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豪華絢爛地下冒険小説『ヴェサリウスの秘密』

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 今年の地下冒険小説枠は本書に決定!
 スペインの作家、ジョルディ・ヨブレギャットのデビュー作『ヴェサリウスの秘密』(集英社文庫)は、十九世紀末のバルセロナを舞台とする豪華絢爛なスリラーだ。物語のクライマックスは〈収集人〉と呼ばれる地下生活者が跋扈する地下世界で展開する。地下に潜りたい人は必読の一冊といっていい。

 時は一八八八年三月、初の万国博覧会開催を三週間後に控え、バルセロナの街は慌ただしさに包まれていた。そんな中、一人の男が七年ぶりの帰郷を果たす。今はオックスフォード大学で教授の職に就いているダニエル・アマットだ。彼の父アルフレッドは、この街で患者の信望も厚い医師だったが、奇妙な状況下で死亡したのである。ダニエルに接近してきた新聞記者バルナット・フレーシャは、彼の耳に奇妙な情報を吹き込む。生前のアルフレッドは、ある事件に関する調査を進めていた。そのことが引き金となって殺害されたのではないかというのだ。半信半疑ながらダニエルは、バルナットと共にバルセロナの地下に降り、Vivitur ingenio,caetera mortis erunt.〈人はその独創性によってのみ、永遠に生きられる〉というラテン語の文章に導かれて目的の場所にたどり着く。そこで発見したものは、父の友人だった医師フラダリック・オムスの手記だった。その精神の平衡を崩した者が書いたような奇怪な文章が、ダニエルたちを危険な事態へと導くことになるのだ。

 アルフレッドが追っていたとされるのは、バルセロナ版切り裂きジャックのような事件だ。若い女性ばかりが次々と襲われて殺害される。その死体は著しく損壊され、しかも地下水道に投げ捨てられている状態で発見されるのだ。事件に関する描写はかなり扇情的であり、死者の数も多いために派手な印象がある。奇妙なことに市の警察はこの事件を熱心に捜査しようとしない。何者かが揉み消しを図っているのである。ダニエルたちは、謎の犯人と同時に、巨大な陰謀とも闘わなければならなくなる。また、ダニエルがバルセロナを離れたのは、実家が火事で焼失し、弟と婚約者が犠牲になったという痛ましい事故があったためだった。彼の心には、いまだその記憶が影を落としている。故郷を訪れることにより、ダニエルはその過去とも向き合わなければならなくなるのである。

 題名になっているアンドレアス・ヴェサリウスは十六世紀の人で、その研究の集大成である『人体構造論』によって近代解剖学研究の扉を開いた。本書には医学サスペンスの色彩もあり、ダニエルとバルナットの他、若き医学生のパウ・ジルベルトも謎を追う一行に加わる。『人体構造論』を巡る話題が中盤では最大の関心事となり、ヴェサリウスが残した幻の章がこの本には存在したのではないか、という謎が浮上してくるのである。このパートは一種の暗号小説のようでもある。スペインを舞台とし、本が重要な小道具として使われる作品としてはカルロス・ルイス・サフォン『風の影』(集英社文庫)がある。本書はかの作品ほど愛書家向けではないが、失われた草稿というモチーフに魅力を感じる人は多いはずだ。

 また、本書はエンターテインメントのお手本のような作品でもある。冒険物語には、主人公が困難な状況に立ち向かい、それを克服していくという定型のプロットがある。その形に忠実な作りなのである。しかも、ダニエル、バルナット、パウという三人の主人公たちが、異なる目的意識を抱いて事件に関わり、別々の危機に出会うという驚異の三複線仕様である。『ONE PIECE』のキャラクターたちが、みんな違った夢を持って船に乗り込むのと同じ、と書けばわかりやすいだろうか。ご丁寧なことに、ダニエル、バルナット、パウそれぞれにライバルがいて、そいつらが全員飛び切りの厭な奴なのである。だから読んでいる最中は感情移入の度合いも甚だしい。外見はどろどろの怪奇派、内容は正統的な成長物語、という凝った小説なのであった。地下に潜ったり切り裂き魔が暴れたりグロテスクな秘密の存在が描かれたり、といった展開の割には読み終えての読後感は爽やかだ。ヨブレギャット、将来が楽しみな書き手である。

(杉江松恋)

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