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「ガバナンスとひとり一票」 弁護士 久保利英明氏 第五回経済戦略構想セミナー全編書き起こしです。

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硬派経済ジャーナリスト磯山友幸さん主催の第五回経済戦略構想セミナーが開催されました。
今回の講師は弁護士の久保利英明氏。日本の政治機能不全、オリンパスや大王製紙問題、さらには東電問題。バラバラに見えるこれらの問題の根っこは同じでガバナンスの仕組みを理解していないことに根源的な問題があるそうです。 

講演動画全編は下記
http://www.tokyopressclub.com/2012/03/blog-post_07.html

日本崩壊の原因はガバナンスの崩壊
■ガバナンスがない日本国
今、この国と、この国民全体が、間違いと言いますか、大変な状況にあるのではないか、と思っています。そのすべての原点が、実は「ガバナンス」ということを考えていない、ということです。「ガバナンス」※というのは、他人がやってくれる話ではなくて、自分が「ガバナンスをやるぞ」という思いが必要なのです。
※「ガバナンス」一般的に組織や社会に関与するメンバーが主体的に関与を行なう、意思決定、合意形成のシステムのこと。
そういう意味で、企業においてはこれまで散々問われてきましたが、「国はどうなっている?」と考えると、実は「一人一票の格差がある」「一人一票等価値とは言えない」となっています。
これは企業よりももっとひどいガバナンスであり、例えば株主総会で、一株、一単元株持っている人が、一票持っていないということと同じことで、あり得ないことです。黄金株という特別なものはありますけれど、これは全部定款に書かなければなりません。ということは、国に置き換えるならば憲法に書かなければいけないことになります。
アメリカでは、上院議員の場合は「どんなに小さな州であっても二人選びますよ」ということが憲法に書いてありますから、各州で選ばれる議員数が人口比になっていなくてもいいわけです。
日本では、憲法でまさに「国民が選ぶ」ということになっているにもかかわらず、その国民には等価値の投票権は与えられていない状態であり、現状もまったく正されていないのです。
この「一票の格差」について争われた裁判において、最高裁判所の判断は「選挙は無効」とは言ってはいません。しかし、少数意見では一人だけ、宮川判事(2012年2月退官)が「『今度は無効にするぞ』ということまで書くべきだ」という反対意見を書きましたが、単独少数意見で終わってしまいました。その結果、次の選挙でも無効にはしないのだろう、という風潮になり、国会での論議も動きが悪い状態です。
私は、ちょうど二十年位前から企業のガバナンス、コーポレートガバナンスということを言ってきました。しかし、いくらコーポレートガバナンスがないと言っても、株主総会で一単元持っている株主に、一票をやらないという、そんな企業は滅多にありません。まず日本では、ほとんどない。そう考えると、国のほうがひどい、という気持ちになるわけです。
企業においては、本来「主権在株主」というものであったのが、実態は、株主総会が情報開示もなければ、一人ひとりの株主が本当に真面目に考えて役員選任をしないということから、「主権在社長」というような企業になっていきます。
国においては、「主権在官」ということになっていて、「主権在民」というのはどこかに行ってしまい、その意味で、日本及び日本人、日本国並びに日本企業、その全体が「ガバナンスがない」というのが、今の諸悪の原因なのではないだろうかと思っています。
■主体性のない日本人
企業法務をやってきた私が、たまたま「一人一票」、この重さの違いというものを突き詰めていくと、国家ガバナンスの問題というふうに考えました。そうすると、それはむしろ国家が、企業が、という問題より、日本人が悪いのではないかとところに行きつきます。
日本人の主体性のなさ、自分が中心になって何かをやっていくという動きがないこと、これが本当は原因ではないかと思うのです。
