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南部のローカルソウルを一挙に世界に広めたオーティス・レディングの名作『オーティス・ブルー』

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このコーナーで紹介しているアルバムは、僕自身がリアルタイムで聴いたものが多いけど、今回紹介する作品は50年以上前にリリースされているだけに、残念ながら後追いで聴いたもの。70年代前半、関西のアマチュア・ロックシーンはブルースとサザンソウルのバンドがめちゃくちゃ多かった。その火付け役となったのが、アレサ・フランクリンやオーティス・レディングであった。アレサは以前に取り上げたので、今回は極めつきのサザンソウルシンガー、オーティス・レディングの『オーティス・ブルー』を紹介する。本作は全米R&Bチャートで1位を獲得、ロックフェスに登場して大喝采を浴びるなど、オーティスの名が世界に知れ渡るきっかけとなった名作中の名作である。
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モータウンソウルとメンフィスソウル

60年代前半、ロックがまだロックンロールであった頃、アメリカで大きなヒットを飛ばしていたのはモータウンレコードに所属するソウル歌手やグループ。モータウン所属のアーティストはバックミュージシャンも含めて黒人ばかりで、R&Bやブルース色をあまり出さないポピュラー音楽っぽいソウルであった。それは白人のマーケットを意識しての戦略だったわけだが、北部在住の黒人や白人層に見事にはまり、大ヒットを生み出し続けていた。デビュー間もないビートルズやローリング・ストーンズらがカバーすることで、モータウンの洗練されたサウンドはイギリスでも喝采を浴びていた。
ただ、アメリカは広く、都会よりは断然田舎のほうが多いわけで、田舎の黒人や白人にとっては、モータウンはあまりにもポップすぎた。そんなわけで、南部を中心とした一般大衆はもう少し地味な、教会などで演じられるゴスペルっぽいサウンドを必要としていたのだが、そこで登場してきたのがテネシー州メンフィスに拠点を置くスタックスレコード。スタックスレコードは南部の田舎のリスナーをターゲットにしたインディーズレーベルであり、モータウンと比べると、よりアーシーでゴスペルライクな泥臭いソウルミュージックを提供していた。また、スタックスの特徴は黒人と白人の混合で音楽作りをしていたところにあった。メンフィスソウル(サザンソウルと言い換えても良い)の魅力は、ゴスペル臭さを中心としたソウルであることは間違いないのだが、カントリー的なサウンドの要素も持ち合わせているところにその良さがあったのだ。
ゴージャスさが魅力のモータウンと シンプルさが魅力のスタックス

モータウンにはマービン・ゲイ、ジャクソン5、スプリームス、テンプテーションズ、スモーキー・ロビンソンなどの大スターがいて、全米レベルのセールスを誇っていたが、それとは対照的にスタックスにはどえらい歌唱力を持ったシンガーがいた。それがオーティス・レディングである。ただし、スタックスは弱小レーベルでもあり、当初はアメリカ南部でのみ知られる渋い歌手に過ぎなかった。しかし、64年にヴォルト(スタックスの傍系レーベル)から初のアルバムをリリース、大手レコード会社のアトランティックがスタックスを配給することになってからは、全米市場が見込めるようになる。ルーファス・トーマス、サム&デイブ、ウィリアム・ベル、ジョニー・テイラー、エディー・フロイドなど、モータウンの煌びやかさはないが、ヒット曲を複数持つ南部ソウルのスターたちが登場してくる。
関西的なスタンスのサザンソウル

60年代半ばのサザンソウル黎明期、スタックスからリリースされたレコードは関西(大阪と京都)で絶大な支持を集め、ソー・バッド・レビュー、サウス・トゥ・サウス、スターキング・デリシャス、激突モモンガ・パート2など、サザンソウルを模したグループが次々とロックシーンに登場し、70年代中期のライヴハウスで大人気となる。当時、日本全国レベルでサザンソウルが受けていたわけではないと思うが、ブルースを別にすれば、関西のロックシーンにおいてはサザンソウルのグループやシンガーが抜きん出て人気があった。それは何故か。おそらく、サザンソウルのテイストが関西の雰囲気にぴったり合っていたからだと思うのだ。都会的なモータウンは東京っぽくて、泥臭いスタックスは大阪的なのである。
先にイギリスで火が付いたオーティス

