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最高のアメリカンロック・グループの ひとつ、トム・ペティ&ザ・ハートブ レイカーズの代表作『破壊』

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この10月2日、心不全で亡くなったばかりのトム・ペティ。彼はパンクやテクノといった流行には無縁の、無骨なロックンローラーだった。死ぬまでディランとバーズを愛し続けた彼の音楽スタイルは、80年代中期に登場したオルタナティブカントリーやアメリカーナ系のアーティストに大きな影響を与えたが、彼がいなければアメリカのロックシーンは違うものになっていただろう。今回は追悼の意を込めて、彼の出世作となった3rdアルバム『破壊』を紹介する。
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ディランズ・チルドレン

60年代に登場したボブ・ディランはアメリカのポピュラー音楽界において、まさしく巨人と呼ぶに相応しい存在であり、ビートルズと並んで20世紀のポピュラー音楽界を代表するアーティストである。だからこそ、ディランに影響されたミュージシャンは数多く、ザ・バーズ、ブルース・スプリングスティーン、エリオット・マーフィー、サミー・ウォーカー、デヴィッド・ボウイ、ルー・リード、スティーヴ・アールなど枚挙にいとまがない。
ディランズ・チルドレンと呼ばれる彼らはディランの歌い方だけでなく、政治的なスタンスやライフ・スタイルも似ている場合が多く、ボブ・ディランというひとりのアーティストが音楽ジャンルになっていると言っても過言ではない。というか、50年代のエルビス・プレスリーと60年代のボブ・ディランこそが、アメリカのロックを開拓し、70年代以降のアメリカ音楽シーンを創り上げたとも言える。
ザ・バーズのアメリカンロックへの 大きな貢献

中でもザ・バーズはディランの代表曲のひとつである「ミスター・タンブリンマン」(‘65)でデビュー、ディランが編み出したフォークロックを一般のポピュラー音楽ファンに浸透させ、フォークロックというジャンルを世界的に広めたイノベーター的存在であった。アメリカ西海岸の音楽シーンにおいてバーズの影響は大きく、73年に解散するまで、フォークロック、アシッドロック、カントリーロックなど、後のアメリカンロックへとつながる基礎を築いていく。一世を風靡したクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、イーグルス、リンダ・ロンスタット、ジャクソン・ブラウンらの音楽も、その基盤にはバーズの生み出した音楽があり、そしてそれらのルーツにボブ・ディランがいたのである。
アメリカンロックの王道を行く トム・ペティ

トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズがデビューしたのは76年。当時、パンクロックとAOR、フュージョンが人気を集めていた頃なのに、ペティの音楽は無骨なまでのストレートなアメリカンロックで、日本で聴いている音楽ファンは少なかったと思う。あまり宣伝をしなかったせいもあるだろうが、スプリングスティーン、エリオット・マーフィー、ボブ・シーガーら、ディランズ・チルドレンでかつ王道のアメリカンロックを演奏するパフォーマーたちがすでに存在していただけに、似たようなサウンドを持つペティの存在感は薄かったのだ。
しかし、アメリカ人は王道のアメリカンロックが大好きであり、似たようなグループがいくつかあっても、アメリカ国内ではそれなりに売れていたようだ。デビュー作『トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ』は1年ぐらいかけて先にイギリスでヒット、その後アメリカでもロングセラーとなっている。彼らが在籍していたのはシェルター・レコードで、この会社はレオン・ラッセルとデニー・コーデルが設立し、ラッセル人脈のアーティストをリリースするマニアックなレーベルであった。マイナーなロックが好きな僕にとってみればシェルターは名盤の宝庫であり、今でも地味だが好きな作品が多数ある。ポップなアメリカンロックのペティが在籍していたのは少し不思議であったけれど、信頼するレーベルに所属していただけに彼の名前は記憶に残った。この作品には彼らの代表曲というだけでなく、アメリカンロックの代表曲のひとつとして知られる「アメリカン・ガール」が収録されている。2000年代に入ってもテイラー・スイフトやシュガーランドといったアーティストがカバーしている名曲だ。
続いて、78年にリリースされた2ndアルバム『ユア・ゴナ・ゲット・イット!』は、前作よりもシャープなサウンドで全米23位まで上昇、世界中の若者がパンクロックに夢中になっていたが、やはり彼らの音作りはシンプルかつキャッチーなアメリカンロックであった。これはもう不器用と呼ぶ以外にないと思いつつも、その潔さにどこかリスペクト感も抱いていた。驚いたのは、このアルバムではペティのヴォーカルがバーズのリードヴォーカリストであるロジャー・マッギンに似ていたことだ。知らずに聴いていれば、マッギンの新譜だと思っただろう。それぐらいペティの歌はマッギンそっくりであった。
どういういきさつかは分からないが、2ndアルバム以降、ペティのヴォーカルはどんどんマッギンへ傾倒していく。ペティの師匠にあたるマッギンも、77年にリリースした5枚目のソロ『サンダーバード』で、ペティの「アメリカン・ガール」をカバーしているのが面白いところ。また、ペティがリッケンバッカーのギターを使うのはマッギンの影響であるし、マッギンがリッケンバッカーを使うのはビートルズからの影響である。
本作『破壊』について

そして、79年にリリースされ、全米チャートで2位を獲得したのが3rdアルバムの本作『破壊(原題:Damn The Torpedoes)』である。アルバムのリリースまでに、シェルター・レコードがメジャーレーベルのMCAに買収され、それを嫌がったペティはMCAを相手に訴訟(契約解除を要求して)を起こすことになるのだが、最終的には和解しMCA傘下のバックストリート・レコードから出すことになった。この作品でもペティのヴォーカルはマッギン風であるが、マッギンの声でディラン風に歌うという新たなスタイルも披露している(「ヒア・カムズ・マイ・ガール」)。
アルバムの出来は素晴らしく、ハートブレイカーズ名義のスタジオ録音作品としては最高ではないかと思う。特に3曲のシングルヒット(「危険な噂(原題:Don’t Me Like That)」「逃亡者(原題:Refugee)」「ヒア・カムズ・マイ・ガール」)はどれも文句なしにカッコ良いし、メロディーも良い。そして、アルバム最後を締め括る「ルイジアナ・レイン」は、ボニー・タイラーのために書いた曲で、僕の中ではペティの最高の曲の一つだと思う。90年代のオルタナカントリー的なサウンドで、アメリカンルーツロックの代表的な一曲である。ディランズ・チルドレンとしての面目躍如といったところかもしれない。本作はこれまでの2作にはなかった重厚さのあるアメリカンロックに仕上がっていて、イギリスっぽいポワーポップの香りもするところが特徴だろう。
ハートブレイカーズのギタリスト、マイク・キャンベルとキーボードのベンモント・テンチの本作でのプレイは秀逸で、彼らふたりの力量が本作の価値を高めているのは言うまでもない。彼らは現在も多くのセッションやプロデュースをこなしていて、特にアメリカーナ系の作品においては欠かせない人材となっている。
ペティの死

10月2日、自宅で心不全の状態で発見されたのだが、9月の末あたりまで、ハートブレイカーズ結成40周年のワールドツアーを元気に行なっており、スケジュールを見るとかなりハードな日程なので、過労死ではないだろうか。今月、10月20日には彼の67回目の誕生日を迎えるはずだった。アメリカンロックの世界で大きな業績を残したトム・ペティの冥福を祈りたいと思う。
TEXT:河崎直人
アルバム『Damn The Torpedoes』
1979年作品

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