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身体拘束体験記~自由を奪われた24時間~

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精神科医療、認知症介護の場面など身体拘束が行われるケースのいくつかは現在でも存在しています。最近は拘束を受ける当事者だけでなく、現場で働く介護者・看護者の努力や苦悩が語られる機会も増えてきています。身体拘束を行うためには下記3つが要件とされています。
切迫性
非代替性
一時性

しかし、まだまだその3つに当てはまらない拘束が存在しているのも事実です。実際に、とある介護施設でもそういった状況に出くわしました。さて、今回はスピーチロック・ドラッグロック・フィジカルロックとある中で、フィジカルロックを中心に、実際に「自分で体験した」記録を手記の形でお送りします。読み物として捉えていただければ幸いです。

動機

6%。当時何かの資料で見た「病院で働く介護福祉士の数」がそれだった。僕が勤務していた精神科病院でも、もちろん(といっては語弊があるが)身体拘束をされている患者さんが多かった。若手の介護・看護数人でよく話題に挙がったのが「身体拘束は正しいのか」。議論を重ねても答えは出ない。理由は簡単で、「されたことがないのでよくわからない」からだった。

ベテランの先輩たちの多くは「当たり前でしょ、危ないし暴れるし。縛らないで死んじゃったらこっちの責任なんだから」と無表情で患者さんを縛っていた。ただ、普通に観たらやはり異常な光景であることは間違いない。じゃあやってみよう、というのが理由である。シンプルだがふざけていたわけではない。至極真面目に「身体拘束」を体験しようということになった。それはむしろ自然なこととしてそこにいた全員が受け入れていたように思う。そうして準備は始まった。

体験開始

古く暗い病棟はいかにも精神科というイメージの閉鎖病棟、簡素な個室にベッドだけが置いてあり、鉄の扉に強化ガラスと鉄柵に覆われた部屋。そこに入った僕は鍵付きツナギ、布オムツ、ミトン、手抑、足抑、胴抑をつけてベッドに背臥位(※)になる。もちろんベッド柵は4つ付けられていて、それぞれがベッドに縛り付けてあるのでどう頑張っても取ることはできない。

自分の体を見ようにも頭をちょっと上げるくらいしかできないから、よく見えない。緊張はするが最初は意外と楽観的だった。

こうして24時間を「目安」とした身体拘束体験は始まった。

※背臥位(はいがいい)…仰向け(あおむけ)に寝た姿勢のこと

体験から現実へ

開始からしばらくすると「屈曲できる関節がほとんどない」ことに気づく。曲げられないと思うほど曲げたくなる。なんだろう……気持ち悪い、この感じが。焦燥感というか、なんとも言えない不快感が関節から喉元に向かって流れ込んで来る。脚を伸ばせない狭さの映画館で、観たくもない純愛ストーリーを観せられているような気分の悪さが、延々と続くことになる。

だんだんと「体験中」の意識が消えていく。いつしか普通に「自分は何故病院で縛られているんだ」と思い始めていた。強制的に自由を奪われるということは混乱しか生まない。廊下から聞こえてくる話し声や笑い声、それが耳に入るたびにイライラしてきて、不特定の誰かに対する憎しみが増していく。

例えば「今日の晩御飯」なんて話をしながらこの部屋に入ってきた人が抑制帯を外そうものなら暴力を振るっていたかもしれない。もちろんその後は後悔もするだろうが、縛られている間はそんなことに気が回らないものだ。自由を奪われた人間の選択肢はそんなに多くない。

数時間経過

息が苦しくなってきた。

胴抑のせいなのか分析する余裕はなかった、でもとにかく苦しい。胸の上に何か重いものをズシンと乗せられているような、ちょうど金縛りにあった時に感じた重さと似ていた。「これは金縛り?」と思ったけれど、そんなことはすぐにどうでもよくなった。とにかく呼吸を整えないとどうにもならない。

苦しい、これは本当にやばいんじゃないか?しばらく自分の呼吸と格闘していると少し眠気がやってきた。どのくらい時間が経ったのかわからないが、疲れてはいる。全身を脱力させてリラックスしよう、それが一番楽なはずだし、上手く行けば眠ってしまえる。
無理だった。

落ち着けば落ち着くほど自分が縛られていることに意識が向いていく。無意識に寝返りを打とうとすると抑制帯がその存在を誇示してくる。このまま眠るのはなかなか厳しい。抵抗を続ければそのうち疲れ果てて眠りこける時がやってくるだろうが、それがいつかはわからない。息苦しさとはこの後もしばらくご一緒することになる。

体の異常

日常生活で自分の尊厳なんていうものを意識する機会はまずない。おそらく最低限の尊厳が常に保たれていたからだろう。

フラストレーションと身体中の関節から生まれる気味の悪い違和感に困り果てていると、だんだん吐き気を催してきた。理由はわからない。精神的なものといえばそうなのかもしれないし、抑制された結果なのかもしれない。吐き気はどんどん強くなる。

気持ち悪い…吐きそうだ。「あー気持ち悪い」を何度呟いたかわからない。こんな体制で嘔吐したらどうなるか?予想できる結果はどれも歓迎できないものばかりだ。そんな想像をすると余計に吐き気を催す。体を起こしたい、起こせば楽になる。力づくで手抑を引きちぎろうと試みる。逆効果。目眩もして余計に「えづいて」しまう。

