ガジェット通信

見たことのないものを見に行こう

「ママのこと大好き」娘が、家族が支えてくれた。重症妊娠悪阻で寝たきりになった私

DATE:
  • ガジェット通信を≫

妊婦さんの八割はつわりを経験するといいますが、私はその中でも0.1~1%しか経験しないと言われている「重症妊娠悪阻」を二回経験しました。

食べ物も、水さえも受け付けなくなり、入院治療が必要なほど症状の重いつわりです。

普通のつわりのように、「コレなら食べられる」「この時間は気分がマシ」ということはありません。乗りきるワザもありません。

点滴治療を受けながら、ひたすらおさまる日を待つのみでした。

二度目の方が、一度目の経験から早めの対応ができたので、身体的な負担は少しマシでした。

今回一番気にしなければいけなかったのは、娘の存在でした。第二子の妊娠前、私は娘と毎日出かけ友だちと遊ばせ、栄養満点の幼児食を作り、自然や季節を感じさせ、できる限り娘のためになることをしてきたつもりでした。

そんな生活が妊娠悪阻によって180度変わってしまったのです。

第二子の妊娠発覚は娘が1歳8ヶ月になった頃でした。

覚悟はしていましたが、妊娠5週目に入ってすぐ、唐突にひどい悪阻が始まりました。

トイレにこもり吐いて、廊下に倒れこんで、それ以外のことは何もできません。

昼食に娘に出したのは枝豆と食パン。夜も夫が帰るまで夕食の用意をしてやれず、抱っこしてほしいのにしてもらえず。

ストローマグに入れたお茶と食パンだけを口にして、泣き疲れて寝ました。

娘がかわいそうで、自分よりも大切な娘なのに、どうしても体が動かせないことに罪悪感を感じました。

それ以上に、この生活が数ヶ月続くことが恐ろしく、すぐに義理の実家に娘を預ける決意をしました。

翌日、夫は仕事を休み、私たちを県外の実家に連れて帰ってくれました。娘を預け、私は病院に即日入院となりました。 関連記事:水50mlが飲めない!点滴を抜いては立てなくなって吐いての繰り返し…重すぎる悪阻

悪阻がおさまるまでの二ヶ月は、大袈裟かもしれませんが、死んだ方がいいと思うほどの日々でした。

途方もない気持ち悪さ。焼けるような食道の痛み。吐き気と唾液過多による睡眠不足。点滴跡でボロボロの腕。八キロ減り、ガリガリになった体。寝たきりで痛む背中と腰。

歩行すら困難なほど衰弱した状況の中で、私は自分のことだけでいっぱいいっぱいでした。

一人目の時にも丸々2ヶ月続いた入院生活。同じくらいこの苦しみが続くと思うと、一日がとても長く、絶望的な気持ちでした。まわりに当たり散らし、精神的にもひどく弱っていました。

しかし家族はいつも支えになってくれました。

仕事もある中で、快く1歳8ヶ月の娘を預かってくれた義母。家事と仕事をこなしながら、娘を毎日公園に連れて行き、なれない幼児食を作ってくれました。

毎日お見舞いに来て私をはげまし、強張った体を2時間もマッサージしてくれる義祖母。お見舞いのために、仕事を辞めました。実の孫のように無償の愛情をかけてくれていました。

