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学校だけではなく社会全体で認知症教育を行ってみよう

平均寿命の長い日本人に生まれた以上、多くの人が認知症者になることは目に見える未来として迫ってきています。今回は予防、治療ではなく、ちょっと極端かもしれませんが、「ヒトは認知症になる」ことを前提として、教育の観点から考えていこうと思います。

はじめに

明らかに認知症状の現れている人が、ひとりで街中を歩いているとします。多くの人は「おかしいな」と思いながら通り過ぎるか、スマートフォンの電話アプリを立ち上げて110をタップするかのどちらかではないでしょうか。

ただ、その人の横を通り過ぎる100人の中で1人でも、「この人は認知症かもしれない」と気づき、「こんにちは」と声をかけるか、少し足を止めて見守ることができれば、その認知症者の人生は今よりも良い方向に動き始めるかもしれません。

風邪と認知症と、教育と

極端なことを言えば、100%の無菌室を造り、その中から一生涯外出せずに暮らすことで、「風邪をひかない人生」は手に入ります。その代わり、外の世界に広がる多くの素晴らしい体験を手にいれる機会を失います。

風邪をひく代わりに、美しい風景、自然、人工物に囲まれ、多くの人と関わりながら人生を送ることができるのです。もちろん理想は「風邪をひかずにそれらを手にする人生」ですが、未だ人類は風邪を根絶することはできていません。

認知症はどうでしょう。当然のように人類は、「認知症予防・認知症治療」に挑戦し続けていますが、風邪と同じく未だ100%有効な手立ては見つかっていません。

認知症を知るのはいつか

例えば、「人間は老いるもので、この人生の先には認知症がある」と理解している子供は少ないでしょう。成長するにつれて、周囲の祖父母や両親といった大人たちが老いていき、傍では新しい命が誕生し続け、環境も人間関係も変化していく中で「ヒトは老化する」ことを実感するのではないでしょうか。

そんな中、ある人は小学生の頃、ある人は社会人になってから、それぞれのステージで「認知症」に出会います。それは実家のリビングかもしれませんし、交通事故を報じるテレビニュースかもしれません。人生のどの段階で「誰」の認知症に出会うかによって、認知症に対するイメージや対応は変わってくることでしょう。

核家族化、幼児期~学童期に高齢者と触れ合う機会が減少している昨今、テレビから流れる「認知症高齢者の交通事故」「認知症による行方不明者が…」といったネガティブなエピソードを一方的に耳にする機会が増えてきています。もちろん事実もありますが、ひとつの側面だけを切り取った情報は、高齢者や認知症者への印象が偏ってしまうことも考えられます。

「知っている」をつくる教育

これほど高齢者・認知症者が増加している中で、教育にそれらが含まれることはもはや自然な流れです。実際に「総合学習」の時間に認知症教育を取り入れ、他の教育機関と連携した学習に取り組んでいる小中学校も存在しています。

まず、小学生をはじめとした子供たちに何を伝え、「どうあってもらうこと」が認知症者にとって住みやすい環境なのか?を考えます。介護教員としては外せない倫理や尊厳という難しい話はもちろん、最も大切はことは「知っている」という状態になってもらうことではないでしょうか。
認知症という言葉を「知っている」
認知症の人がいることを「知っている」
その人はあなたと同じ「この町の住人」であることを「知っている」
その人はたまに困ることがあることを「知っている」
その時、あなたにできることがあることを「知っている」
あなたにできることがあるようにその人にもできることがたくさんあることを「知っている」
あなたも認知症になる可能性があることを「知っている」

自分の内面にある主体的な感情の動き、記憶。客体として存在している人、物、環境、現象。それらの中に「認知症」というワードと状態が組み込まれること、それが教育場面で行われても自然な時代になっていると考えられます。

教育場面は学校に限らない

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