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どうか無事に産ませて! 予定日に39度の発熱、赤ちゃんの心拍が低下…緊急帝王切開に

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私は22歳のときに子宮の病気で婦人科にかかり、一年の間抗がん剤治療をしてきました。

その病気が発覚したのは流産がきっかけ。

もう赤ちゃんできんかもしれへん。なんで私が?と恨んだこともありました。

それでも辛い副作用にも耐えて、治療の結果は良好。頑張ればまた妊娠できると先生にも言われ、信じて頑張ってきました。

そして24歳のとき。

病院から電話があり「再発、もしくは妊娠の可能性がある。至急来てほしい」と。

私は気が気じゃなくて仕事を早退させてもらい、病院にかけつけ検査をしました。

そして先生がおっしゃった言葉は「おめでとう!妊娠やね!」。

その言葉を聞いたとき、嬉しいという気持ちより先に「また同じことの繰り返しやったらどうしよう…」と恐怖が襲いました。

ドキドキする気持ちのまま帰宅し、旦那に告げるとこれでもかというくらい喜んでくれて、その時やっと素直に喜ぶことができました。

それからの妊婦生活は、嬉しさよりも恐怖や不安が常にあり慎重すぎる毎日でした。

有難いことにお腹の子も順調に育ってくれて、胎動を感じるたび母親になる責任、まだ見えない我が子への愛情が増していきました。

そして40週の予定日検診。いつも同じ先生だったんですが、この日だけは予約がとれずいつもと違う先生の検診。そして言われたことが、

「赤ちゃんちょっと大きいな。もしかしたら肩甲難産かもしれん」

聞きなれない言葉と、『難産』という言葉に一気に不安になりました。

「このままやと赤ちゃんが大きすぎて、普通分娩が難しいかもしれへんから、24日まで陣痛なかったら促進剤打つか帝王切開にしよか」

今まで順調やったのになんで?どういうこと?が私の素直な気持ちでした。

その日はお腹のレントゲンなど撮り帰宅。旦那に話すと、とりあえず待とう!と励ましてくれました。

その日の夕方おしるしがあり、

「この子も、もうすぐ会えると教えてくれとるんや!私が不安になったらこの子も不安になるやん!」

と勇気づけられました。 関連記事:妊娠39週でも赤ちゃんが下がらない。児頭骨盤不均衡で帝王切開に移行するかもと言われ…

そしてその2日後の夜、チクチクと痛み出し、夜中に5分間隔になったところで病院に電話。来てくださいとのことで行ったら、

「んーまだ3センチくらいやし、前駆やと思うで一旦帰って」

と言われ帰宅。

帰宅したあとくらい急な寒気に襲われました。12月だし寒かったからだと思い、寝ようにも前駆陣痛の痛みと寒気で寝られず。

朝方に5分間隔を切り、寒気も治らず熱を測ったら39度!

また病院に電話をして、5分間隔を切ったこと、熱があることを告げると言われた言葉は、

「熱あるのに産婦人科に来られたら困る」

(え?この人何言っとんの?じゃあ自宅で産めってこと?)

