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4歳でネフローゼ症候群に…。辛かった人生にやってきた結婚、そして出産し思うこと

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私は4歳の時にネフローゼ症候群という病気になりました。倒れてお母さんにおんぶされて病院に行った日を今でもよく覚えています。

それから、高校2年生まで入退院を繰り返し、私は心も病んでしまいました。

生まれてこなければ良かったと、早く死にたいとさえ思っていました。病室で遺書も書きました。

だけど、本当に死にかけた時、生きたいと思いました。

何も生きた証がない事が怖くなり、生きたいと強く願いました。

それが高校2年、最後の入院になりました。

そこからは夢に向かって勉強、吹奏楽の部活にも入りました。仲間が出来ました。

再発はしたけど入院まではしないように、病気と上手く付き合えるようになりました。 関連記事:11歳で左の卵巣を摘出。「子どもができにくいかも」と悩んできた私が妊娠するまで

短大卒業暫くして父が亡くなり、自営業だった実家に戻りました。

店番をしてた時、旦那が営業にきました。しつこいので結婚しました。

私は死にたいと思っていた人間なので結婚とか子どもとか想像した事がなく、1人で生きて行くと決めていた矢先でした。そもそも持病で結婚出来ないだろうと決めつけていました。

私は子どもは産めないかもしれないと言いました。

旦那はあっけらかんとした人で、私の不安を吹き飛ばす人でした。

結婚して、2年目に母が癌になりました。私は、子どもが欲しいと思うようになりました。

母は反対しましたが、持病の担当医に相談し、薬の調整、検査入院などをし慎重に妊活をしました。

私はもし、妊娠中に再発して母子ともに危なくなったら、子どもを優先して欲しいと旦那には言ってありました。私はもう充分に幸せだったからです。

1度流産後、結婚5年目、27歳の時に男の子が無事産まれました。

私にとって母親とはとても強い人間です。私はお母さんには一生敵わないと思います。

だけど、なりたいと思います。強くて優しい人間に。

旦那は私に未来をくれました。1人じゃない未来です。思い浮かべるとにやけるような。

息子の名前は「一陽来復」のことわざからとりました。 関連記事:いつか「母の日卒業宣言」をする日まで…。子どもに「母にしてもらっている」と感じる瞬間

これからも、辛いこと楽しいことの繰り返しだと思います。

だけど、辛い事にも意味はあったと私は思います。

私は1人の人間を産めました。この人がどんな人生を歩むのか、見守っていきたいと思います。

著者:みろ

※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。

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