転勤したばかりの初めての土地で、慣れない環境の中一人で暮らす夫。悩みを吐き出す相手もなく、最愛の娘とも会えない。寂しい思いをさせました。

みんなが、私の突然の悪阻と入院生活に巻き込まれ、それぞれ日常が変えられてしまいました。それなのに誰一人文句を言わず、私も気遣っていつも笑顔で居てくれました。

そして、パパともママとも突然離れて寂しい思いを我慢していた娘。悪阻の始まりと同時に、ママから世話を投げ出され、気づくと遠方のおばあちゃんの家での生活です。

娘は義母に連れられお見舞いに来てくれましたが、ほとんど抱っこをせがんできませんでした。

起き上がれないほど辛い時は、義母の側で遠巻きに私を見つめていました。

体調が比較的良い時には、ベッドに登って隣に座ったり、「靴を履かせて」「ストローをさして」「お膝抱っこして」など、ささやかなおねだりをします。

体力が衰え、娘を抱っこする力はありませんので、私は代わりにぎゅーと抱きしめます。娘はぎゅーと、薄っぺらくなった私を抱きしめ返してくれました。

1歳8ヶ月。甘えたい盛り、そしてイヤイヤが始まった頃でした。しかし私の前では聞き分け良く、帰り際も渋ることなくすんなり帰ってくれました。

私は、それが逆に心配でした。

どうしてワガママを言わないの?義母には遠慮なくワガママを言うのに。

まだ小さい子だから、世話してくれる義母のことお母さんだと思ってるのかな。だんだん私のこと忘れちゃうのかな。

あまりにも私に執着しない娘の様子に、不安と寂しさが募りました。

どんどん言葉を覚え、できることが増えていくかわいい盛りの娘。

第二子ができるまで、私の生活のすべてだった娘が、知らない間に成長していき、それを見逃していることがたまらなく辛かったのです。

私は心も体もすっかり弱ってしまい、義母にどうしようもない苦しさと、娘への寂しい気持ちを打ち明けました。

義母は、「心配すると思って言ってなかったけど」と、娘の様子を話してくれました。

夜眠る時、義母のスマホで私の写真を寝るまで見続け、「ママ~」と夜泣きすること。

毎日「病院、行く」と玄関で一人で靴を履いて待っていること。病室から帰る時には、「ママ、しんどいね」と自分に言い聞かせるように何度も言うこと。

「ママのことを忘れたりしない。ママが一番だよ。でも小さいのに我慢してるの。優しい子に育てたね」

義母の優しい言葉に、張り詰めていた気持ちが少しほぐれました。

そして、まだ二歳にもならない娘が寂しさを我慢しているのに、泣き言ばかり言っていられない、その後の入院生活をひたすら耐えて乗り切りました。

そして退院して一ヶ月。

私たちはまだ義母の家でお世話になっていました。

体力が戻らず、ふいに襲ってくる猛烈な吐き気。相変わらず娘の相手も家事も義母がこなし、私はベッドで寝てばかり。調子の良い時に少し遊んであげるだけで、母親らしいことができませんでした。

気分が悪いと、近寄ってくる娘に冷たい態度をとってしまい、母親失格だと毎日やるせない気持ちでいました。

そんなある日、義家族みんなに遊んでもらいながらカーペットに転がっていた娘がふいに言いました。

「ママ、いっつも、大好き」

私は娘を抱きしめました。娘は嬉しそうにほっぺたをすりすりして私を抱きしめてくれます。愛おしくて涙が出ました。ダメなママだと、情けなくて塞いでいた気持ちを溶かしてくれました。

「大好き」も、「いっつも」も、文章にしてくれたのは初めてでした。意味を理解して伝えてくれた気持ちなんだと思うと、愛おしさでいっぱいになりました。

私はこの時のことを一生忘れないでしょう。生まれてきて、今日まで成長してくれた娘に心から感謝し、お腹で成長していく赤ちゃんのことも改めて愛おしく思えました。

そして無事に息子が生まれ、現在生後3ヶ月。娘は2歳半になりました。

重症妊娠悪阻は辛く長い日々でした。出産の痛みをなんともないと思えるほど、苦しんだ期間は地獄でした。

あの日々を乗り越えられたのは、家族として無償の愛情をかけて支えてくれた義理の家族と夫、小さな娘の励ましのおかげです。

そして生まれた赤ちゃんは本当にかわいいです。 関連記事:2人目の辛いつわり。周囲の協力を得ることの大切さ、お腹の子に教わりました

今でも長女は、「ママのこと大好き」と毎日のように言ってくれます。

重症妊娠悪阻の中で、私を救ってくれた娘の言葉。

これから私も、言葉と態度で、毎日子どもたちに大好きの気持ちを伝えていきたいと思っています。

著者:comaney

二歳半、三ヶ月の二人の子どものママです。

※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。

関連記事リンク(外部サイト)

つわり時期はミニおにぎりを準備
長い長いつわり
妊娠初期のつわり

赤すぐnet みんなの体験記の記事一覧をみる ▶
  • 誤字を発見した方はこちらからご連絡ください。
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちらから
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。

TOP