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『深夜食堂』 大阪にあったモデル店を探訪

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 あの『深夜食堂』のモデルが大阪にあった! 同作の大ファンであるコラムニストのオバタカズユキ氏が突撃取材した。

 * * *
 現在、全国の劇場で第二弾の映画が上映中、動画配信サービスのNetflixでも10話ぶんの新作ドラマが190ヵ国に向けて配信中、という『深夜食堂』。

 原作マンガを含め、あの作品独特の世界観、ダメ人間やワケあり人間でもそのまま正直に生きていていればいいんだよ、と包み込んでくれる居心地の良さにハマるファンは多い。そして、ファンのうちの少なからずが、作品の中だけではなく、リアルの世界にも「深夜食堂があってほしい!」と願い、夜中の12時から朝まで営業する「めしや」を探している、はずだ。

 私もファンの一人として、これまで幾度となく検索窓に「深夜食堂 実在」「深夜食堂 リアル」「深夜食堂 店舗」などのワードを入れ、「めしや」探しにエネルギーを費やしてきた。

『深夜食堂』の「めしや」は、新宿歌舞伎町のゴールデン街に店を構えているわけだが、実際のゴールデン街に似た店はない。ダメ人間になれるまで飲める店なら無数にあるけれど、あくまで夜食をとりに常連たちがマスターを慕って通い詰めるような食堂は存在しない。

 検索しまくって、長崎県長崎市にイメージの近い食堂を発見したが、こちらの住む東京からはあまりに遠い。735円のハンバーグ定食のために長崎へ飛ぶという贅沢はやってみたい。でも、そこまでの余裕はない。

 そんなこんなのある日、なにかの拍子に、『深夜食堂』の「めしや」のモデル店はココだと断言する、ブログの記事を見つけた。「深夜食堂 モデル」で検索すると、やっぱり同じ店名が出てくる。ガセネタではないらしい。

 大阪市の天王寺町南にある、串かつ「やぐら」。どうやら、そこが本当に「めしや」のルーツであるようなのだった。
 
 不思議なものである。「やぐら、大阪、串かつ、大阪、深夜食堂、大阪……」と頭の中でぐるぐるやっていたら、その数日後に、大阪出張の仕事が発生した。宿泊可、前の夜は飲みながら打ち合わせを、とのご提言。すばらしい。

 で、ここから先は、その「やぐら」訪問のお話である。

 大阪の地理はまったく疎いので、待ち合わせた地元の知人に連れられ、環状線寺田町駅で降りる。南口改札を出て、寂れてはいないけど賑わってもいない、のんびりムードの商店街を抜け、駅から数分で目的地に着く。

 夕暮れの薄暗がりに、緑色の「やぐら」の看板が光っていた。アルミサッシの入り口をがらがら開けると、清潔感のある店内に4人がけの黒いテーブルが5卓。奥のほうが調理場。どちらもゆったりとしたつくりだ。

『深夜食堂』の「めしや」はコの字型のカウンターのみで、席と席がぎゅうぎゅうに詰まった古めかしい店なのだが、ルーツの今はぜんぜん違っていた。

 ということについては、ネット情報でも掴めていたので、別段、驚くに値しない。やや意表を突かれたのは、「いらっしゃいませ」と迎い入れてくれた店主の山口勝也さんが、とってもにこやかだったことだ。奥さんの京子さんは、もっと、にこやかだった。

 それがなぜ意表を突かれる感じなのか、『深夜食堂』ファンならおわかりだろう。小林薫演じる「めしや」のマスターは、基本的に、コワモテで無愛想なのだ。写真の山口さんのような笑顔はありえない。

「あのう、いきなりすみません。このお店は『深夜食堂』のモデルだったと聞きまして。それって本当ですか?」
 
 失礼なことに、料理を注文する前に質問してしまった。でも、山口さんは、にこやかに「そうですよ。深夜やっていたのは京橋のとき」と答えてくれた。

 以下は、予約なしで訪れた「やぐら」の店主に、アポなし取材を思いつきで敢行し、その結果として得た情報である。

 山口さんは1953年生まれ。学校を出てから、いくつかの飲食店で働き、料理を覚えたという。そして、最初の自分の店である「やぐら」を大阪の京橋に開いたのは1982年のこと。まだ29歳だった。

