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少年たちの憧れ「秘密基地」 今ブーム!大正時代の詩人も夢見た“タイニーハウス”とは

タイニーハウスがじわじわとブームに。

 

子どもの頃、秘密基地を作って遊んだ記憶はありますか?今思えば、きっと大人にもバレていたに違いないのですが、木の上や根元、雑木林の中など、大人が容易に入って来られない秘密の場所を持っていることに満足していた気がします。

 

秘密基地を彷彿させる「タイニーハウス」、いわゆる狭小住宅が、海外のみならず、日本でも注目されています。アメリカでは、サブプライムローン問題を発端とするリーマン・ショック以降、「多くを持つのではなく、シンプルな生活を送ろう」という価値観がじわじわと広がり、テレビ番組でタイニーハウス特集が組まれるほどだとか。住宅の平均面積は200㎡というアメリカにおいて、まったく反対の傾向ですから驚きです。

 


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Fujisan.co.jpより

 

タイニーハウスには、固定された場所に小さく建てるものや、車で牽引することで移動可能なトレーラータイプ、木の上に作るツリーハウスとさまざまですが、“秘密基地”感たっぷりの出で立ちは、何歳になってもワクワクするものです。

 

大正時代に構想されていたオシャレなタイニーハウス「ヒアシンスハウス」

 

大正時代に、タイニーハウスを構想していた日本人がいました。それが立原道造です。北原白秋のもとに出入りし、わずか13歳で詩集を発表した天才詩人であり、東京大学建築科卒の建築家でもあります。

 

立原道造がとりわけ慕っていた詩人・神保光太郎が住んでいたのが、さいたま市にある別所沼の近く。たびたび神保邸に通ううちに、静かな沼周辺の環境を気に入って、「ここに仕事用の別荘を建てよう!」と思ったのだとか。

 

設計図やイメージ図をたびたび描き直しては、「別所沼の湖畔に、こんな家を建てたいんだよね」と詩人仲間らに見せていた23歳の立原。ヒアシンスハウスと名付け、実に50回通りもの試案をした上、未だ建ててもいないうちから住所を印刷した名刺を作っていたくらいですから、よほど思い入れがあったのでしょう。

 

残念ながら24歳で急逝したため、立原自身はヒアシンスハウスの建設を実現することができませんでした。しかし、そんな立原道造の夢を実現しようと、没後65年後の2004年に、地元の方々や企業が協力して建てたのが、現在の「ヒアシンスハウス」なのです。

 

大正時代の詩人・建築家が胸をときめかせ、子どものように夢中になっていたタイニーハウスはどんな家なのか、実際にヒアシンスハウスを訪ねてみました。

 

新宿から約30分で体験できる

 

ヒアシンスハウスがあるのは、JR埼京線中浦和駅から徒歩6分の場所にある、別所沼公園の敷地内。沼の周りを走るランナー、ベンチで読書をする人、皆思い思いに時を過ごす静かな公園です。

 

ヒアシンスハウスは、うっかりすると見落としてしまいそうなくらい、場所に馴染んでいます。外観は本当に「小屋」という感じ。それにしては外観がオシャレです。

 

写真中央の、くぼんでいるところが入口です。「ご自由にどうぞ」とあるものの、本当に入っていいものやら躊躇します…。ドキドキしながらドアを押し開けると、開室日に常駐している、ハウスガイドのYさんが迎えてくださいました。

 

入ってすぐの空間がリビング。筆者が訪れたのは2月中旬で、エアコンなしにもかかわらず、リビング全体が陽だまりで、明るい上にぽかぽか暖かいのです。

 

後ろを振り向けばすぐに仕事机、そして奥には人が1人だけすっぽり収まるサイズのベッド。脇には出窓もあります。部屋を照らす明かりは、天井から垂れる電球ひとつだけ。一見シンプルなのに、細かいこだわりがそこかしこに見られるヒアシンスハウスは、長居すると住みたくなってしまうくらい、とても落ち着く不思議な家でした。

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