今の日本人には会社(国家)における主権者意識というものがまったくなく、そして選ばれた取締役(議員)たちも、内部者の慣れ合いであり、その慣れ合いにもたれ合っています。すなわち、自立した市民精神というものが、今の日本に欠けているのではないかと思うのです。
振り返ってみれば、明治時代、日本の人口はわずか三○○○万人でありました。その三○○○万人の中で、中村正直が訳した『西国立志編(セルフ・ヘルプ)』が一○○万部売れています。福沢諭吉の『学問のすゝめ』は三○○万部売れました。当時十人に一人が『学問のすゝめ』を読んでいたことになります。しかし、例えば磯山友幸さん(経済ジャーナリスト)が「現代ビジネス」というインターネット雑誌で書かれているコーナーの読書率が三○万人といいますが、一億二五○○万人もいて、たった三○万にしか読まれない。そういう国なのです。ということは、「この国の国民は劣化しているよね」という感じがしました。
■ガバナンスとマネジメントの役割分担
もう一つの原因は、ガバナンスの問題を考えていく上で、誰が監視・監督者であり、誰が業務執行を行う人か、この役割分担というものについて理解していないということもあると思います。次のページをご覧ください。この図は大きく言えばガバナンスの図ですが、狭い意味で言いますと、上の赤い逆三角形、これがガバナンスです。コーポレートガバナンスで一番問題になるのは、この逆三角形の部分です。一方で下の青い三角形の部分がマネジメント、すなわち業務執行ということになります。
上に立っている赤い逆三角形の一番下の尖がった部分は、圧力がギリギリとかかってきます。そこにいるのが代表取締役社長であって、ガバナンスにおいては「一番苛められる係」になります。
どういうことかと言いますと、株主が一番上にいます。株主から取締役や監査役が選ばれて、その人たちが代表取締役に対して「こうするんだよ」と言い、まさにガバナンスを上からやっていくわけです。この人たちは所有者ですから上から目線でいいわけです。そうする権利がある。すると代表取締役社長は「分かりました。ではこのガバナンスの中でやっていきましょう」ということになり、下の青い三角形のほうで業務執行取締役に「こうやれ」、執行役員に「こうやれ」、部長に「やれ」、課長に「やれ」、社員に「やれ」……というように言っていくことになります。これはマネジメントの部分です。
この図の意味が日本人は分かっていないのではないかと思うのです。そして、これが国家だったらどうなるのでしょうか。国民が一番上にいて、国会議員を選び、国会議員が首相を選びます。首相はこの図で言うならば、代表取締役社長のところに位置することになり、これが内閣というものをつくって行政を行います。したがって、下の三角形は行政になるわけです。本来はそういうスキームであるはずなのですが、そうなっていない。
また、会社においてまったく取締役のガバナンスが効かない状態というのは、株主に選ばれた社内取締役や業務執行取締役が、同時に下の青い三角形の中では、社長の家来の業務執行取締役になっているからです。そうすると、マネジメント部分では代表取締役の家来である人が、ガバナンスでは突然偉そうに言えるでしょうか? 普通の人間はなかなかできません。しかし、日本のガバナンスシステムは、そうなっています。だから、「社外の人をたくさん入れましょう」ということになるわけです。
社外取締役は業務執行しませんから、これはマネジメントの取締役とは同一人物ではないわけです。社外取締役をたくさん入れて、兼務する人はできるだけ少なくしよう。それがアメリカ型であり、業務執行取締役の長である代表取締役社長というのはCEOとしてマネジメントに入っていきます。COOまで入る会社もありますが、大抵二人ぐらいです。
そういう中で同一人物が上にいってみたり、下にいってみたりという、ナンセンスなことは止めるというのが、ガバナンス改革であったはずなのですが、それがまったくできていません。この二つの三角形の組み合わせというのをしみじみと見ると、日本のガバナンスが効くわけがないのです。
日本の政治のガバナンスというのは、本来ならば、この株主というのを国民と置き換え、社外取締役などを国会議員と置き換えれば、絶対に効くはずなのですが、今それが効いていない。
その理由は、会社のガバナンスとは違う理由があるのではないかと思い、最近話題のいくつかの事件を見直してみたところ、おおよそ見えてきた実態があります。
