第52回 <怪獣ブーム50周年企画 PART-5> 『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』

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●「怪獣ブーム」とは
 今から50年前の1966年1月2日、記念すべきウルトラシリーズの第1作目『ウルトラQ』が放送を開始した。『鉄腕アトム』や『鉄人28号』などのアニメを見ていた子供達は、一斉に怪獣の虜となった。すでにゴジラ映画は6本を数え、前年の1965年にはガメラがデビューした。『ウルトラQ』終了後、これに拍車を掛けたのが同時期に始まった『ウルトラマン』と『マグマ大使』。見た事もない巨人が大怪獣を退治していく雄姿に、日本中の子供達のパッションがマックスで弾けた。
 これに触発された東映も『キャプテンウルトラ』『ジャイアントロボ』『仮面の忍者赤影』と次々に怪獣の登場する番組を制作。大映はガメラのシリーズ化に併せて『大魔神』を発表し、日活と松竹も大手の意地を見せて参戦した。そして少年誌はこぞって怪獣特集記事を組み、怪獣関連の出版物や玩具が記録的セールスを計上した。これは「怪獣ブーム」と呼ばれる社会現象となり、『ウルトラセブン』が終了する1968年まで続いた。
 ちなみに『帰ってきたウルトラマン』『仮面ライダー』が始まる1971年から1974年にかけて再ブームを起こすが、これは「第二次怪獣ブーム」(「変身ブーム」ともいう)と呼ばれ、最初のブームは「第一次怪獣ブーム」として厳密に区別されている。

◆◆◆

『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』
1966年・東宝
監督/福田純
脚本/関沢新一
出演/宝田明、水野久美、平田昭彦ほか

 1966年の12月、怪獣ブームも佳境に入り、東宝の正月映画(冬休み映画)は3年連続ゴジラだった。公開前に発行された『週刊少年サンデー』で特集された『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』の記事に、当時小1だった私は胸躍った。新怪獣エビラは「放射能液を吸い巨大に成長した、エビ・サソリ・アメリカザリガニを合わせたような怪物」と紹介され、左手のハサミが槍状になっている点が独特だった。

10624.jpg公開前の『週刊少年サンデー』(小学館)/筆者私物 10653.jpgエビラの電動リモコンプラモデルの素晴らしいパッケージアート! だが左手が…(マルサン)/筆者私物

 この作品は製作までに紆余曲折があった。東宝は『キングコング対ゴジラ』(62年)を公開した際、米国RKO社から取得したキングコング5年間分のキャラクター使用権がまだ残っていた。そこで1966年にもう1本、キングコングだけに南海の孤島を舞台にした『ロビンソン・クルーソー作戦 キングコング対エビラ』の企画が進められた。だが、その内容に米国側が不服を唱えたため企画は大幅に見直され、翌年にエビラの出ない『キングコングの逆襲』で公開された。そこでボツになった『キングコング対エビラ』を、主役をゴジラに換えて再生させたのだ。

 漁で行方不明になった兄を探そうと弟の良太は、東京で知り合った大学生の市野と仁田、逃走中の金庫破り・吉川(初代『ゴジラ』の主役・宝田明)を道連れに、ヨットを盗んで出航する。4人は兄が遭難した海域でエビラにヨットを壊され、秘密結社・赤イ竹が核爆弾を製造しているレッチ島に漂着する。赤イ竹は、近くのインファント島から原住民を水上艇(船長は天本英世)で拉致して強制労働させていた。警備隊長・竜尉役は『ゴジラ』で右目、今回は左目に黒眼帯というセルフ・パロディの平田昭彦

 2人の原住民が小舟で脱走を図ると、「ベンベベン」とエレキギターが軽快に鳴り(この頃はザ・ベンチャーズによるエレキ・ブーム)、海中からエビラが出現して槍の左手で2人を田楽刺し! ちなみに体格のよい方は、『キングコング対ゴジラ』(62年)でキングコングの着グルミに入っていた広瀬正一。本来なら今回もコングに予定されていたのだろうが、一転エビラの餌食に……。