アメリカ南部、ジョージア州出身のオーティスは、リトル・リチャードとサム・クックを手本にしながらも、泥臭くて魂のこもった歌唱で勝負したサザンソウルのクリエイターである。62年にバラードナンバーのシングル「These Arms Of Mine」(Volt)でデビュー、味わい深いサウンドで、当時すでにサザンソウル的な片鱗を見せているのはさすが。64年には自身初のアルバム『Pain In My Heart』をリリース、その圧倒的な歌唱力でソウル界のみならずロック界でも大いに騒がれた。特にイギリスではビートルズやストーンズがオーティスのすごさについて語ったおかげで、アルバムはチャートの上位に食い込んでいる。65年に『Sings Soul Ballads』と『Otis Blue』の2枚を、66年に本作『Otis Blue』をリリース、どれも甲乙付けがたい名作で、その人気はどんどん広がっていく。とはいってもまだアメリカ南部とイギリスであったが…。
一夜にしてスーパースターに

さて、彼の人生が一変する事態が起きる。67年、オーティスはカリフォルニア州で開催予定の最初期のロックフェス『モンタレー・ポップ・フェスティバル』への参加を要請されたのである。ヒッピー文化が盛り上がっていた時期だけに、20万人以上のオーディエンスが集まり、バーズ、ジェファーソン・エアプレイン、ママス&パパス、アニマルズ、グレイトフル・デッドら、当時大人気のアーティストがこぞって出演している。出演者の多くがすでにスーパースターであったが、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、オーティス・レディングの3組はニューカマーで、このフェスの壮絶なステージングで3組とも夜が明ける頃にはスーパースターとなっていた。中でもオーティスは黒人、ほぼ白人ばかりの大観衆の前で歌うのは初めてのことで、かなり緊張したようだが、ここでも圧倒的な歌唱力を聴かせ、大いに受けた。
そして…

一夜にして全米に知られることになったオーティスであったが、その半年後の67年12月、飛行機事故によりツアーメンバーのバーケイズのメンバーとともに死去。まだ26歳の若さであった。思えば、このフェスでスターになったジャニスとジミヘンも、ともに1970年に27歳で亡くなるという奇妙な偶然があった。オーティスの死後リリースされた『The Dock Of Bay』(‘68)は初の全米1位アルバムとなったのだが、この作品は死の3日前にレコーディングされた文字通りの遺作である。その後もアルバムのリリースは続くが、アウトテイクやあまり出来の良くないライヴなどで、オーティス最高の歌唱が聴けるのは、生前のそれも初期の4〜5作品に限られると思う。
本作『Otis Blue』について

僕がオーティスの最高作(この意見がもっとも多いかも)だと思うのは、やはり本作『Otis Blue』(‘65)である。彼が師匠と崇めるサム・クックのカバーが3曲(内緒だけど、どれもオリジナルより素晴らしい)、オーティスのオリジナルが3曲、他はソロモン・バーク、ウィリアム・ベル、スモーキー・ロビンソン(モータウン!)、B.B・キング、ローリング・ストーンズの曲を取り上げている。全収録曲はどれも文句の付けようがなく、特に「Respect」「Change Is Gonna Come」「I’ve Been Loving You Too Long」といった彼の代表曲は震えるほどの名唱。本作は“人類の宝”と言っても過言ではない名作中の名作だと思う。
アルバムのバックを務めるのは、ブッカーT&ザ・MG’s。彼らはアメリカ南部を代表するミュージシャンで、映画『ブルース・ブラザーズ』でも活躍していたので、知ってる人も多いだろう。ベーシストのドナルド・ダック・ダンは、2012年に日本でのスタックス公演のために来日し、残念ながら宿泊していた東京都内で亡くなっている。
オーティス・レディングを聴いたことがないという人がいれば、この機会にぜひ聴いてみてほしい。100年にひとり出るか出ないかのシンガーなので、聴けばきっと心を動かされるはず♪
TEXT:河崎直人
アルバム『Otis Blue』
1965年作品
 (okmusic UP's)

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