東京電力の問題、オリンパスの問題、大王製紙の問題。これを取り上げ、最後に国のガバナンスに触れ、「主権在民」ではなく「主権在官」になってしまった理由は何なのかを紹介していきます。
ガバナンスがなかった東電・オリンパス・大王製紙
日本人と日本
オリンパスの元CEOであるウッドフォード氏に会い、お話を聞いたことがあります。
彼は大変日本人が好きで、「自分は実は生粋のイギリス人ではなく、おじいさんは(お父さんもそうかもしれませんが)マレーシア人だ」と言いました。彼はマレーシアで生まれ育ち、その時にいつもお祖父さんから聞いていたのが、「日本の軍隊のトップの人たちは立派だ」ということだそうです。お祖父さんは、そのトップの人から貰った日本刀を持っていて、「日本人というのは、いざという時、これで腹を切るのだ。シンガポールで虐殺をしたとか言われたけれども、そんな人種ではないのだ」ということを一生懸命語ってくれたため、彼は日本人をすごく尊敬していたということでした。
だから彼がイギリスで勤めていた会社が、日本のオリンパスに買収されても辞めませんでした。「日本人が上司になってくれるのはむしろ良いことだ」と思い、日本企業のために粉骨砕身働いてきて、彼は二○一一年の四月に社長になります。ところが、十月一日にCEOになった時に、「思いきりドラスティックにやりたい」と考えていたところに、偶然あの情報が入ってきて、「これは何なんだ」と誰に聞いても、「お前は知らなくていいことだ、関係ない」と言われたそうです。いろんな人に聞いても、誰も教えてくれない。
企業として非常に重要なことなのに、誰も関わろうとしないことに業を煮やした彼は、「あなたは一体何のために働いているのだ」と聞きました。彼としては「オリンパスの会社のためだ」、「日本のためだ」、「オリンパスの株主のためだ」などの答えを期待していたところ、「菊川のために働いている」と言われてしまったそうです。
そのとき彼は、これまで抱いてきた日本人に対するイメージとは違う人種ということを理解すると同時に、もっと正々堂々として、いざという時に腹を切るという、それが日本人だと思い尊敬してやってきた結果、「そんなものなのか」と愕然としたそうです。
そして、彼はクビになってしまいます。しかし調査をさせたところ、その結果はやはりおかしいという結論が出てきてしまった。
「自分としては黙っているわけにはいかない。もしそこで、唯々諾々としていれば、それは彼らと同じになってしまう。菊川氏のために働く雇われの外国人に過ぎず、それでは自分の名誉というものはなくなってしまう。第一そんなことを続けていても長続きするはずがなく、必ず捕まるだろう」
ということを、彼は僕の眼をじっと見て言うわけです。「なんとかして、こいつを社長に戻らせてあげたいな」と思いました。
それから彼は一生懸命に日本の機関投資家たちのもとへ出向き、臨時総会に株主としての提案権を出したいので、その時に同意してくれるか、という話をして回ります。
私には、そういう状況になった時に、社外取締役としてオリンパスの社員になることを同意してくれるか、という質問がありました。私は、外国人株主だけの同意でやって、みすみす負けるというのなら、ちょっと考えさせてくれと言い、しかし日本の投資家も含めて、本当に株主の立場の人たちが、オリンパスの経営陣とは別に何かをしたい、こういう風にやりたい、というのなら喜んで名前を出すと申し上げました。
彼は随分努力をしたようですが、とても提案権を行使して勝てるような票数は集まりませんでした。基本的には外国人系の投資ファンドしか集まらなかったのです。最終的には、海外の投資家ができたことは、日本人二人を社外取締役として経営陣に入れることで、それ以上はできなかったというのが実態です。
そういうことを考えていくと、ウッドフォード氏が評価してくれた日本人の魂や大義、公器というものは何なのか? 会社は社会の公器なのだということ、まして国は公器そのものであり、それに対して日本人は、何をしてきたのか? 何をしようとしているのか? それがまったく見えず、これもすべてガバナンスの問題ではないのか、と思うように至りました。
