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小中学校で「聖徳太子」や「鎖国」が消える?そのワケは?

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小中学校で「聖徳太子」や「鎖国」が消える?そのワケは?

小中学校で「聖徳太子」や「鎖国」という言葉が消える?

新しい学習指導要領で、「聖徳太子」や「鎖国」という言葉が使われなくなるということが、ニュースになりました。
実際には、前者は小学校で「聖徳太子(厩戸王=うまやどのおう)」、中学校では「厩戸王(聖徳太子)」とされ、後者はいずれも「幕府の対外政策」と、示されるようです。
一万円札や五千円札で聖徳太子になじみのある年代の方は、なぜ?という驚きを強く持たれるのではないでしょうか。

ただ、こちらに関しては、私はさして大きな問題とは考えません。
聖徳太子の「実在」に疑義を唱える書籍の出版をきっかけとして、論争が起きたのは、今世紀初頭のことでした。
「厩戸王」という王族は実在したが、「聖徳太子」という名が付けられ、その事蹟が特別な業績とされたのは後世であるということが、それ自体はすでにほぼ定説となっています。
高校の日本史の教科書では、だいぶ前から「厩戸王(聖徳太子)」と書かれています。

歴史の記述が変わることは珍しくない

研究が進み新しい説が定着して、歴史の記述が変わる例としては、かつて「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」と暗記した「鎌倉時代」の始まりが、頼朝が守護・地頭を設置した1185年からとされるようになったことや、長く「足利尊氏像」として教科書に掲載されていた絵が、現在は「騎馬武者像」とされていることなどもあります。

今回報じられているように、「聖徳太子」も併記されるのなら、ある意味自然な流れではないでしょうか。
また、ある年代以上の方には、「厩戸皇子」ではないのか?という疑問もあるかと思いますが、この点は、件の人物が活躍した6世紀末から7世紀はじめ、まだ「天皇」のことを「大王」と言っており、当然「皇子」の呼称もないため「王」が相当する、ということのようです。

「鎖国」を使わないことは本当に学術的判断からなのか?

いっぽう「鎖国」の方はどうでしょうか?こちらは、もう少し注意して見ていく必要がありそうです。
「鎖国」という言葉は、ケンペルの『日本誌』を元オランダ通詞の志筑忠雄が翻訳する際「鎖国論」として以来、当時の日本の状況を表すのにふさわしい言葉として使われてきたということが、日本史の教科書に書かれています。
「聖徳太子」のように、国史編纂の過程で生み出された特異な人物の呼称とは、言葉の由来が異なります。

また「幕府の対外政策」とする理由として、長崎でのオランダ船、中国船との貿易のほか、朝鮮からは通信使の来日と対馬の宗氏による貿易、琉球からは慶賀使・謝恩使の来日と薩摩藩との関係、さらに蝦夷地では松前氏がアイヌと交易をしていたなど、長崎以外にも外国との窓口が存在したということが、理由として上げられています。
しかし、朝鮮の通信使と琉球の慶賀使は将軍の代替わり、琉球の謝恩使は国王の代替わりの際、すなわち約二百六十年の間に十数回、遣わされただけのことです。
1635年の禁令では、海外に渡っていた日本人の帰国が禁じられ、1825年には外国船打ち払い令も出されました。
ペリー来航の際、密航を企てアメリカ船に乗り込んだ吉田松陰たちは罰せられていますし、ペリー来航に先立つ1844年に開国を勧めてきたオランダ国王の親書を、幕府は無視しています。
三代家光の時代以降、鎖(とざ)された国の状態であったことを積極的に否定するほどの理由として、先ほど上げた諸条件は当たらず、「鎖国」の中でそういう例外もあった、ということで十分なように思われます。

こちらに関しては、本当に「学術的」な判断であるのか。
例えば諸外国との関係を言葉の置き換えである方向に導いていこうとする意図とは一線を画するものなのか、など、注視する必要がありそうです。
実際の教科書がどのように作られ、いかなる検定の経緯をたどるかにも、注意が必要でしょう。

(小田原 漂情/塾教師、歌人・小説家)

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