笑いをとるためになぜ人は服を脱ぐのか 松本人志さん監修の『ドキュメンタル』を動物行動学の視点で見る
笑いをとるためになぜ人は服を脱ぐのか
――追い込まれた時に凶暴性が現れた参加者もいましたよね。特に5話のラストが強烈でした。
新宅:完全に人間として封印していた何かが出てきちゃった感じですよね。文化的なものが吹っ飛んで、獣としての凶暴性、アナーキーな感じが解放されて圧巻でした。まさに本能だと思います。あの瞬間は、おそらく賞金のことなんて頭になかったはずです。命がかかっているくらいの緊迫感がありますよね。もしかしたら、人類が今までに見たことがない光景かもしれません。別に相手が憎いわけでもないし、なぜあんなことになっているのか誰も説明できない。喜怒哀楽の何にも当てはまらない、日本語として定義されていない“何か”だったと思います。
――あと、この番組は裸も多かったです。服を脱ぐことが面白いというのは、人間特有のものですよね。
新宅:裸が笑えるのは、文化人類学的に共通のアイコンだと考えられます。真剣さの中に笑いを持ち込むと、より笑いが引き立つということがありますよね。歴史的に見ても、やたら性器のデカい土偶が見つかったり、性器をモチーフにした御神体を担ぐ祭りがあったり、笑っちゃいけないとしながらも、やっぱりおかしいわけです。本来は面白いけど笑ってはいけないツールとして、性器をここ一番の時に露出するというのは、太古の昔から人類がやってきたことなんですよね。計算じゃなく、追い詰められてとっさに出てしまったのは、人類のDNAに組み込まれている行為だと思います。
――裸を面白いと感じるのは、知能が高い証拠とも言えますか?
新宅:歴史的に人と動物の境目をどの時点にするのかは長年の研究課題なんですけど、ひとつは“花”を道具として使ったのは人間としての大切な要素だと思っています。植物を美しいと思って誰かにプレゼントしたり、死者に捧げたり。
――献花は精神的な文化を感じますね。
新宅:それと同じように、下ネタが笑えるようになったことが動物を脱却する大事な要素だと思っています。動物として守るべき大切な部分が、いつから笑えるものになった転換期があるはずなんですよね。笑いのプロが追い詰められた時にとっさに披露したのが下ネタだったのは興味深かったです。見る人によっては下品だと感じるし、落語や漫才などを含む笑いの文化の中で、一つひとつの笑いの質としては最下層にある笑いかもしれません。でも、この笑いは視聴する側も知的なクオリティがないと楽しめないと思うんですよね。だから松本さんもあれだけゲラゲラ笑っている。もしくは、下ネタに無条件に反応する小学生か。
――両極端ですね(笑)。
新宅:人類が文明化にともない理性的に封印してきた動物的な何かが突沸した感じ。進化の過程で人類だけが獲得できた笑いの新たな機能を楽しめます。シーズン2が凄すぎたので、シーズン3がこれを超えるのはかなり難しそうですよね。でも、それがドキュメンタリーなので、次回も台本のない面白さを期待したいです。
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新宅広二(しんたく・こうじ)プロフィール
動物行動学者、監修業。
大学院修了後、多摩動物公園、上野動物園勤務経験のほか、大学・専門学校で20年以上教鞭をとる。哺乳類、爬虫類、両生類、魚類、昆虫など400種類以上の野生動物の飼育技術や生態を修得。狩猟免許も持ち国内外でのフィールドワークもこなす。監修業では英国BBC作品ほかネイチャードキュメンタリーの監修や日本語制作を数多く手がけている。
最新の著書『しくじり動物大集合』(永岡書店)が発売中。150種以上の動物の欠点をイラスト付きで解説し、動物たちの知られざる生態を紹介している。
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