まさに、ウッドフォード氏に「たった一人の反乱」をさせて、見殺しにしたという結果になってしまいました。日本人が問われて、日本人は甲斐がない存在だということをウッドフォード氏は感じて日本から去って行きました。このことは、当然多くの海外の投資家も感じることで、「日本という国はちゃんとしないな」ということになっていくのではないかと思います。
今、日本の証券市場についていろいろ言われていますが、果たして、証券マーケット、企業だけの問題なのでしょうか。もはやその段階ではなく、「日本をまともに相手にするには、いささか変な国すぎやしないか?」と世界から見放されるのではないかという危惧を抱いています。
私が思っているのは、東電の社長が無礼だったとか、そういう問題ではなく、この国はこのままだったら絶対に崩壊してしまうということです。しかも国民が一億二五○○万人いる国ですから、数十万人の国とは違い、鎖国をしても生きていけるということはあり得ないのです。ということは、もう一度変えなければならない。そのためにはガバナンスを本気で考え直して、それを国民一人一人が背負うような国にしていかなければ、とても持たないと思います。そう考え、東電、オリンパス、大王製紙のケースを見ると、やはり改善すべきガバナンスの問題が見えてくると思います。
■東電の問題
ガバナンスというのは、外部、すなわち上からの統制です。●ページの図で紹介した赤い逆三角形による統制がしっかりしなければいけないという認識を、まず持ってくれるかどうか。経団連の経営者たちが赤い逆三角形と青い三角形の枠組みを分かっておられるのかどうか、ということが一番大きいと思います。
この枠組みがわかれば、ガバナンス(赤い逆三角形)に「社外の人では業務がわからない」「業務ができない」という理由で取締役としては不適切だ、という論理はまったくあり得ません。それは業務執行取締役、あるいは委員会設置会社であれば、執行役と言ってもいいわけですし、逆に監査役会を設置するにしても、ここは執行役員で賄えるわけです。そうすると、取締役という役職を付けた場合でも、それは上の逆三角形の取締役と、下の三角形の業務執行取締役とは別の存在だと考えられることになり、上は社外も社内もなく、皆が社長の親分として、社長を規制する係として考えて選べばよいわけです。
その人たちが業務をわからなくともまったく問題はありません。なぜならば、業務の細かい指示をするわけではなく、基本的な大きな経営の方針と計画を作って、それをモニタリングするというのが元々の取締役の役割なのですから。そこへ監査役を入れるか入れないか、というのはある意味でいうと手続き的な、テクニカルな部分であり、監査役のほうがより良く働けるか、取締役のほうがより良く情報が集まるか、というだけのことで、役割は同じです。
ただし、社長の人選権、取締役会における決議権を持っていない監査役が、どれだけ能力が高く、どれだけ多くの情報が集まったとしても、最後に社長に「お前はクビだ」と言えない以上は、ガバナンスは効かないであろうと、私は個人的には思っています。
一等上の株主は、自ら社長に対してプレッシャーをかけて、現実に監視・監督をするわけにはいきませんから、それをやる係が取締役であり、監査役だと考えると、東電の場合にはどうだったでしょうか。
そういう人たちがまったく存在せず、おまけに下の三角形のほうも縦割りになっており、原子力分野は別になっています。そのような状態で、かつ国もまったくガバナンスを持っていませんから、東京電力に対するガバナンスはまるで効かなかったと言えるでしょう。そういう意味で、ガバナンスというのは今回の事故に関連していると思います。経営者が安心して経営に邁進してゆけるようなガバナンス状態ではなかったと私は思います。
■東京電力の実態
国家による規制として、独立して厳格な社外取締役や社外監査役による経営管理、監視・監督は、東京電力にはまったくなかったわけですが、実際に社外取締役を見てみれば実態がわかります。
当時、大株主である二人が取締役としていました。青山やすし氏は、東京都の元副知事で、森田富治郎氏は第一生命の元会長です。
この二人はまったく機能しなかっただけではなくて、森田氏は二○一一年六月には退任し、青山氏も二○一二年二月に辞任されました。目下社外取締役はゼロであります。オリンパスの今の経営執行体制もひどいですけれど、東電の取締役会というのも、ものすごく劣化していると語らざるを得ません。
