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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#37 アロマテラピー

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 アロマテラピー。
 すでに知れ渡った王道ヒーリングメソッドだけど、あらためておさらいしてみたいと思う。今年最後の新月譚として、旧知の友人と会うような感じで、落ち着いて読んでいただけたら。

 アロマテラピーとは、直訳すれば香り療法で、植物から抽出されたエッセンシャルオイル(精油)を用いた健康法というのが一般的な定義だ。だが、その香源をエッセンシャルオイルだけに限定せずに、季節の花や潮風の香りで緊張した心が和らいだり、好きな人の体臭に癒されたり、ハーブティーを飲んだりと、香りを楽しむということ全般もアロマテラピーと言えるだろう。
 日本には室町時代に整えられた香道があるが、それ以前の仏教伝来と共に香木が伝えらえられ、宗教儀式や平安時代の貴族の遊びやたしなみに浸透していた。もともと自然観察において秀でた繊細な感覚を持っている日本人にとって、香りというのは、おそらく一般市民の間でも随分昔から楽しまれていたと思う。
 普段、芸術に無関心な人ですら、冬の焚き火や、街路樹の匂いを口にするくらいだから、香りというのは、生活の彩りとして古くから楽しまれてきたに違いないと思うのだ。

 見聞という言葉があるように、嗅ぐという感覚は空気に触れるかのように地味なものとされ、「見聞」より一段低く扱われてきたようだが、きっと私たち人間は、世界を目や耳だけでなく、鼻を使ってしっかりと捉えてきたのだ。もっと嗅ぐことが一段も二段も上がっていいと思う。
 そう鼻息を少し荒くした私だが、嗅覚にはちょっとした自信があり、「ん?臭うな」などとクンクンしながら周囲を見渡すことも多く、居合わせた人を怪しませることも少なくない。自分以外は気づかない匂いを探し当てた犬の孤独を、私は少しだけ知っている。
 嗅覚が敏感なのは良いことばかりではなく、都会の雑踏においてはむしろその能力を封印しておきたいくらいだ。特に夜更けの飲食店街などにおいては。
 数年前から嗅覚に膜がかかってしまった母は、食べ物が美味しくなくなったとぼやいている。老齢が原因なので仕方ないとしても、とても気の毒で、匂いのぼやけた世界というのは、食事だけに限らず色彩を失うに等しいのだろう。
 そんな母の事例もあって、今こそ改めて香りを楽しんでいこうと思った次第だ。

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 香りが心身を癒す仕組みを科学的に説明すると、五感のうち、視覚、聴覚、触覚、味覚の4つは、思考や言語を司る大脳新皮質を経由してから心身に作用する。つまり一旦ジャッジが入るということ。それに対し唯一嗅覚だけが、感覚や欲求を司りホルモンや免疫系の分泌を促し自律神経を調節する大脳辺縁系へ直接届く。これはつまり顧客とダイレクトにつながっているアマゾンみたいなもので、中間業者がいない分、素早く効果が表れる。嗅いだ瞬間にストレスは柔らぎ、自律神経の乱れが整う。さらに大脳辺縁系というのは、記憶や感情に携わるので、精神的な問題にもすっと効く。また、香りの有効成分は鼻からだけでなく肺や皮膚からも吸収されて、血液や体液により全身にくまなく運ばれて心身に働きかける。
 天然素材の良い香りを嗅ぐだけで、心身が整うというのは、とてもシンプルで、クリーンな自然エネルギーで生活するような清々しさを感じる。医療や化粧のために精油を用いていた古代エジプトの頃から数えると五千年以上もの歴史があるのに、とても現代的で未来的な質感もある。これを用いない手はないのではないか。

 とはいえ、すでにメジャーなヒーリングである。アロマ用のオイルウォーマーやディフューザーはインテリアとしても部屋に馴染むし、それがあるだけで、知的で健康的な演出となりえる。さらなる利点として、見る、聞く、食べる、着るに留まらずに、香りを楽しむ日常がある人は、目に見えない何かを愛でることが出来る人として、感覚の豊かな人として、相手に好印象を一つ加えることができると思う。
 日本には香道というものもあるし、ヒーリングと分けて見ても、香りを楽しむというのは、粋な遊びだと思う。
 厭世的な物言いをするつもりはないが、所詮この世に生きるということは、遊びでしかないと私は思っている。好みの人と、好みの場所で、好ましいことをする。それに尽きるのではないだろうか?そういう当たり前を夢物語だの、白昼夢だのと揶揄するのは簡単だし、揶揄以前にぴんとこない人ばかりが群衆として世を闊歩しているのなら、私はなんとも時代外れのまさしく一門外漢でしかないのだが、それを知って敢えて言えば、香りを愛でるというのは、鳥が歌をうたうが如く、ごくごく自然な遊びだと思う。そして遊びのない人生は、せいぜい見栄えの良い双六程度の紙一枚に過ぎないのではないか。

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