海を渡った150歳のティーカップと家族の記録
メアリーは91歳という年齢を感じさせない、知的好奇心に溢れた壮健な女性。イギリス留学中の筆者に、ボランティアで英語を教えてくれています。会いにいく日に天気が悪いことが続くと、いつも悪い天気を連れてくる、やれやれ、といったイギリス人らしいブラックユーモアも。
今回は、彼女の愛用するティーカップの歴史を家族の記録と共にお伝えします。
メアリーの母方のルーツ
彼女の母方の祖父はカナダ人。カナダとアメリカの国境に位置するナイアガラの地で裁判官をしていました。
この祖父がイギリスからティーカップを取り寄せます。ビクトリア調のティーカップが船に乗ってやってきたのが1860年頃のこと。その後12人の子どもをもうけました。
やがて祖父が亡くなると、祖母は嫁ぎ先のカナダから帰国することを決意。何客かのティーカップと共に船で母国イギリスに戻ってきました。
メアリーの父方のルーツ、両親の出会い
父方の祖父母はアイルランド人。ダブリンに暮らしていました。祖父は再婚し、全部で17人の子どもを育てます。その末っ子がメアリーの父親で、のちに結核の専門医になります。
1915年、当時カナダに住んでいたメアリーの母親は、山や湖が美しいアイルランド西部の叔母を訪ね、そこで父親と出会います。翌年結婚し、赴任が決まったインドに6週間かけて船で渡りました。
引き継がれたティーカップ
母方の祖母が亡くなり、ティーカップは母親に、そして今、91歳のメアリーに引き継がれています。金メッキの装飾があるので、手洗いしているそうです。
メアリーは壊れやすいはずのティーカップが150年生き残ってきたことに奇跡を感じています。
とはいえ、宝石はただの石だといい、物に価値を見出さない彼女は、このティーカップをアンティークとして特別愛してきたわけでもなく、受け継がれた道具として淡々と使っています。
右側のシュガーボールはメアリーの娘がお店で見つけて買い求めたもの
器の裏側
メアリーによる家族の記録
リビングに飾られた絵
メアリー自身はイギリス人の夫とフィレンツェで知り合い、翌日求婚されました。その時は、まだ何も自分を知らないはずなのにと驚いたそうですが、裁判官として世界中に赴任する夫に寄り添い、幸せな人生を送ってきました。
30年ほど前に夫が亡くなり、その2年後、夫の人生や一族について忘れないうちに記録しておこうと考え、本にしました。夫の母校、休暇、昔の家、親戚のことなど、写真と共に。もちろん、それは辛い作業でもありましたが、孫たちのためにも必要な作業だと考えたのです。
なぜなら、彼女自身がなぜ自分の祖母がカナダに渡ったのか聞かなかったことを悔やんでいるから。
「親や祖父母はいつまでも生きている訳ではない、今のうちに一族について尋ねておきなさい」とメアリーは言います。現在留学中で家族と離れて暮らす筆者も、その言葉に重みを感じた一日でした。
[Photos by Shio Narumi/shutterstock.com]
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