東大の元総長である小宮山浩氏がいらっしゃいますが、氏は寄付口座を東電にたくさん作ってもらった経緯があります。ここで気がついたのは、エンロンとテキサス州立大学学長との構造と同じではないかということです。
(注)「エンロン(Enron Creditors Recovery Corp.)」アメリカで総合エネルギー取引とITビジネスを行っていた企業。アメリカでも有数の大企業だったが、巨額の不正経理・不正取引による粉飾決算が明らかになり、2001年12月に破綻。
テキサス州立大学学長はエンロンの社外取締役でしたが、エンロンから膨大な寄付行為を受けて、そのおかげでテキサス州立大学は発展し、その発展をさせた功績で学長にもなりました。「こういう人ではだめで、これでは独立性がない」ということが明らかになったのがエンロン事件です。
もちろん、この学長以外にも大勢の人と取引があったり、いろいろなことで反省点があったわけですが、このような前例もあるように、東京電力のガバナンス不在というのは、実は日本の多くの企業がそうなのではないかと考えられます。取引先であったり、何らかの利害関係があったり、あるいは大株主であったりという人しか社外取締役にはいないのではないか。本当の意味で、この赤い逆三角形の取締役として役に立ちそうな人物が入っていない、というのが一つの考えです。
■オリンパスの問題
オリンパスの場合はどうかというと、オリンパス側は居直って、「社外取締役は三名もいました」と言っています。
藤田力也氏というのは内視鏡のプロ中のプロ、順天堂大学の元教授です。氏は内視鏡医学研究振興財団の理事長であり、これも東電と東大の関係と同じことで、オリンパスからたくさんの寄付をもらっています。この財団が運営できているのは、オリンパスのおかげと言ってもいいでしょう。
また、千葉昌信氏は、元日経新聞の役員です。氏が現在社長を務めているエル・ビー・エスという広告会社は、広告・宣伝の取引をオリンパスと行っており、日経新聞に全面広告を出すときには、必ずこの会社が関与しています。
林純一氏は、不動産コンサルタントということでオリンパスと取引があります。オリンパスが建物を賃借りするときには、氏が仲介をするそうです。要するに完全に利害関係の深い人たちが、社外取締役という名のもとにいたんではないか。これでは、この赤い逆三角形をきちんとまわすことはできないと思います。
その一方で東電と違う点は、オリンパスでは従業員のポジションが非常に重要だということと思います。どの会社でもそうですが、従業員というのは現場で働いているので一番情報を持っています。かつて、山一証券が破綻して自主的な営業閉鎖をやりましたが、その時には、あの「飛ばし」というのは誰がやったのか、と散々問われました。新しく社長になった新社長は涙ながらに「社員は悪くない、旧経営陣が悪いのだ」と言いました。
■企業ぐるみの不適切な行為
そのとき私はいくつかの講演会で、「そんなわけはない。あの飛ばしを旧経営者だけでできるわけがない。二六五○億円の飛ばしを、社長一人でできるわけない。だから当然従業員が絡んでいる。その従業員は『こんなひどいことをやっている』と、きっと飲み屋かどこかで言ったはずだ。だから皆が悪い」というように言った覚えがあります。
山一証券の新社長は、従業員が情報を持っているために内部通報を恐れたので、まずは泣きながら社員をかばったのです。また、内部通報を行った営業マンを見せしめとして開発部隊に異動させました。営業マンが新しい機械の開発する部署へ行ったところで何もできるわけがなく、仕事がない。仕事がないから鬱になり、最後は干される。そういう状態の見せしめの左遷を行ったのです。
彼が上層部に進言した情報というのは、「自分の上司が他社から不適切な引き抜きをやろうとしている。こういう不適切なことをやれば必ず問題になり、今度は自社に引き抜きがかけられたり、いろいろな問題が起こってくる。だから、こういう不適切なことはやってはいけないのではないですか」という内容でした。上層部の反応はというと、「よその会社のいい人材をパクってくるのだから大いに結構なことだ。そんなことを密告するとは何事だ」ということで、先のような左遷を行ったのです。
