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現実と情報を可逆化する海、人知を越えて流動する書字空間

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現実と情報を可逆化する海、人知を越えて流動する書字空間

 十年ぶりの作品集。飛浩隆はまちがいなく現代SFのトップランナーのひとりだが、いちじるしく寡作だ。考えてみるとこれは凄いことで、ポツポツと発表するだけでその存在を読者の印象に刻みこんでしまう。一篇ごとのインパクトが非常に強いのだ。右に並ぶのはテッド・チャンくらいか。

 七篇を収録。最初の一篇「海の指」がもう圧倒的だ。

 はじまりのシーンは卓袱台での朝食。日常的情景というよりも、むしろ様式化された(テレビドラマのような)日常だが、そこから視点がうしろへ引かれるにつれて、その日常を包みこむ世界の異様があきらかになる。家を出て路地を進むと、下り坂の先にイスラム風の大門が居座っている。海に面したこの町の斜面に広がっているのは、立体的な蜂の巣状になった建築様式のパッチワークだ。ティカルの碑文神殿、グッケンハイム美術館、ケレタロのサンタ・クララ聖堂、デヴァター像を擁するバンテアイ・スレイ……。原型をとどめているものもあるが、なかには溶けかけの蝋燭のように崩れているものもある。建築同士がキメラ状に融合しているものもある。そんな構造に嵌めこまれるように、平凡な八百屋、荒物屋、クリーニング屋、電気店などの商店が営業をしている。

 シュルレアルの悪夢ともいうべきイメージだが、それを描いていく語りがまた絶妙だ。卓袱台のある家から出た主婦、志津子が勤め先へ歩いていく。それをカメラで追うように叙述がなされる。彼女は「帰りにハムカツを買わなくちゃ」と考える。夫が夕食に食べたいといったからだ。世界の異様さとのコントラストが凄い。

 異国の建築物は〈海の指〉が灰洋(うみ)から押しあげたものだ。灰洋は水ではない。見た目はそば粉を溶いたような流体だが、物質ではなく、かつて物質だったものが微細に解体された情報の溜まりなのだ。ときおり津波のような〈海の指〉があらわれて、灰洋からランダムに物質を陸に運びあげる。

 志津子の前夫、昭吾は〈海の指〉が町をおそったときに灰洋へ飲まれて解体されてしまった。妻に暴力をふるうような男だったから、周囲はだれも悼まない。志津子は新しい夫、和志と平和に暮らしている。和志の仕事は、音響的操作で灰洋を探り、物資をサルベージすることだ。

 この日、大きな〈海の指〉が発生し、町は大混乱に陥る。〈指〉にとって距離は関係ない。町の地底を木の根のように枝分かれしながら進み、突如、地上に物質を出現させる。この大災害のさなかに、昭吾が還ってくる。しかも、人間でいたころの身体ではない。いったん灰洋で情報に解体されているので、そこから自在(?)に物質化しうるのだ。この怪物じみた存在は、作品中で「昭吾」と括弧つきで示される。

 物語はホラーパニックでありスペクタクルだが、未知なる存在(海)によって過去が再構成される展開はスタニスワフ・レム『ソラリス』と共通する。ある種の「予感」を孕んだエンディングも似ている。

 ただし、テーマの中核に大きな違いがある。『ソラリス』では、海が再生した人格に意識(内的状態)があるかどうかは最後まで明らかにならなかった。外から観測していると、実際に心があるか、それともそう振るまっているだけか区別がつけられない。それに対して、「海の指」では灰洋から還ってきた「昭吾」の意識が語られる。この小説は三人称、いわば神の視点をとっており、登場人物の心の動きも直接にあらわされるのだ。〔「昭吾」は不快を感じた〕というように。「昭吾」だけではない。これからお読みになるひとのために詳述は避けるが、この作品ではもうひとり、いったん情報へと解体されたのち物質化された存在が登場する。そちらはいっそうはっきりと意識が描かれる。

「海の指」は単独でも年間ベスト級の傑作だが(実際、ファン投票による星雲賞を受賞している)、この短篇集で読むとさらに印象が際立つ。物語上のつながりはないけれど、イメージやテーマが共振するからだ。

「自生の夢」(こちらも星雲賞受賞作)は、〈忌字禍(イマジカ)〉と呼ばれる悪意ある言語構造体によって人類が蹂躙されたのちの世界で、語り手の〈わたし〉が希代の殺人鬼、間宮潤堂と対話をする。非常に凝った構成の作品であり、〈わたし〉と潤堂のパートも平行して、〈忌字禍〉の経緯が明かされていく。

 前提となるのは、創作の自動生成があたりまえとなり、オーナーの体験をリアルタイムでテキスト化するツールCassyが普及、過去に紙メディアでなされた記録もすべてテキスト化され、Webで共有されたうえであらゆる言語に自動翻訳されるようになった状況だ。そこは人間の意図とは無関係につねにテキストが流動する「電子的書字空間」であり、ひとは検索機能を用いて便利に使っているつもりが、じつは複雑化した第二の自然に飲まれていたのだ。

 ここにいる間宮潤堂は生身ではなく、〈わたし〉との対話もCassyの群が「電子的書字空間」を検索して出力している結果なのだ。Cassy個々には意識はない。一匹ずつの蟻と同じように自律的に動き、群全体としてあたかも意思があるように機能するだけだ。つまり、語り手とされている〈わたし〉は主体的な一人称ではなく、あるアルゴリズムに割りあてられた名称である。それは秘密でも謎でもなく、物語の序盤でこともなげに明示される。

 作品のたたずまいはかなり違うけれど、「自生の夢」の第二の自然である電子的書字空間と「海の指」の物質を情報へ解体した灰洋は、どこか通底するものがある。同じ命題に別々の解法でアプローチしているような印象だ。そうみなすと、〈わたし〉が主体的な一人称でなかったように、灰洋に一度飲まれた人物の内面性も私たちがふつうに考える意識ではないかもしれない。

 こうした議論は当然、この作者の代表作《廃園の天使》シリーズへもつながっていく。おそらく精読すれば、実存的自己や身体性と認知科学や情報理論がひとつ地平の上でつながっていくだろう。本格的な飛浩隆論がまたれるところだ。

(牧眞司)

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