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あがた森魚の表現者としての情念が込められたアルバム『乙女の儚夢』に見る“総合芸術”

最近では俳優として映画、テレビドラマにも出演しているので、若い読者の中には役者としてイメージを抱く人も多いのかもしれないが、デビュー作である「赤色エレジー」が50万枚以上のヒットを記録し、吉田拓郎、岡林信康らと並ぶシンガーソングライターとして世間に知られたアーティストである。ここまで発表したアルバムはライヴ盤やサウンドトラックを含めれば40枚以上。還暦を優に超えてもその創作意欲は衰えることないばかりか、ライヴを活動も精力的に展開している。今回はそんなあがた森魚の初期傑作を名盤に選んでみた。
『乙女の儚夢』(’72)/あがた森魚 (okmusic UP's)

アートワークも優れた作品
音楽有料配信サービスはとても便利だ。個人的な話で恐縮だが、こうした音楽系の文章を書く時、とりわけこの“これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!”のようなクラシックな音源を参考にしなければならない場合には、その音源の入手が容易である点ではありがたい存在ではある。中古屋で音源を探すという手もあるが、レアな音源の場合、当たり前のことだがそれはなかなか外には出てこないものなわけで、それすらも瞬時にダウンロードできてしまうサービスは本当に便利だ。なので、音楽有料配信をことさら否定するつもりはないことを最初に断っておくが、よくある“CDやLPのほうがいい!”という方々の気持ちもわからなくもない。“手元に盤そのものを残しておきたい”──もっと言えば“物質を持ちたい”といったところからそうした気持ちが生まれているのだろう。古い人間になればなるほど、再生デバイスにデータがあっても何だか満たされない感じがするのではなかろうか。特にジャケットや歌詞カードがないのはわりと致命的だと思う。優れたアートワークはその作品の一部だからだ。
ジャケットの素晴らしい作品は古今東西、枚挙に暇がない。グラフィックの優れたものだけを取り上げても、それを紹介するコラムがシリーズ化できるほどだろう。そのギミックが超有名なものだけを挙げるとすると、『Sticky Fingers』(The Rolling Stones)と『The Velvet Underground and Nico』(The Velvet Underground)辺りだろうか。前者のジャケットには本物のジッパーが取り付けられており、それを開くとブリーフを履いた男の写真が出てくるという仕掛けがあった。バナナの絵が描かれた後者は、端に“Peel Slowly and See(ゆっくりはがして見ろ)”と書かれていて、初盤ではそれをはがすとバナナの果肉が現れた。これらはLP盤のあのサイズがあったからこその仕掛けであっただろうし、いずれも彼らと同時代を生きたポップアートを代表する画家、アンディ・ウォーホルが手がけたものであるからして、まさに芸術作品であった。さて、随分と前置きが長くなったが、邦楽においても優れたジャケットの作品は多々ある。その中から代表的なものを挙げるとすると、あがた森魚の『乙女の儚夢』を推す人は少なくないのではないだろうか。もしかすると、最も芸術性の高い邦楽アルバムと言う人がいるかもしれない。
『乙女の儚夢』は1972年発売。ジャケットの美術を手掛けたのは林静一氏だ。『乙女の儚夢』収録曲でもある「赤色エレジー」、そのモチーフとなった劇画の作者である。ロッテのキャンディー“小梅”のパッケージ・イラストを手掛けた人と言ったら、ピンとくる人も多いと思う。そのジャケットは見開き(観音開き)仕様。“乙女の儚夢~花鳥風月號”というリーフレットが同封されており、そこには収録曲の歌詞や解説、制作スタッフのクレジットの他、M5「女の友情」の同名小説にまつわる記事、林静一氏による書下ろし漫画『大道芸人』、本作の演奏を務めた蜂蜜麺麯(はちみつぱい:鈴木慶一、渡辺勝、本田信介、和田博巳 ※註:“蜂蜜麺麭”、あるいは“蜂蜜ぱい”とも名乗っていたこともある)の紹介、さらには『乙女の儚夢』の生まれた経緯、背景、制作意図をあがた森魚自身が書いたあとがきなどが掲載されていた。彼は音源のみならず、そのパッケージや同梱物を含めて、トータルで作品を提示したのである。ちなみに、あがた森魚はメジャーデビュー前、自主制作でシングル「赤色エレジー」を発表しているが、これまた林静一氏の書き下ろしの絵本付きのレコード盤を“うた絵本”というかたちでリリースしている。聴覚だけでなく、視覚、あるいは触覚までも使って作品を感じ取ってほしかったと思われる。あがた森魚という人はもともとそうしたマルチな展開を好むアーティストなのだろう。彼がのちに文筆、俳優の他、映画監督を務めることになったのも当然だったのかもしれない。

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