その営業マンはさすがに怒って提訴しましたが、第一審の東京地裁の判断は、原告の請求を棄却というものでした。
実はこの上司の行為は違法行為ではないのです。不適切な行為ではありますが、何法何条に違反したかというと、当時の日本の法律ならば必ずしも違法ではない。引き抜きで来た人が元の会社から訴えられるかどうかという問題はありますが、引き抜いた会社がペナルティを受けるということはあり得ないのです。そこで、第一審の東京地方裁判所は、「これは違法行為を通報したわけではない。不適切だからといって、レピュテーション・リスク(企業における事業やサービスに対し悪評が広まり、顧客の信頼を失うリスク)や、その他の問題が発生するリスクを考えて言っただけだから、これは違法行為の告知ではない。違法行為でない以上は、内部者通報保護法で原告は保護されません」と言われたのです。
彼は納得できずに東京高裁に上訴しました。東京高裁は、「それは違法行為ではないが、誰が見ても不適切な行為であり、それを通報する人は法律家のプロではない。その人に違法なのか違法ではないかという判断を求めること自体が酷である。だから原告は保護されて然るべきだ」ということで左遷処分を取り消し、損害賠償もありました。
この一審の判決だけでは、不適切なことをいくら指摘しても駄目、裁判所も保護してくれない、というようになったはずです。従業員にプレッシャーをかけて、自由な情報流通ルートを阻害させ、それによって自分らの秘密を守る。インナーサークルでこれを隠し通すわけです。ウッドフォード氏に誰のために働くのだと問われて「菊川のためだ」と言ってしまう状況と同じです。
オリンパスは組織の中で、組織的に粉飾が行われていました。私は第三者委員会が出した報告書はある程度評価するのですが、最後の結語が余計でした。
「オリンパスは、元々真面目な従業員と高い技術力を有する健全な企業であったのであり、企業ぐるみの不祥事が行われたわけではない」
そうわざわざ書いています。「企業ぐるみではない」ということは、投資法における上場廃止にするかどうか判断するとき、「企業ぐるみかどうか」ということが問題になるという認識で、それに蓋をしたつもりなのです。
しかし、東京地検特捜部は「いや、そうは思わない。これは企業ぐるみだろう」ということで法人起訴に踏み切ったわけです。皆がもたれ合い、慣れ合い、庇い合い、そして結局最後のところでは上場廃止にならない一文を余計に付け加える。このようにオリンパスの事件は、ガバナンスがないということを如実に示す事件だと思います。
■大王製紙の問題
オリンパスはサラリーマンから社長が出てくる会社ですが、大王製紙は創業家が代々社長となります。これはオーナー経営でよくある話です。この大王製紙が、上場してまで何故こんなことをしていたのかがよくわかりません。
上場するというのは、オーナーの権限を失うということなのです。その代わり創業家は巨万の富をIPO(新規株式公開)のときに貰えるということがあるわけですから、後々まで会社を自由に支配して巨万の富までも取ってしまうというのは不合理ではないかと思います。
そういう意味では、ガバナンスとしては「親父ガバナンス」がありました。元会長である会長の父親が顧問になっていましたが、彼が「こらっ」と怒ったので、二十数億円も借りて博打をやっていた息子が「ごめんなさい、もうやりません」と約束をした。だからもう、やっていないと思っていたところが、やり続けていたわけです。父親は、父の権威でガバナンスが効いたと思っていたのでしょう。
こういう人的ガバナンスというのは、北朝鮮ではないのですから、それほど強力に発揮できるわけがありません。私は、親子間のガバナンスですらないのだから人的ガバナンスは無理だと思います。
では、システムによるガバナンスがあり得たのでしょうか。大王製紙の場合、社外取締役も独立取締役もいません。社外監査役が三人いて、うち二人は弁護士です。
一人は元判事で、監査役在任二十年という長期監査役です。これも、エンロン事件で問題になったことですが、十三年もやっている取締役はとても独立とは言えず、社外とも言えないとされ、散々議論の対象になりました。少なくとも、最長十年、できれば七年か八年までで退任するほうがいいと言われていますが、この方は、五十四歳で判事を辞めてから七十四歳までずっと監査役を続けていらっしゃいます。このように考えていくと、赤い逆三角形がまったく機能していません。