 原住民の中から1人だけ抜け出すことに成功したダヨは4人と合流し、良太の兄がインファント島で無事なことを告げる。ダヨを演じた水野久美は、それまで東宝映画の「美の象徴」としてキャリアを積み上げてきたのに、御年29歳にして全身を茶色に塗られブラとパレオを巻いた原住民という痛々しいお姿(失礼)に扮したのには訳があった。

 もともとダヨは、『ウルトラQ』第23話「南海の怒り」で島の原住民を演じた高橋紀子で撮影が進められていたのだが、盲腸で入院したため急遽水野に白羽の矢が立ち、19歳の高橋を想定した台本のまま29歳の水野に演じさせたのだ。だが話はこれで終わらない。1970年、東宝もしつこく高橋紀子を『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦! 南海の大怪獣』のヒロインに抜擢。その時彼女は「え? また南海~?」と思ったに違いないが(笑)、今度は結婚のため引退し(相手は寺田農!)、新人・高橋厚子が代役を務めたのだった。

 その頃インファント島では、東宝怪獣映画の定番、民族舞踏と歌でモスラ覚醒の儀式が始まる。だが祈りの歌は、今まで双子の妖精を華麗に演じたザ・ピーナツではなく、顔を茶色に塗られた(ザ・ピーナツは塗られなかった)ペア・バンビなる知らない歌手だった。

 さて、警備隊との追っかけっこで仁田が捕まり、原住民の作業場へ放り込まれる。エビラが苦手な黄色い木の実でエビラ避けの汁を作らされていることを知った仁田は、木の実ではなく同じ黄色の葉でニセ汁を作らせる。一方、仲間を助けるために吉川と市野は、洞窟で眠っていたゴジラを落雷のショックを利用して蘇らせることに成功する。

 咆哮と共に岩山から外へ出たゴジラは、いきなり目前の海で「キエエエ~」と鳴くエビラ(エビ、鳴く?)とガンの飛ばし合い。ゴジラとエビラは、岩を使って蹴ったり投げたりヘディングしたりとラリーの応酬(子供達は大喜び)。壮絶な怪獣同士の戦いを見物する赤イ竹の司令官(田崎潤)は「すぐ本部に連絡しろ。革命的怪物現る! と」。

エビラを退けたゴジラはダヨを追いかけ回し、座り込んだ彼女をジーっと見つめ、自分も胡坐をかいて居眠りする。ゴジラらしくない? そう、ここはボツ脚本のキングコングの名残だ。ここへ翼長25メートルもの大コンドルが襲撃するが、ゴジラは光線でこれを焼き鳥に! ダヨがゴジラに笑顔を向けると、ゴジラは右手の人指し指で鼻をこする。当時流行っていた加山雄三の「ぼかあ幸せだなあ」ポーズだ。

 ゴジラは赤イ竹の戦闘機隊を楽勝で全滅させ、基地も破壊して核融合施設へ迫る。「こりゃヤバイ!」と降参した赤イ竹は、島の自爆タイマーをセット。吉川らは原住民を解放し、赤イ竹幹部らは黄色い汁を積んで水上艇で島から脱出する。そこへエビラ登場。ニセ汁とは知らずに司令官「黄色い汁を撒け!」。水上艇は巨大なハサミの鉄槌を食らい、海の藻屑と消える。仁田の大ファインプレーだ。クライマックスはゴジラとエビラの再戦。「モスラはいつ来るの?」と焦り出す劇場の子供達……。3大怪獣の結末やいかに!

 原爆に触れてはいるが反核テーマ性は薄く、劇中のキーワードから当時のアジア情勢へのディスりが浮かぶ。作品が公開された1966年は、5月に毛沢東の文化大革命が起きた。「赤」は共産主義のイメージカラーで、「竹」は東アジアにおける共産主義陣営(中国と台湾の中華人民共和国)と反共陣営(香港、マカオ、台湾の中華民国)の境界線を指す「竹のカーテン」を意識したものだろう。「竜尉」なる人名も中国人っぽい。そんなこととは無関係に子供達は、ゴジラとエビラの能天気な戦いに純粋な喝采を送っていたのだった。

(写真・文/天野ミチヒロ)

10853.jpg公開当時のソフビ人形(マルサン)

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