そのまま伝えると、また3分間隔切ったら電話くださいと言われ、朝7時に3分間隔を切ったらので電話したら「今すぐ来てください」。

ようやく病院に行けること、もうすぐ赤ちゃんに会える楽しみに、痛さと熱の寒さのなか少し安心できた自分がいました。

そしてそのまま入院。心拍を測り、内診をしてまだまだやねと言われ、陣痛と戦っていると看護師さんがバタバタとしだしました。

痛みを耐えながら不安に思っていると、

「赤ちゃんの心拍が落ちてきてる、このままだと危ない」

言葉の意味を理解するのは、あの時は難しすぎました。

同時に、(あの時ちゃんと診てくれていたら、私の熱も赤ちゃんの心拍もこんなことにならんかったんやないの?)と、理不尽かもしれないけど怒りも込み上げてきました。

そして先生が入れ替わりで病室に来て、

「この産婦人科での出産は難しい。違う大きい病院にうつってもらいたい」

痛みもだんだん強くなり熱のせいかフラフラで、

「もうなんでもいいしどこでもいいで、赤ちゃん無事に産ませて」

それだけ願ったことを覚えています。

そして救急車で搬送され、そこでも

「赤ちゃんの心拍が弱くなってきてるので、このまま自然に待つより帝王切開にしよう」

と言われました。

その言葉を聞いて、(自分がしっかりしてなかったからや)(赤ちゃん苦しいなんて…ごめんね、ごめんね)と涙を流すことしかできず、駆けつけてくれた私の母親と旦那が

「娘(嫁)と赤ちゃん無事によろしくお願いします」

と先生に言ってくれ、私は同意書にサインをしました。

そして時間が来るまで陣痛との戦い。前駆だったとしてもあの痛みは表しようがないほど壮絶な痛み。

そして熱。大きい病院についてからも39.8まで上がっていたそうです。

なにより赤ちゃんの心拍が弱くなってきていること、自分を責めることしかできませんでした。

そして時間になり、手術室へ運ばれ、緊急帝王切開。

麻酔がとても痛かったことは覚えています。痛みが薄れていくと同時に息苦しさも感じました。

手術中も意識はあるので、先生の手術服?に血がついているのを目にしたり、臓器を触られている感覚がわかって気持ち悪かったな。

ボーッとしていたら、

「赤ちゃん出ます!おめでとう!」

と先生の声が聞こえて、取り出されたのはわかった。なのに肝心の赤ちゃんの泣き声がしない。

「え、赤ちゃん泣いてない?」

って理解するのに時間はかからず、周りにいた他の先生や看護師さんがドタバタして、赤ちゃんの口になにか器具を入れているのは見えました。

もうその時は怖くて怖くて、

「私はいいから、赤ちゃんお願いだから声を聞かせて!!」と涙を流すことしかできませんでした。

そして『…ふぇ…』って小さい小さい声がして、そのあと『んぎゃー』と泣いてくれた、その声を聞いた瞬間、涙が止まらなくなりました。

怖かった。でも生きてくれてる。それだけでもうなにもいらない。

本当にこんな気持ちになりました。

そのあと、呼吸が安定しないということで赤ちゃんはNICUに連れていかれました。

私は熱があり、赤ちゃんに会えたのは出産3日後。

この3日間が人生で一番辛かった。まず熱が下がらずフラフラ。そして帝王切開の後陣痛をナメてました。

これは経験者でないとわからないと思いますが、とてつもない痛み。それでも傷の癒着を防ぐために無理にでも歩かされる。私は泣きながら歩きました。周りの帝王切開経験者に聞いても、この痛みが本当に辛いと、みんな口を揃えて言います。

そしてそれだけ腹を痛めて産んだ我が子を抱けない、触れない辛さ。これがなにより辛かった。

それでも『我が子も頑張って生きようとしているんやから』と自分に喝を入れ、後陣痛を乗り切ることができました。 関連記事:本当の戦いは産んだ後に待っていた! 痛みに強い私が涙した、帝王切開後の辛さ

3日後に初めて我が子を抱いたとき、こんな軽いのに命の重みを実感し、何よりも愛おしさが増しました。

帝王切開なので、入院は普通分娩の方より少し長く、その間、私はなぜ熱が出たのか、心拍が弱まったのか、検査検査の毎日。

結果、もしかしたら妊娠糖尿病だったかもしれない。と。

「なんで?妊婦中に順調順調しか言われなかったのに」

と聞いたところ、

「普通なら検査で出るはずなんや。そこの産院検査したやろ?絶対なんか出たはず。産んだあとからは結局後の祭りなんや」

と言われました。

「それにしても、妊婦中こんな数値でよう頑張ったなぁ。ストレスの数値とかすごい値やし、頑張って出産したんやな!」

その先生の言葉に気持ちが軽くなりました。

『帝王切開なんて出産じゃない』『痛みがわからんのに母親になれない』なんて言われたり思ったりした人もいると思います。

私も出産するまでは、帝王切開よりは自然分娩がいいと思っていました。

だけど自分が経験して、周りにも言われたりして感じたことは『帝王切開でも立派な出産』だということです。

安全確実な出産なんてない。お母さんはみんな、必死に頑張って命がけで我が子を産むんです。

だからこれから帝王切開するお母さん、帝王切開と言われたお母さん、気を落とさないでください!周りに冷たいことを言う方もいるかもしれないけど、帝王切開も立派な出産!

たくさんの不安の中、十月十日我が子を必死に守ってきたお母さんは立派!

私もドタバタして落ち込んでたくさん泣いた出産だったけど、それでも今は帝王切開にしてお腹に作った傷も私の誇りです。命がけで出産できて我が子を産めたこと幸せです。

著者:さゆちゃん

※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。

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