一方で、子会社の部長が社長に言いつけて発覚したというところに、一部は内部統制が機能したのかと思いましたが、調べてみると、この通報を受ける受け皿の役員が留守だったので、たまたま社長が受けたということであり、社長が通報窓口というルールがあったわけではないのです。
また、社外の窓口があるわけでもない。従業員の貴重な情報がコンプライアンスを確保するために上がってくるような制度ではなかったということが言えます。
最後のガバナンス
■変えるためにできること
株主一人ひとりが「頑張れ」と言っても情報はない。親父ガバナンスは効かない、社外取締役もない。社外取締役がいても独立はない。
このようなガバナンスがないところで、株主はどうしたらいいのでしょうか。こういう体制の中で何をすべきかというと、根本的にルールを変えなければなりません。そういうときに、皆はソフト・ローと言います。
(注)「ソフト・ロー」国家の強制執行が保証されている通常の「ハード・ロー」には該当しない法的規範を総称する用語。
私も内部に入ってわかりましたが、東京証券取引所は、自分でソフト・ローを作る力がありません。なぜならばすべて、金融庁におうかがいを立て、経団連におうかがいを立て、「これでよろしゅうございますか」と言って、刷り合わせ調整をしたものだけが、ソフト・ローとして成立するというのが実態なのです。したがって、証券取引所の権限に基づいて「何とかしろ」と言ったとしても、民間の株式会社ですから、立法機関を経ずしてソフト・ローを作れと言うこと自体、実は大間違いなのではないか思います。
ということになれば、定款に入れていくしかありません。各社で各株主が提案をすることによって、定款の中に、例えば、社外取締役に枠を作って人数を決め、これはこういう独立性がなければいけないというように自分たちで作っていかなければなりません。他人任せではできない。
もちろん、これができるかどうかは別ですが、少なくともそういう声を上げた株主はどこにもいません。皆、「法制審がやっているから」、「公証人が頼めばいい」、「金融庁が厳しくやるべきだ」などと他人事のように言っています。
しかし、「株主ができること」、「国民ができること」というのは、「自分でやろうよ」というのが根本ではないかと思います。そう考えていくと、国のガバナンスというのは誠にお粗末な話であります。
■一票の格差
原発事故対応、事後対策の措置、財政税制の一体改革、国防、なめられ切った外交。これらのことを考えてみるにつけ国の体をなしていません。根本の原因はどこにあるのか。財務省のあの役人がいけないなど、犯人捜しはいっぱいありますが、そんなことでしょうか。
国の主権者である国民が、「主権在民だ」と言ってもやっていない。しかも、他国の多くが直接公選制をやっているのです。アメリカ大統領の選挙、韓国大統領の選挙、あるいは台湾における総統の選挙など、ある意味では国民が直に投票しています。
アメリカの場合には選挙人制度というものがありますが、その選挙人の数にしても、国民数と比例関係が成り立つような仕組みをいつも考えています。アメリカの下院議員もそうです。アメリカの下院議員は、一票の比率において0・007%の違いも許されません。厳密に一人一票の価値がないといけないという「カーチャー判決」という違憲判決があるくらいです。
世界中の資本主義国がこのようにガバナンスを発揮しようとしているときに、日本では、衆議院は一人0・4票対1票、参議院は一人0・2票対1票という格差があるのです。
例えば、鳥取県民を1票とした場合、神奈川県民や北海道民は一人0・2票しか持たない。大阪府民は0・21票、東京都民は0・23票しか持たない。こういうすごい格差をつけた選挙権の中で、多数決なんて絶対にできないから、国会は全部少数決になっているのです。
小選挙区で言うと、衆議院の小選挙区で選んでいる上位から半分以上、これを全部併せても、その背後にいる国民数は全体の40%にしかなりません。したがって、60%の人が半数割れの国会議員を選んでいるわけです。仮に100人の投票権を持つ人が投票した場合、きっちりと同じ比率関係を持っているとすると、ぴったり50人と言ったら50%、51人と言ったら51%の国民がいるわけなのです。そうなっていないということは、日本は民主国家と言えるのでしょうか。
