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ストック・エイトキン・ウォーターマンの極めつけディスコヒット5曲

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80年代後半〜90年代初頭にかけてディスコで人を連発していたのがバナナラマ、カイリー・ミノーグ、リック・アストリーらのユーロビート勢だが、彼らをプロデュースしていたのがマイク・ストック、マット・エイトキン、ピート・ウォーターマン(SAW)らによるユーロビート制作チームだ。今回はSAWが生んだディスコヒットを紹介する。
ストック・エイトキン・ウォーターマンの極めつけディスコヒット5曲 (okmusic UP's)

ユーロビートの仕掛け人、SAWが生んだディスコヒット
70年代のディスコサウンドは、ソウルやファンクが中心となって広がっていったが、80年代にはシンセを多用したロックやポップスが中心となり、その後はほぼシンセのみによる無機質なユーロビートへと人気が移り変わっていく。80年代中頃から後半にかけてのディスコは、どの時代よりもポップス志向が強かったが、それはディスコの世界的な流行によって、若い世代も通うようになったからである。若い世代だけにそれまでよりもテンポの速い曲が好まれるようになり、SAWはそのあたりの配慮も上手かった

1984年にリリースされたデッド・オア・アライブの「You Spin Me Round(Like A Record)」がディスコで大ヒット、この曲はユーロビートの仕掛け人として知られるSAWのプロデュースによるもので、彼らのプロデュース手腕に注目が集まり、バナナラマ、リック・アストリー、カイリー・ミノーグらがこぞって彼らをプロデュースに迎えることになる。ディスコでのSAWの全盛期がやってくるのである。彼らの創り上げたデジタルサウンドは、メリハリの効いたリズムを中心に据えて“踊る”ことに主眼を置きつつメロディーも重要視するというスタイルであった。90年代後半のモー娘。や小室ファミリーの音はSAWにかなりインスパイアされていると思うが、要するにあの感じがSAWの得意とする音作りであった。80年代中期には若い世代がディスコに通うようになったため、ソウルやファンクといった暑苦しいサウンドよりも、軽くてスナック感覚を持つポップなサウンドのほうが好まれたからである。しかし、その軽さは飽きがくるのも早く、90年代中頃までにはユーロビートは廃れていく。

それでは、SAWプロデュースによる極めつけのディスコヒットを5曲セレクトしてみよう。

1.「ヴィーナス(原題:Venus)」(‘86)/バナナラマ
バナナラマはイギリス出身の女性3人組。SAWの方法論には古い曲のカバーが多いことでも知られているが、これがその代表的なナンバーだ。オリジナルはオランダのグループ「ショッキング・ブルー」の69年の世界的大ヒット。僕が小学校の頃、この曲はラジオや商店街など、いたるところでかかっていただけに愛着を感じているが、かなりテンポは速くなっているものの、意外にオリジナルに忠実な仕上がりで、素材を活かしたアレンジが好ましい。当時、MTVで毎日のようにミュージックビデオがオンエアされていて、彼女たちの振り付けがシンプルだけに新鮮だった記憶がある。PUFFYの自然体の雰囲気ってバナナラマが手本じゃないのかな。この時期、バナナラマは他にも「アイ・ハード・ア・ルーマー(噂)(原題:I Heard A Rumour)」とか「第1級恋愛罪(原題:Love In The First Degree)」(共に87年)など、ディスコで大ヒットを飛ばしまくっていた。昨年、27年ぶりに来日公演が行なわれたみたいで、50オーバーだとは思うけど、未だに健在(3人組ではなく現在は2人組)なのは嬉しい。バナナラマはディスコヒットが多いので、単独で取り上げるべきかもしれないと今思案中。

2.「トイ・ボーイ(原題:Toy Boy)」(‘87)/シニータ
彼女はアメリカ出身の黒人歌手ではあるが、幼少期からイギリスで育っている。デビューのきっかけは、後にテレビ番組『アメリカン・アイドル』の審査員でお馴染みとなるサイモン・コーウェルに歌唱力が認められたからであった。86年にリリースした「ソー・マッチョ(原題:So Macho)」が全英チャート2位となる。この時はユーロビートの前身であるハイ・エナジー(1)の歌手として知られたが、その後SAWの面々にプロデュースを任せることになり「トイ・ボーイ」が4位まで上昇するなど、ディスコで大ヒットした。この曲は88年に日本でも大ヒットし、オリコンの洋楽チャートで12週連続1位となり、洋楽年間チャートでも1位となっている。ただ彼女はヒットがヨーロッパに限られていただけ(日本でのヒットはあったが)に、アメリカであまり知られていないことで、今では忘れられた存在となっているのが残念である。ヒットを飛ばしていた80年代後半には、あのブラッド・ピット(無名時代)と交際していたことでも知られる。

