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“日本のビジネスパーソン”に新たな機会を——パラレルキャリア促進で日本の雇用慣習を変える

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今、あなたが働いている場所は「もっとも自分にふさわしい」と感じられますか? もしもそう感じていなければ、あなたをそこにとどまらせている要因はなんでしょうか。給与、勤務時間、勤務地、同僚、家族……? リクルートキャリアの古賀は、かつて大手メーカーでエンジニアとして働いていました。そんな彼が転職に踏み切ったわけはなんだったのでしょうか。その人生を紐解きます。

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(プロフィール入ります)

 

子どものころは、成功と挫折の繰り返し

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1歳上の姉がいるのですが、4月生まれでなんでもできる活発な姉に対して、僕は早生まれ。小さいころは何をやってもうまくいかなくて、ずっと姉の後ろをついてまわるような子でした。忘れ物も多いし、スポーツも苦手で怒られてばかり。けれども小学4年生の時に姉が塾に通いだして、僕もそれについていくことにしたんです。すると、少しのことでも褒めてくれたり、楽しく勉強させてくれて、努力することが苦にならなくなってきたんですよね。

同時期にバスケットボールも始めたのですが、練習をサボっていたら自分ひとりだけレギュラーから外されたんです。あまりにも悔しすぎて、数カ月間必死でがんばって、やっとベンチに入れてもらえました。塾とバスケ、その二つが「がんばれば認めてもらえるんだ」ってことを教えてくれました。最初の成功体験だったのかもしれません。。

高校ではバスケ部のキャプテンを務めて…と言うと聞こえはいいですが、僕にとっては挫折でした。キャプテンになったからには、「チームをまとめなくては」「サボっている人を怒らなければ」と、基本”マスト”で動いていたんです。すると、誰もついてこなくなってしまって。「こうするべき」と頑すぎたのでしょう。結局それを改善することができないままに、部活を引退してしまいました。

そのモヤモヤした想いをぶつけるように、受験勉強は必死にやりましたね。一日14時間勉強。ちょうどAIBOやASHIMOが話題になっていたころで、ロボット工学に興味を持ったんです。その甲斐あって、第一志望の東京工業大学に合格しました。あの頑張りがあったからこそ、今の僕があると思っています。

そして意気揚々と大学に入学したものの、ハナから壁にぶつかりました。高校時代は成績上位だったのに、専攻を決める試験では最下位から2番目。僕は公式を一度証明して、納得してから解くタイプだったのですが、周りは公式や先行研究を既に頭に叩き込んだ状態で、どんどん応用して解いていく。僕みたいに「そもそもに立ち返る」ようなやり方ではまったく通用しないんです。そのギャップをひきずったまま大学の4年間を過ごしてしまったので、その後研究室に入って、モノの考え方から成果を出すことの重要性に気付くまで、相当鍛えられましたね。

一方、大学でも高校と同様、バスケ部に入部しました。「シックスマン」と呼ばれる交代要員だったのですが、ピンポイントに投入されるので、常に試合の流れを理解して、「自分がなぜいま投入されたのか」を踏まえて動かないと、すぐに交代させられてしまうんです。それまでの僕のプレースタイルは、あまり頭を使わず、自分のことばかり考えていたのですが、大学では「ちゃんと周りを見ろ。周りがおまえに何を期待してるか、考えろ」とたびたび指摘されて。それを意識しだすと、プレーはもちろんですが、あれだけ高校時代に苦労したチームメイトとの関係性も、円滑になっていったんです。自立していながら、しっかり周りを見ていて、団結する時には団結する。その自然な温度感が、うまくコミュニケーションを取れるきっかけになりました。

「世の中に価値を生み出したい」と飛び込んだ前職時代

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大学卒業後は大学院に進学。その後、「世の中に価値を生み出したい」という軸で就職活動をして、大手メーカーに入社しました。配属された先は希望通り、ソフトウェア開発の部署。研究室にいたころはハードウェアにあたる「機械制御」を学んでいましたが、ハードウェアは、いわば身体の「骨格や筋肉」。より価値を生み出したいのなら「頭脳」であるソフトウェアを開発したいと感じたのです。大学院時代の専攻とは異なっていた業務ということもあって、それからの4年はやればやるほど自分のスキルが上がっていく感覚がありました。