■多数決ではなく少数決という「ねじれ現象」
選挙のおける国会議員の選出は国民の少数決ですが、国会においては議員の多数決になるということを、私は「ねじれ現象」と言うのではないかと思うのです。衆議院と参議院がねじれているとか、ねじれていないとかではなく、国民の多数と議員の多数がイコールになっていないことが、「ねじれ現象」ではないかと思います。そういう意味で、代議制民主主義というのも、完全に崩壊しているのです。
つまり恐ろしいことに、一旦国会議員が選ばれてしまいますと、国会では圧倒的に多数決です。すなわち、内閣総理大臣を選ぶのも、立法も通るか通らないかも、全部多数決なのです。そうなってくると、実はその多数決というのは少数決であって、その多数決で立法がなされ、内閣総理大臣が選ばれ、内閣総理大臣が内閣を組織するのです。組閣するのは内閣総理大臣一人です。彼が自分の好きな奴を選んで来ればよく、選んだ上でいつでも罷免ができます。このような圧倒的な権限を内閣総理大臣は持ちます。この人が内閣を作ります。
その内閣の閣議決定というのは二説あります。多数決で決めても良いという説と、全員一致だという説です。特に「解散する」、「総辞職する」というようなときは、やはり、それに反対する大臣はクビにして、内閣総理大臣自らが兼務するか、自分の言うとおりにやる議員を入れてまとめるわけです。今までは内閣は、常に全員一致で決めてきたと言われていますが、多数決を取ったとしても、先のような対応をすれば同じだと思います。結局は、内閣総理大臣が自由にやれるわけですから。内閣というのは行政のトップであり、内閣総理大臣が行政のトップです。こういうことが全部多数決、あるいは極端に言うと、内閣総理大臣の独裁でできます。
そして、最高裁判所の裁判官を選ぶのも内閣で、司法の最高の地位である最高裁判所判事というのは14名全員を内閣が任命します。長官だけは、内閣が天皇に言い、国事行為として天皇が任命しますが、天皇が「この人ではなくあの人にしなさい」なんて言うわけがありません。ということは、司法は内閣の部下であり、人事権は内閣が持っているのです。そうすると、判事たちは内閣が怖いから、たとえ間違った法律であったとしても違憲だとは言わないかもしれません。
そんなことをチェックするためにも、判事が間違えた判決を出しているようなら、国民審査があるわけです。
■最後のガバナンス「国民審査」
国民審査というのは、衆議院選挙のときに必ず行われるわけですが、これは面白いことに一人一票なのです。厳正なる一票。どこに住んでいようとも、鳥取にいようとも東京にいようとも、一人一票なのです。
そして、この国民審査で最高裁判所判事の罷免ができます。国民が自分たちで×を付けることによって罷免できるわけです。そのことによって、内閣総理大臣は、良い判事を選ばなければならなくなり、判事は内閣に選ばれたからといって「自分は国民投票で×を付けられたくない」と思えば良い判決を書かなければならないことになります。これでガバナンスがぐるっと回っている正常な状態なのです。
ところが実際の国民審査は、「選挙であり、投票だ」とは思われていませんし、また議員を選ぶというものでは、とてつもなくでたらめな選挙区割りになっています。
入口(選挙によって国会議員を選ぶ)が、出口(最高裁判所判事の審査)が、出鱈目なのです。それが日本なのです。
このようなことから、今、一所懸命、「一人一票」が確立するように最高裁判事の国民審査で「×付け運動」をやろうとしています。国民ができることは、これしかないのです。国会議員が少数決で選ばれた多数で決めて行ってしまうのだから、出口でなんとかするしかない。これが最後のガバナンス。最高裁判事の解任投票というのではないかと思っています。
今の日本において、国民あるいは株主は自分で何かをやろうとしていません。そのことがこの国とこの国の企業のガバナンス不全というものを引き起こしています。それは、株主や国民に、自分たちに被害として降りかかってきます。
今こそ、このことを本気で考えるときだというのが、私の言いたいことであります。

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