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移住者400人! 過疎化寸前だった街が今、若者を呼び込むワケとは?

移住者400人! 過疎化寸前だった街が今、若者を呼び込むワケとは?

東京都心から電車で1時間ちょっと、神奈川県北西部に位置する「藤野」地区。山深い一帯は、いつしか「芸術のまち」としてその名を知られるようになった。地方の過疎化が進む昨今にあって、藤野には毎年、さまざまなアーティストが移住してきているという。彼らは何に魅せられ、この場所へやってくるのか? そもそも「芸術のまち」とは、どんな街なのか? 自治体や移住者に取材した。

素朴な里山風景の中に、アート作品が点在

ひと駅先は山梨県という、県境近くに位置する「藤野駅」。北に陣馬山(じんばさん)、少し歩くと雄大な相模湖を望み、山の傾斜には茶畑が広がる。素朴で美しい、里山ならではの風景に心が和む。

そんな藤野一帯では、およそ30年前から「芸術のまち」を掲げ、アートを軸とした地域活性化の取り組みをスタート。それ自体はよくある地域おこしだが、藤野がすごいのはそれが一過性の企画に終わらず、現在に至るまで続き、さらに移住者が増え続けている点だ。

まずはその取り組みの背景について、藤野観光協会の佐藤さんに聞いた。

「藤野はもともと芸術家とゆかりの深い土地。戦時中に疎開してきた画家たちが豊かな自然環境を気に入り、創作活動の拠点として多くの作品を残しました。しかし、その後、少子高齢化や人口流出により過疎化が懸念されるようになり、地域活性化を目的として1986年にスタートしたのが『藤野ふるさと芸術村構想』です。この時から街をあげてのアートイベントなどが行われるようになり、それが現在まで続いています。その象徴となっているのが『緑のラブレター』。巨大なラブレターを模した野外アート作品で、文字通り緑の山並みの中にひょっこりと見えています。その周りにはほかにも多くの作品が点在していて、芸術が生活の一部になっている藤野ならではのエリアといえますね」(佐藤さん、以下同)【画像1】アートの街のシンボル「緑のラブレター」(写真提供:藤野観光協会)

【画像1】アートの街のシンボル「緑のラブレター」(写真提供:藤野観光協会)

そうしたイベントの開催や作品の展示以外にも、アートを特別なものでなく「身近な文化」として根付かせるための取り組みも行ってきたという。

「例えば、2005年には芸術を通して学校教育を行う私立校『シュタイナー学園』を誘致しました。小・中・高と12年間の一貫教育で、美術などの科目はもちろん、あらゆる授業に音楽や動き、色彩などの芸術的な要素を含んでいます。全ての子どもが本来もっている芸術への衝動を育む独自のカリキュラムが評判で、わが子をこの学校へ通わせたいと移り住んできた方も少なくありません」

こうしたアートを軸にした街づくりに加え、藤野には全国に先駆けた先進的な取り組みが数多い。

「まず、1996年に始まったのが『パーマカルチャー運動』。パーマネント(永久的な)とアグリカルチャー(農業)を組み合わせた造語です。農業を軸に、生活や文化を持続可能なものにしようという運動で、自然志向や自給自足といった暮らしを求める若い移住者を呼び込みました。

また、2009年からは『トランジション藤野』という運動もスタートしています。こちらは大量消費されるエネルギーから再生可能なエネルギーにトランジット(移行)していこうという動きです。具体的には、発電システムを組み立てて地域で電力をシェアしたり、森を再生する活動をしています。2つとも海外ではすでにポピュラーな運動でしたが、日本では藤野が先駆け。その後、日本全国に広がっていきました」

佐藤さんは「かつての日本のように、経済成長すれば全てが解決する時代は限界にきている」と語る。持続可能な社会をつくるには、これまでの価値観や生き方を大きく見直すべき。そんな藤野の理念に共感する若者やアーティストが移り住んできた結果、限界集落の危機に直面していた地域は見事に復興。今では移住者の数がトータルで250世帯、400人を超えているという。【画像2】移住してきたアーティストたちが開いたギャラリー「ふじのアートヴィレッジ」。ブースごとに作品が展示されている(写真提供/藤野観光協会)
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