『スーパー・セッション』(‘68)など、ロック史上に燦然と輝くアルバムに参加、常にロックシーンの最前線で活躍していた。
彼のギターワークの特徴は、ブルースの粘っこさとロックの熱さを併せ持っているところで、ブルースだけでなく、カントリー、R&B、ジャズなど、さまざまなアメリカ音楽に精通している厚みのあるプレイにある。ただ、若い時からドラッグに蝕まれ、ライヴのドタキャンなどで問題を起こすことも少なくなく、81年に残念ながら37歳の若さで亡くなっている。
エレクトリック・フラッグの 凄腕メンバーたち

マイク・ブルームフィールドが新バンドを組む上でコンセプトとしたのは、管楽器を大胆に取り入れたブルースとR&Bがベースのロックグループであった。それに応えられるミュージシャンは当時少なかったはずだが、キーボードのバリー・ゴールドバーグ、ヴォーカルのニック・グレイヴニッツ(彼らふたりはシカゴ時代から黒人音楽にどっぷり浸っている盟友たち)、それに加え、60年代初頭からスタジオミュージシャンとして活躍していたベースのハーヴェイ・ブルックス、そしてジミ・ヘンドリックスのグループにいたドラムとヴォーカルのバディ・マイルスという文句なしの凄腕のメンバーたちが集まったのである。
ゴールドバーグとブルックスは、ブルームフィールドとともにディランの『追憶のハイウェイ61』で共演しているし、グレイヴニッツはバタフィールド・ブルースバンドに曲を提供する敏腕ソングライターであった。彼はジャニス・ジョプリンの『パール』(‘70)で、彼女が亡くなったためにインストで収録せざるを得なかった「生きながらブルースに葬られて」の作曲者として有名だ。唯一の黒人、バディ・マイルスの重戦車ばりの重いリズムとヴォーカルも、ブルームフィールドの思い描く理想のサウンドを具現化するのにはもってこいであった。
本作『ア・ロング・タイム・カミン』 について

まず、彼らはロジャー・コーマン監督のB級映画『ザ・トリップ』(‘67)のサウンドトラックでデビューする。これは、映画音楽としての取り組みなので割愛する(かなりサイケデリックなサウンドで、グループ本来のサウンドではない)。本当のデビューは、67年のモンタレー・ポップ・フェスとなる。フェスのステージでは話題となったのだが、フェス直後に発売されるはずのデビューアルバムがメンバーのドラッグ問題で大幅に録音が遅れ、タイミングを逃してしまったことでマネージャーのアルバート・グロスマンは激怒したらしい。
それでも68年の3月に本作『ア・ロング・タイム・カミン』はリリースされ、当時はもっとも初期のブラスロックという評価がされていたのだが、これはブラスロックではなく、サザンソウルのホーンセクション的な使われ方であることは一目瞭然である。ただ、この時点でサザンソウルがアメリカ西海岸で一般的でなかったことを考えれば、68年の時点でブラスロックだと言われたことも今なら理解できる。少なくともエレクトリック・フラッグのホーン導入が、ブラスロックグループのBS&Tやシカゴに影響を与えたことは間違いなさそうである。
このアルバムはブルースと南部R&Bのサウンドを中心に、ホーンセクションが軽快なグルーブを醸し出す中、ブルームフィールドの粘っこいギターワークが冴え渡る展開となっている。ポップな曲もあるのだが、ブルームフィールドのギターが絡んできた途端、ブルースになってしまうところに彼の半端でない個性が窺える。それにしても、これほど黒っぽいグルーブ感を持ったロックグループは他にないだろう。少なくとも、アメリカ以外のロッカーには決してマネのできないサウンドであることは間違いない。アルバムの中で9分近い「Another Country」では、サイケデリックロック、ジャズロック、ラテンロック的な試みも披露していて、今聴いても彼らの演奏能力の高さには驚かされる。
グループのその後

実質、エレクトリック・フラッグは本作だけと見ていいだろう。翌年に2ndアルバム『An American Music Band』がリリースされたが、すでにブルームフィールドとゴールドバーグは脱退(体調不良が原因と思われる)し、バディ・マイルスが仕切ることになる。このアルバム、音楽性もそんなに変わっていないし決して悪くはないのだが、僕としてはブルームフィールドがいないエレクトリック・フラッグは考えられないというのが本音である。ブルームフィールドはドラッグの悪癖もあって、グループを継続することが難しかったようだ。
グループを脱退してからは、前述の『フィルモアの奇跡』や『スーパー・セッション』などのセッション作に参加するのだが、どちらも欠席する日があって、カルロス・サンタナやスティーブ・スティルスらに代役を立てるなど、健康状態の悪いことが多かったようだ。
ただ、74年になってエレクトリック・フラッグの再結成アルバム『The Band Kept Playing』がリリースされていて、これは名盤に仕上がっているので、機会があればぜひ聴いてみてほしい。もちろん、ギターはマイク・ブルームフィールドが復帰して弾いてます♪
TEXT:河崎直人
アルバム『A Long Time Comin’』
1968年作品
 (okmusic UP's)

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