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今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」
(c) Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

アンネ・フランク(Anne Frank)という名前をご存知でしょうか。第二次世界大戦中、1942年から44年の2年間、ナチスの目を逃れて家族や他のユダヤ人たちと共に隠れ家で息をひそめながら生活していた少女の名です。隠れ家での生活や、平和への想いを綴った彼女の日記は、その死後に父親の手によって出版されました。世界的大ベストセラーにもなった彼女の日記がしたためられた隠れ家は、今では「アンネ・フランクの家」(Annne Frank House Museum)という名の博物館としてその姿を残しています。

アムステルダムに残るかつての隠れ家

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」
「ナチスの目を逃れて隠れていた」ということから何となくドイツというイメージがあるかもしれませんが、アンネたちが住んでいた隠れ家はオランダの首都アムステルダムにあります。ユダヤ系ドイツ人だったアンネとその家族(両親と姉)は、アンネがまだ幼いころにナチスが勢力を強めるドイツからオランダに移住してきたのです。

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」
(c) Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

平穏な生活はほんの数年間で終わりを告げ、オランダでもユダヤ人連行が頻繁に行われるようになります。そこでフランク一家は、アンネの父オットーが経営していた会社の建物の奥側部分の3階・4階と屋根裏部屋を改築してそこに身を隠すようになりました。

フランク家の4人以外にも4人のユダヤ人が住んでいたこの隠れ家は、1944年8月4日にドイツのゲシュタポ(秘密国家警察)に発見されてしまい、アンネたちの隠れ家生活に終止符が打たれました。ちなみにアンネの日記の記載は、その3日前の8月1日が最後です。

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」
(c) Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

隠れ家で暮らした8人のユダヤ人のうち、生きて終戦を迎えられたのはアンネの父親オットーだけでした。アンネを含む他の7人は、強制収容所で命を落としてしまいました。そして唯一生き残ったアンネの父オットーこそが、アンネの日記を出版し、かつての隠れ家を博物館としてオープンさせたのです。

日記帳の現物も。貴重な展示品たち

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」
(c) Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

博物館の中は、かつて会社として使われていた部分と隠れ家になっていた場所に分かれています。会社だった部分では、当時の建物の構造が分かる模型も展示されています。

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」
(c) Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

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