ただ、少しずつ自分が本当に求めていることから遠ざかっていくような気もしたんです。制約条件の中でいかに最大限の結果を出すかが問われる環境。コンセプトメイキングというよりは、既に設定されている目標に向かって、ひたすら改善する、というアプローチでした。このままではよくないと思い、社内公募に手を挙げて、新規事業開発の部署に異動したんです。

そこでは、同じ社内にも関わらず、まるで転職したかのように新しい経験の連続でした。自分でコンセプトをつくり、検証し、事業化する。事業化のために必要なチームを作るため、どういうメンバーが必要なのかを考える。すべて、自分でハンドリングすることが求められる環境でした。

開発コンセプトを考える時にアドバイスされたのは、「自分が逃げられないテーマを選んだほうがいい」ということ。そこで僕は、この“社内転職”の経験を踏まえて、コンセプトを「パラレルキャリアを普及するためのプラットフォーム」に設定しました。同時期にNPO法人「二枚目の名刺」に参画していたこともあり、企業とNPOをマッチングさせて、「会社員に本業とは異なる社会活動に取り組んでもらうことで社員教育を行う仕組み」が作れないかと考えました。

でも、その矢先のことでした。僕のいた新規事業開発のセクションがなくなってしまったんです。

夢の続きをリクルートキャリアで叶える

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会社に残って他の部署に移り、新たなプロジェクトに取り組む道もありましたが、最終的には転職を選びました。息子が生まれて、働き方を変えていくことに興味を持ち始めたことがきっかけです。前職時代にコンセプトを考えている頃から、ベンチマークとしてリクルートのサービスを研究していました。縁あって2014年に入社し、現在は“仕事を辞めずに成長企業の経営に参画できる”プラットフォーム「サンカク」のメディアプロデューサーとして事業に関わっています。お気づきかとは思いますが、ソニー時代に立てたコンセプトにかなり近い。それだけ大手メーカー時代、徹底的にコンセプトメイキングに関しては鍛えられたということです。ただ、当時は「これで俺も事業を作れる!」と思っていましたが……リクルートキャリアに入社して、完全に鼻を折られましたね。そもそも、お金や数字に関しての感覚が違っていたんです。

以前なら課長クラスにならなければ、予算や採算面を問われることはありませんでした。入社数年程度の自分は、ざっくりとした数字すら把握しておらず、「予算を確保する」なんて意識もまったくありませんでした。けれどもリクルートキャリアでは、社員一人ひとりが明確な数字を意識して動いている。数字のシミュレーションなんて「なんのことか全然わからない…」みたいな感じだったので、上司からはずいぶん怒られました。今では難なくできるようになりましたけど。この数字感覚、スピード感覚がこの会社の強さなんだと、身に沁みてわかりました。

今は、僕自身はおもにカスタマー側にどんな価値を返せるか考えるところに重きを置いているのですが、前職時代から一貫しているのは、「“視野が会社に閉じてしまっているビジネスパーソン”に、他業種・他業界に挑戦できる機会を提供したい」ということ。壊したかったのは、「どうせよそに行っても通用しない」とか、「新卒で入社した会社に居続けないといけない」っていう固定観念なんです。

会社の外に目を向ける機会をつくることで、結果的に僕のように転職してもいいし、逆に自分のいる会社の良さを知って「仕事がもっと楽しくなった」と感じてもらってもいい。そうやって選択肢が広がっていけばいいと思うんですよ。

今はただ、この「サンカク」を成功させて、もっとパラレルキャリアを世の中に浸透させたいと考えています。先のことなんて、わからないじゃないですか。僕自身、18歳の頃はロボット博士になりたくて、23、4歳の頃はメーカーでエンジニアとしてバリバリ働くって言ってて……今、これですから(笑)。でも、そんなものかなって思うんです。この世の中に価値を生み出したい、既存の概念を変えたい……そのための手段は、その時々によって変わってくるでしょう。10年後? どうだろう、日本にいないかもしれませんね(笑)

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