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介護職が感じる仕事としての介護と家族介護の違い

第一次産業が主だった昭和の時代に比べると、現在は「自宅と職場」が分けられ、家族と過ごす時間も減少傾向になってきています。同時に超高齢社会となり、家族の中に介護を必要とする人が発生する確率も高くなってきています。それは介護を職業とする人の家族も例外ではないのです。

「正子さん」の話

私が小さい頃から一緒に暮らしていた秋田生まれの正子さん。孫からすると絵に描いたような「優しいおばあちゃん」。が、大正時代から戦争を生き抜いてきただけあり、孫への教育はワイルドな一面もありました。仙台で雑貨屋、クリーニング店を営んでいましたが、店をたたみ、その後胃がんで胃の三分の一を切除しています。地域の友人たちと公民館に集まり、時には交通機関を乗り継いで踊りを習いに行くなどアクティブシニアの側面もある人でした。

そんな正子さんがはじめて介護サービスを利用し始めた時、孫は介護教員になっていました。

「介護教員」から「正子さんのお孫さん」へ

元気な正子さんも加齢や骨粗鬆症、何度かの転倒、アルツハイマー型認知症の診断もあり、デイサービスだけだったケアプランに他のサービスも増えていきました。これまで介護施設の中では「介護福祉士・ケアマネ・介護教員」だった筆者が「ご家族」「正子さんのお孫さん」と呼ばれる側になり、目の前の景色が反転した感覚に新鮮さを感じたものです。

介護職の視点と家族の視点、この2つをバランスさせることができれば良いですが、もちろんそんなに簡単にいくわけもなく…

家族を介護する

初めて正子さんの身体介助(移乗)をした時、少し戸惑ったことを覚えています。加齢で痩せてきていることは知っていましたが、筋力も可動域も自分の知っている正子さんではなかったのです。なんでも理解している孫のつもりが、意外なほど正子さんの身体状況を知らないことに気づいたのです。

そして正子さんに「自分のおばあちゃん」というどうしようもなく当たり前の存在感があることで、これまで仕事の時間内だけ介護をしてきた利用者さんたちとの世界観と小さい頃から長い時間を一緒に過ごしてきた正子さんとの世界観が交錯して「おばあちゃんが要介護状態になった」という現実が視界の中に鮮明に現れてきたのです。

認知症になった正子さん

正子さんはアルツハイマー型認知症の診断を受けました。私個人の反応は「あ、そうなんだ」程度だったと記憶しています。周囲ではやはり「認知症」という言葉に過剰な反応をする人や悲観的な言葉を口をする人もいましたが、認知症を持つ人たちとの関わりが多かった自分としては特にこれといった感情の乱れはありませんでした。

今思えばこれまで自分と関わってくれた認知症の方々の存在があったことで救われていたのかもしれません。「認知症の正子さん」も「風邪を引いた正子さん」も「秋田生まれの正子さん」と全て同じ個人であって「認知症」だけを特別に考える必要が全くないことも、身をもって実感した瞬間でした。

誰?

某介護施設に入所した正子さん。入所からしばらくは面会に行ってもすぐに私を認識してくれていましたが、ある日「誰?」とこれまで仕事中に数千回は聴いた言葉をストレートに投げかけられました。ショックというより面食らったという方が正確かもしれません。「これがこれまで関わってきたご家族が経験した感覚なのか」と気づかされました。

介護職の仮面を脱ぐ

正子さんの面会に行くと、いろんなものが目につきます。おそらく介護職をされている方は面会者になった時、皆同じように「いろんなもの」が気になるでしょう。スタッフの動き・声がけ・施設の環境…仕事柄どうしても目についてしまう部分があります。(気になりすぎる場合は施設スタッフに質問することもありました、面倒な面会者だったかもしれません)しかし、そういった部分に気を取られすぎるあまり、一介護職としてのペルソナが強くなる時間を過ごしてしまっていました。その結果、孫として正子さんに会いに来ているのに、帰りの車では「あまり話せなかったなぁ」と振り返っていました。

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