3.「ギブ・ユー・アップ(原題:Never Gonna Give You Up)(‘87)/リック・アストリー
彼のデビューシングル。この曲はアメリカやイギリスだけでなく、世界中でチャート1位を獲得し、一躍有名人になった。日本でもデビュー当時のアイドル的な人気は相当なもので、ディスコファンだけでなく、童顔で可愛らしい顔をしていたからコマーシャルにも登場するほどであった。ソロデビューする前は、ブリティッシュ・ファンクのグループ(グループ名はFBI。アベレージ・ホワイト・バンドと比べられるほどの本格的なグループ。僕は1枚しか持っていないが、それには残念ながら未参加)でドラムをやっており、若いが新人ではなかった。SAWが目を付ける歌手はみんな歌が上手いが、彼はその中でも数少ないソウルフルな歌い方ができるシンガーだ。彼の強みはユーロビートが消滅しても歌で勝負できたところにある。昨年には8枚目のアルバムとなる『50』をリリース、デビューアルバム以来の全英1位を獲得している。そのデビューアルバム『ウェンネバー・ユー・ニード・サムバディ』は全10曲収録されていて、アストリー自身のペンになる曲が4曲(うち1曲は合作)収められているが、ヒットした曲は全てSAWの3人が作詞作曲しているのだから、彼らの才能が並外れていたことがよく分かる。

4.「ラッキー・ラブ(原題:I Should Be So Lucky)」(‘88)/カイリー・ミノーグ
オーストラリア出身。アイドル的な魅力で、デビュー当時は男性にも女性にも人気があった。日本で特に有名なのはWinkがカバーした「愛が止まらない〜Turn It Into Love〜」であろうが(これは日本だけのシングルカット。外国で流行ったのはヘイゼルディーンのバージョン)、やっぱりディスコで一番人気だったのは「ラッキー・ラブ」だと思う。切なげなAメロと楽しさに満ちたサビのメロディーが対照的で、その仕掛けが大いに受けた。ユーロビートの場合、リズムトラックはどの曲もたいがい似通っているので、メロディーの良さとシンガーのキャラクターが大切な要素になってくるが、SAWのダンサブルなアレンジが秀逸で日本のディスコでも大人気であった。本作は全英チャートで1位を獲得し、日本ではオリコンの洋楽チャートで12週間トップを独走するという輝かしい記録となった。彼女のすごいところはディスコだけで勝負していなかったところで、ニック・ケイブやコールドプレイ、日本ではm-floのVERBALなどとコラボするなど、あの小さい体でデビューから現在に至るまで活躍を続けているところ。今でもファンは多い。

5.「ユール・ネバー・ストップ・ミー・ラビング・ユー(原題:You’ll Never Stop Me Loving You)(’89)/ソニア
英リバプール出身の歌手ソニアのデビューシングル。彼女の歌声に惚れたピート・ウォーターマンが尽力しただけあって、発売されると3週間後にはイギリスのチャートで1位となり、アメリカでもビルボードのダンスチャートで10位を獲得。これが彼女の唯一のナンバーワンヒットなのだが、彼女のチャーミングな歌声はSAW軍団の中でもトップにランクされるものだろう。日本のディスコでももちろん大いに流行り、日本の歌謡界でもアップテンポのものからスローなものまで、この曲をモチーフにしたアイドルものが大量生産されていたように記憶している。この曲を聴くとバブル全盛期の頃を思い出す人も少なくないと思う。ただ、彼女は一発屋ではなく、しっかりとした歌唱力と表現力を持っていただけに、この曲が収録されたデビューアルバム『エブリバディ・ノウズ』(‘90)から本作以外に「Can’t Forget You」「Listen To Your Heart」「Counting Every Minute」「End Of The World」の4曲をチャートの20位以内に送り込み、1枚のアルバムから5曲の大ヒットを生むという快挙を成し遂げている。これはイギリスの女性シンガーでは初めてのことであった。その後、SAWチームと対立し、彼らのもとを離れていくことになる。

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