布オムツ

「気持ち悪さ」と「息苦しさ」が同時に、波のようにやって来る。唯一ある程度動かせる顔の向きを変えたり、ミトンの中の指を動かしたりと「できそうなことを全部」やってみる。何が効いたのかはわからないが、吐き気はいつしか消えていた。ただもう一つの問題はそのまま残っていて、そろそろそいつと向き合わなければならないこともわかっていた。

学生時代、紙オムツへの排泄体験をしたことはあったが、布オムツは経験がない。ギリギリまで我慢すればもしかしたら我慢できたかもしれない。ただ、身体拘束をされている状態では先のことを考えるのが難しい、また吐き気が襲ってきたら、この息苦しさが増強してきたら。不安はひとつでも解消しておいた方がいいに決まっている、方法がひとつしかないことも理解できる。その方がいい、それが正しい選択だ、と何度も頭の中で唱える。

腹圧をかけられず、自分でコントロールすることもできないまま起きる排泄、布オムツの表情が変わる。ひとつが解決したような、そうでないような、「終了感」が凄い。

この不快感から逃れようとできる限り身体を浮かせてみる。疲れる。

感覚

だんだんと感覚は狂い始める。不定期に起こる目眩と息苦しさで疲労が溜まる。なんで自分はこんなことになっているのだろう?と我に帰ることもあるけれど、廊下から楽しそうな雑談が聞こえてくるとやはりストレスになってイライラとして来る。共にこの体験を企画した同僚が稀にチラッとだけ様子を観に来る、何かを訴えようとしても何をどう伝えたらいいのかよくわからない。

そのうち、同僚は戻って行ってしまう。布オムツに排泄した「まま」になっていることも対人関係の構築に影響を与えていたのかもしれない。

長い時間拘束をされていると、落ち着く時間もある。奇妙なほど冷静で、論理的思考が帰って来るのがわかる。陸の見えない海でひとり、木切れに掴まって漂流しているような不安から、なんとかこの抑制帯を抜け出してドアを開けるまでのプロセスを考えてみる。人を呼ぶにも何か動かすにも人間はつくづく道具がなければ何もできない生き物だということを実感して、結局は何の結果も出せない。

また焦燥感が生まれてくる。痺れ、暑苦しさ、痒さ、苦しさ、イライラ、疲れ…様々なものが入れ替わり立ち替わりやってくる。眠るにも眠れない。ぐるぐると目眩が続き、乗り物酔いに似た吐き気が止まらない。息苦しさは胸と喉を締め付ける、せめて身体を起こしたい。

24時間後

時間の概念がよくわからなかったが、同僚がやってきて終了を告げてくれた。長い間吐き気と格闘してすっかり気が滅入っていた。むしろ動く気が起きない。同僚は知的好奇心から「どうだった?」と質問を投げてくるが、なかなか答えることもできず、「あとで」と一言返すのが精一杯だった。

抑制中のイライラがある時間帯だったら違った返答をしていたかもしれない。抑制が外れた後もすぐに身体を動かすことは出来ず、立ち上がってシャワーを浴びに行くまでに随分な時間がかかった。この体験中は顔の近くまでストローを伸ばして水分が摂れるようにしていたが、あまり飲んでいない。固形物は何も口にしていなかった。

ずっしりとした疲労感でとぼとぼ歩いて患者さんのところへ行くと、やはり当たり前のように身体拘束をされている。一体どうやってこの人たちはこの日常的な拘束に適応しているのだろう、いや、ずっと苦しんでいるのだろうか。認知症だから、精神疾患だからなんともないなんてことはありえないように思う。

今回は抑制帯もきつめに設定し、人が来ない状況を人為的に作り上げた上での体験だったが、そこまででないにしろほとんどの自由がない状態には変わりない。

とにかく、こうして身体拘束体験は終了した。

おわりに

今回の身体拘束体験記はあくまでも自分個人の主観になっています。拘束の是非を問うよりも、余計なことは抜きにして「身体拘束を体験した記録」というだけに留めておきたいところです。人間の尊厳をボロボロにすることが十分に可能なものであることは間違いないでしょう。

身体拘束が行われている現場で働く各職種は、実際に暴力を受けることもあります。それが元で仕事ができなくなるケースも多々ありますが、CVPPP(包括的暴力防止プログラム)等の技術も取り入れ、医療・福祉職は精一杯努力しています。ただ、諸外国では身体拘束が減ってきているのも事実です。ケースによることは当然として、学ぶべきところは学んで行く必要はあるでしょう。

もし身体拘束体験をされる場合は、様々なケースを想定して十分安全に配慮して行ってください。

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この記事を書いた人

軍司大輔

前介護福祉士養成校学科長。介護療養型医療施設等で介護福祉士として従事した後、介護教員となり、現在は地域での介護事業に携わっている。介護職ネットワーク「ケアコネクト」代表として認知症勉強会や情報交換会を開催。国家試験実技実地委員、実務者研修・初任者研修・福祉用具専門相談員講習講師の他、介護福祉士養成校・各種試験対策講師を務める。教育と臨床の両面から地域で活動する。HR/HMギタリスト。

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