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「子どもを産んだら大変」かは自分で決める。家電ブランドUPQ・中澤優子の挑戦をやめない働き方とは

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17種類24製品を、企画からわずか2か月でリリース。

いま一番勢いをもつ家電ブランドとして注目を集めている、株式会社UPQ(アップ・キュー)の代表・中澤優子さん。彼女は、ほぼ一人でUPQを立ち上げ、現在も全ての製品の企画開発、販売の指揮を最前線で執っているといいます。

メーカーによるものづくりのスタイルを覆しつつも、その根底にあるのは日本の「ものづくり」への思い。そしてこの秋に出産を経験され、現在ワーキングマザーでもある中澤優子さんに、仕事への向き合い方をインタビューしました。

<プロフィール>

中澤優子(なかざわゆうこ)

1984年東京都生まれ。2007年中央大学卒業後、カシオ計算機株式会社へ入社。営業職を経て、商品企画部門であるカシオ日立モバイルコミュニケーションズで携帯電話やスマートフォンの商品企画に携わる。2012年会社の携帯電話事業撤退に伴い退社。翌年東京・秋葉原にカフェを開業。2015年7月株式会社UPQを設立。わずか2カ月で17種24製品を発表し、各メディアで話題に。

「TPOにあわせて携帯も着替える時代」を作りたかった

——大学の専攻は文系だったそうですが、新卒で入社した「カシオ計算機」ではどのような業務に携わっていたのでしょうか?

もともと私は携帯電話の開発に関わりたくて就職活動をしていました。

通常、携帯電話会社の開発職は量販営業を5年近く経験してから配属されるものらしいのですが、私は就活時に「どうしても携帯開発部門にいきたい、5年も待っていたら市場が変わってしまうから待ちたくない!」と真正面から話し、唯一国内のメーカーで採用してもらえたのがカシオでした。

とはいえ入社直後は営業職でしたが、「こんな携帯があったら」と日々社内で熱弁する私を、上司が社長と企画部長へ直談判してくれ、文系新卒で入社半年としては異例の人事で商品企画部門へと配属してくださったんです。

当時のカシオ日立モバイルコミュニケーションズ(カシオと日立の携帯電話開発部門)は合弁から間もなく、人事制度や教育制度なども両社のものを合わせながら独自でつくっている手探りの状態。私たちも「どうすれば今後自分たち、後輩たちが育っていくのか」と考えながら動く、という状況でした。これまで先輩たちが積み上げてきた歴史や成果があるうえで、新しいことに挑戦していくという雰囲気で、楽しかったですね。

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しかし残念ながら採算が取れず、NECとの3社合併をするも、入社から5年目の2012年にNECカシオモバイルコミュニケーションズの実質解散となってしまいました……。

カシオに戻る場所はなく、与えられた選択肢はNECへ転籍し、これまで関わってきた携帯電話とは全く違う部門に配属となるか、退社かしかありませんでした。他のカシオ籍だった人たちは他へ転職するか、退職金を元に新しいことを始める人が多く、NECへ転籍しようという人はあまりいませんでした。なぜか蕎麦屋を始めたり村を買って村長になったり、面白い人が多かったですね(笑)。 会社が解散するのは2010年頃には内部では決まっていたのですが、私は転職活動をしませんでした。当時27歳で、一度別のキャリアを挟んでいろんなことを経験してみようと思ったんです。

——カフェの経営を経て、再び「ものづくり」に戻られましたよね。なにかきっかけがあったのですか?

「ものづくり」が嫌だったわけではないので、機会があればまたやりたいと考えていました。しかし私みたいな20代の女性が他の携帯電話メーカーに入社しても、カシオのように自由にはやらせてもらえないだろうと思っていました。当時の国内携帯電話業界はどこも厳しい状況でしたので。

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