「最初は夕方の5時からやっていたんですよ。そしたら、だんだんタクシーの運転手さんのお客が増えて、遅くまでやって言われまして。で、1年に1時間くらい開店時間が遅れていき、最終的に夜12時からになったんです。営業は朝まで」

「その頃の店を、桂雀三郎さんが、歌にして。何年やったかな。『やぐら行進曲』って自費制作のCDにしてくれて、それを安倍夜郎さんが聴いていて、あのマンガにした、ということでね」

 桂雀三郎(1949年生まれ)は古典も新作もこなす本格派の落語家であり、コミックソングの歌手でもある。代表曲『ヨーデル食べ放題』は関西で大変有名とのことだが、その雀三郎が「やぐら」の常連で、店を面白がって、歌にした。『やぐら行進曲』(作詞・作曲・編曲:りぴ~と山中)で、店はこう描かれている。

<晩の12時のれんがかかりゃ 時を忘れたシンデレラもやって来る
深夜タクシーの陽気な運ちゃんも 仕事あいまに一杯呑んで行く
やぐら やぐら やぐら 串カツ専門店・テン・テン♪>

 自費制作リリースは1996年。このCDに収められていた『やぐら行進曲』は、2000年リリースのライヴ・アルバム『雀肉共食』にも収められ、そのアルバムをまだ広告会社の会社員だった安倍夜郎が聴いていた。

 脱サラしてマンガ家を目指したはいいが、なかなか作品が掲載されず、どうしたものかと思案していた頃。安倍夜郎は曲を思い出し、夜中の12時から開く店は面白いのではないか、その店がメニューはなくても客に頼まれた料理を作るという設定なら連載になるのでは、と考えた。そうして『深夜食堂』は生まれた。

 安倍夜郎は曲からの想像だけでマンガを描いたのだが、当時の「やぐら」は『深夜食堂』の感じと似ていたのだろうか? 山口さんは、「そうそう、あんな感じ」と笑う。

「タクシーの運転手が多くて、あとは水商売の人。他は、ややこしい人とか。
まあ、いろいろでしたわ」

 客層はたしかに『深夜食堂』だ。でも、当時の山口さんはまだ若者。こんなに優しげな性格で、ややこしい客のあしらいができたのだろうか。

「時代が違いましたからね。串カツの値段は今とまったく同じでしたけど、お兄ちゃん、釣りはいいよ、とか。そんなでしたねえ」

『深夜食堂』の常連客は、基本的に貧乏だ。貧乏エピソードがしばしば心に沁みる、低成長期の日本にふさわしい作品でもある。しかし、ルーツの店はバブル期のノリだったのだ。深夜帯になっても店を閉じるわけにはいかないほど、活況を呈していたわけだ。

 京橋の「やぐら」は、道路拡張のため1996年に立ち退きで閉じた。1998年に上本町の地下1階で再開したときは、ビルの契約の事情もあり、一般的な営業時間帯の店に変えた。今の天王寺町南の店も一般的な営業時間。10年ほど前、奥さんの実家近くに開いた。

 時系列で話を聞いていて、気になったのは、最初の「やぐら」閉店から、次の「やぐら」の開店まで2年間の空白があること。尋ねたら、山口さんは「ぷらぷらしてたんですよ」と笑う。遊んで暮らしていたそうだ。その間の生活費は?

「それは、大丈夫でしたね。お金は大丈夫やから、ぷらぷらしてました」

 それ以上は野暮なので聞かなかったが、そのぐらいの貯金は楽にできる商いだったのだろう。ルーツはバブリーだったのだ。時代は流れたのだ。

 些か遠い目になりつつ、料理をいただいた。夫婦で開発した酒かすの串かつなんてオツなのもあって、一串100円。『深夜食堂』とはまた別の、居心地のいいお店だった。

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