体験を伝える―『ガジェット通信』の考え方

面白いものを探しにいこう 本物を体験し体感しよう 会いたい人に会いに行こう 見たことのないものを見に行こう そしてそれをやわらかくみんなに伝えよう [→ガジェ通についてもっと詳しく] [→ガジェット通信フロアについて]

『結果が出ない時』に意識すべき「たった一つのこと」―野球解説者・森本稀哲氏インタビュー

f:id:junko_one:20170920113816j:plain

もりもと・ひちょり

1981年1月31日生まれ。 東京都出身。小学校1年生の時、汎発性円形脱毛症を患い、髪の毛を失った。帝京高校野球部の主将として第80回全国高校野球選手権大会に出場を果たす。1999年、ドラフト4位で日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)に入団。2006年から2008年まで3年連続ゴールデングラブ賞、07年にはベストナイン賞を受賞するなど、06年、07年のリーグ連覇に貢献した。横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)、埼玉西武ライオンズを経て2015年に現役引退。現在は野球解説や講演活動などを行う。

森本稀哲氏

日本ハムファイターズ時代には、2006年、07年の連覇に貢献。

新庄剛志選手らとの賑やかなパフォーマンスでもファンを沸かせた。

2015年に現役引退。

不振に苦しんだ時期も長かったが、明るい「ひちょり」選手であり続けた。

強いメンタルを保つ秘訣とは?

引退するまでの2年間、野球人生をやり直すことができた

プロ野球人生のスランプといえば、2006年、07年と日ハム(日本ハムファイターズ・当時)がリーグ連覇した後のことを思い出します。控えから這い上がってレギュラーとって、「日ハムを常勝チームにするんだ!」というエネルギーが、目標を成し遂げたことで枯れてしまったんですね。それだけ07年の優勝は壮絶でした。前の年に新庄(剛志)さん、小笠原(道大)さん、岡島(秀樹)さんたちスター選手が抜けて、07年は名も知れない選手が多かった。そのため、あまりクローズアップされない年ですが、ものすごくいいチームで。打率はシーズン当初、リーグ最下位でした。なのに優勝してしまうんですから、まさに最強のコストパフォーマンス(笑)。まるで漫画みたい。僕が理想としていたチーム力のある、本当の意味での「強い」チーム。理想としていた勝ち方ができたシーズンでした。

08年も、5月に左手小指を骨折するまでは調子よかったんですよ。でも休んで治るのを待っている間、ふっとね、緊張がほどけたんです。怪我が治っても不振が続いて、その年は自身最低の成績で終わりました。僕には心のスキがあったんです。問題は、なんで心のスキが生まれたか。

それは、「自分に余裕ができたから」だと思います。チームは2年連続のリーグ優勝。加えて、個人的にも年俸が1億3000万円まで上がり、CMにも出て、世間に注目され、勘違いもしました。怪我が治ればレギュラーに戻れるだろうという慢心もありました。野球ってメンタルが7割か8割、技術は2割か3割くらいのものだと思います。結局、心が体を動かす。心のコンディションを崩したら以前のようには活躍できません。2軍での試合ではよく打っていたのに、1軍で同じピッチャーと対戦するとかすりもしない、ということがありますが、それと同じ。変わったのは自分の心以外、何もないんです。

慢心からあらためて野球に真摯に取り組めるようになったのはなぜか。うーん。やっぱり人は学ぶんですよね。調子がいい時って、悪いことは1つも言われないんです。でも結果が出なくなると、ファンもチームメイトもフロントも裏方さんもガラッと変わる。今まで当たり前だったことができなくなる。レギュラーだったら許されていたことが許されなくなるんです。そこで気づくことがたくさんあります。

その後、自分から希望し、FA(フリーエージェント)で横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に移籍しました。そこからの3年間は、ほんとに苦しくて。結果を出したくても出せない。でも、苦しみながら自分は何をしなきゃいけないか、と考えたんです。僕にとっては、全力で走ること。思いつく限りの準備をすること。野球選手にとって基礎中の基礎ですよね。でも基礎って調子がいいときほど忘れがち。本当は、調子がよくても悪くても常にそういう気持ちが大事なんだなと考えられるようになったのは、スランプがあったからなんです。

全力で走ること、準備を怠らないこと。これさえできればあとは「なるようになる」と思える、どんな結果になっても受け入れられるんです。横浜では戦力外通告を受け、その後、テスト生から埼玉西武ライオンズに入団し引退するまでの2年間、僕は野球人生を「やり直せた」という感覚があります。皆さんに納得してもらえる結果ではなかったですけど、「引退」を僕が受け入れられたのは、そういう“準備”があったからなんです。

若手には若手の、ベテランにはベテランの盛り上げ方がある

気持ちが腐ったこともありますよ。特に2013年、横浜(ベイスターズ)での3年目はキャンプの時から2軍で。開幕直後には中畑清監督に「夏までは2軍で頑張ってくれ」と言われた。これはきつかったですね。別の真意があったのかもしれませんが、「4カ月間、絶対に一軍に上がれないのか」と感じてしまいました。3年契約の3年目、僕にはあとがないのに頑張る機会も与えられないなんて。

でも、これほど勉強になった年もありません。あの時僕は「そもそもなんで横浜にきたのか」と考えたんです。もちろん結果を残すためになんですが、それ以外に、何か横浜にいいものを残していきたい。だったら1軍に上がれなくてもそれで終わりじゃないですよね。苦しい状況のなかでも練習する姿を後輩たちが見ているかもしれない。後輩が調子を崩した時、今の僕の姿を思い出してくれるかもしれない。そんな気持ちで、自分を鼓舞していました。夏の横浜は暑かったですけど、手を抜かず、より全力で走りました。

それに役割分担もあると思うんです。若い選手がチームの中心としてみんなを引っ張ろうとしても無理ですし、逆にベテラン選手がガムシャラにやっても「ほかにやることあるでしょう」となる。

僕が日ハムでレギュラーになる前は、チームのことより自分のことで必死でした。前のバッターが初球から打ちにいってアウト。普通だったら、数球見逃して球筋を見ますよね。でも僕はそんなときでも初球からガンガン振りにいった。それが僕のスタイルだったし、その時には僕の元気は、そういう形で見せるしかなかったんです。でも僕がベテランになって、同じ状況で初球を打ちにいくかといったら、それは考えないと。若い人には若い人なりに、ベテランにはベテランなりに、今その時の自分にしかできないことがあります。そういう自分の立ち位置のなかで、出せる力を出し続けていく。それができれば、どんなチームにいってもチームに溶け込めるし、チームを盛り上げていける。チームに貢献するってそういうことだと思います。

1 2次のページ
リクナビNEXTジャーナルの記事一覧をみる
  • 誤字を発見した方はこちらからご連絡ください。
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちらから
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。