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私たちの終わらない夏 『テキサスタワー』

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テキサスタワー

1966年8月1日、テキサス大学周辺。私たちはいつもと同じような日常を過ごしていた。ある女子学生は授業の間の移動時間に恋人と会話し、ある少年は従弟と一緒に自転車で新聞配達に向かい、ある警察官は休憩に出ている途中で、ある男子学生は寮の一室で友達とゲームをし、ある男性は大学内の生協で働いていた……時計台からの無差別狙撃、後に「テキサスタワー乱射事件」として記憶される事件が起きるまでは。

 

あの日、何が起きたのか。どんな人がそこにいたのか。ロトスコープ(実写映像をベースにしてアニメーション映像を作り上げる技法)による「再現アニメーション」と当時の映像・音声等の記録、そして実写での関係者インタビューによって語りなおされる「そのとき」の物語。

 

Netflixの日本上陸がもたらした大きな恩恵として、これまでには気軽に観られなかったドキュメンタリー映画の秀作が観やすくなったという点がある。特に今回紹介する『テキサスタワー』の、ドキュメンタリーの未来をぐっと広げるような「このやり方でしか不可能な地平からドラマを再現する」手法は圧倒的だ。アリ・フォルマン監督の『戦場でワルツを』(『テキサスタワー』はこの作品のような私的な/幻想的なトーンは控えめだが「起きていることの現実味のなさ」という点では共通している。「月の光」にのせて描かれる<突撃>のシーンは『戦場でワルツを』のショパンを思い出さずにいられなかった)からさらに一歩進んだ「アニメーションと実写の融合でしか達成できないリアリズム」の可能性を見せてくれる作品だ。

 

当時のニュース音声や映像・写真という「記録」、アニメーションによる当時の「再現」、実写での「インタビュー」という3つの素材が入り乱れるこのドキュメンタリーは「何が起きているか誰も把握できないまま、この銃声が永遠に終わらない気がする」「現実味がない」「できなかったことへの罪悪感」というあの事件の場にいた人たちの感覚を体験させる映画であり、だからこそ凄まじく恐ろしい。特に、事件の概要について情報を入れずに観ていると、よりこの「誰が生き残り、誰が死んでいてもおかしくない」状況の生々しさは強烈な体験だ。アニメーションで身振り手振りを交え饒舌に当時のことを語っている、その本人が事件の途中から生存してなくても「語らせる」ことができる技法を使っている映画ならではの恐怖。

 

犯人像には極力触れず、この映画はただひたすらに「あのときの現実味のなさ」を再現していく。実際には残っていない「事件直後のインタビューとしての関係者映像」をアニメーションとして交えていく、というこの技法でしかできない景色の見せ方で。どこからかはわからないけどあちらのほう、と見上げて指さす人、無邪気に武装して駆けつける市民、その間にも倒れていく人。じりじり焼けた真夏のコンクリートの上に流れる焼け付きそうな汗と血。感情によって色彩が変わる背景。撃たれた者のシルエットは赤く染まり、ただ無機質に崩れ落ちる。意識が遠のいていく人物の輪郭線が、ぐにゃりと乱れていく。

 

技法こそ違うものの、この作品のアニメーションパートで私が連想したのは、広島の原爆が描かれた日本のアニメーション『ピカドン』だった。もちろん題材も違えば表現方法も全く違う作品だが、「穏やかな日常風景」からの唐突な変化、一瞬で破壊された後の終わりのない地獄、暑い夏のイメージ、そして「その瞬間」が近づいているのを観客が知っていながらどうすることもできない、しかしそれは確実に起きるという絶望と焦燥が「起きたこと」への無力感として残る作品だということ、と不思議に重なるものを感じた。(そういえば『ピカドン』にも僅かながら「現在」の加工された写真にアニメーションが合成される部分がある。)

 

今作において、観客の絶望感・無力感はやがて「登場人物が抱いた感情」とシンクロしていく。実際に撃たれた被害者、あの場に居て物陰から見えていたものが忘れられない学生たち、非常事態に声が乱れたニュースキャスター、タワーに突入した警察官たち皆の「もしあのとき、こうしていたら……でも、わからない、本当にわからない」という声が重ねられていく痛ましさ。そのうえであの日、「終わった」キャンパスに立ち尽くす呆然とした市民たちの様子の実際の映像は強い印象を残す。

 

あの日のことが何もなかったように、またすぐにキャンパスは「日常」を取り戻した、けれど私たちはまだ、あの夏から自由になってはいない……。

 

素晴らしいのはこの映画は作品を「あの日の絶望の記録」にして終わらせてはいない点だ。この映画は最終的に「その日」の恐怖や哀しみ、痛みを描くとともに、なぜドキュメンタリーとして作られなくてはならなかったのか、という点を強く意識させるものになり、「語りたくなかった、けれど忘れられたくはなかった、だって私たちはそこに居たのだから」という当事者たち一人ひとりの思いが丁寧に掬い取られていく。絶望的な事件の中で、誰もが恐怖に立ち向かっていた。特別に勇気のある人は確かに存在したし、それは素晴らしいことだ、しかし「居合わせたこと」自体が彼らの苦しみであり被害者に優劣などない、という視点が貫かれている。

 

作り手が犯人像を空想するよりも「居合わせた人間の感情/それぞれの視点からの真実」だけにリーチしようとする誠実さが、技法の新しさに溺れず、特別で丁寧な「映画」として今作を完成させることができた最大の理由なのかもしれない。

 

※Netflixで配信中

 

【予告編】

 

【視聴リンク】
https://www.netflix.com/title/80103666

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