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末期癌の医師・僧侶が語る空海「阿字本不生」の解釈

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 2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載 「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、「空海」の「阿字本不生(あじほんぷしょう)」という言葉の解釈を田中氏が解説する。

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 2500年ほど前、古代ギリシャでのソクラテスの裁判のとき、当時28歳の青年だったプラトンが、その弁明を聞いていました。

「死を恐れるのは、賢ならずして賢人をきどることになる。死とは何か誰も知らないのに、人はそれが最悪であると確知しているかのようにこれを怖れている。私も知らないが、知らないということを知っている」

 ほぼ同じころインドにおいて、お釈迦様がヴィパッサナー・ヨーガ(精神を集中して考えること、最近ではマインドフルネスといわれる)を開拓して徹底的な自己観察を行ないました。そして仏陀(目覚めた人)となって「死ぬ」という苦を解決し「不死」を説きました。それは「自己執着を捨てる」という生き方です。

「筏(仏教)に乗って、苦しみの此岸から楽の彼岸に渡ったら筏を捨てる」という仏教は仏教自身に執着せず、あらゆる生き方(宗教)を尊重します。「自己執着を捨てる」と聞いただけで、直ぐにそのようには成れません。ヨーガによる追体験(解釈)が必要です。

「追体験が難しい」ことを「秘密」といいます。明治時代に「シークレット」の翻訳語として使われて「隠すこと」を意味するようになりましたが、元来は「ミステリー」に近い言葉でした。

 科学の論文では、言葉を一義的(一つの言葉が唯一つの意味を持つよう)に定義して使います。だから言葉の解釈はありえません。非科学(科学に非ざる)領域では、特に古典研究では、古い言葉を解釈する必要があります。古典に譬喩が多いのは、解釈(追体験)を補助するためです。

 空海の著作『吽字義』は、「吽」という秘密の一字を解釈した論説です。梵字の「吽」という文字は「ア・ハ・ウ・マ」という4つの部分に分解可能です。今回紹介するのは、「ア」の解釈にある「阿字本不生」です。

 ここで空海は、先に挙げたソクラテスの言葉と似た話を書いています。生死の苦とは「無知な絵師が恐ろしい夜叉を描き、自分でその絵を見て恐怖のあまり卒倒する」ようなものだというのです。

 ヨーガで自己観察を行ない、その知恵の完成を「実の如く自心を知る」といいます。それは、あたかも「ア」という音があらゆる文字の始まりであるように、あらゆる物事の源を観ることなのです。それは「これではない」という「否定」でしか表現できません。梵

 語の「ア」は否定の接頭語で「無・不・非」などの意味です。ギリシャ語でも「ア」は否定を意味し、例えば「アトム(切れない)」(日本語では原子と訳された)です。プラトンも自己は「他」であると言い、「他」は「他」自身に対しても他であると表現しています。

 自己執着を捨てた理想の存在、それこそが本来の自己であり「阿字本不生」と表現されます。

●たなか・まさひろ/1946年、栃木県益子町の西明寺に生まれる。東京慈恵医科大学卒業後、国立がんセンターで研究所室長・病院内科医として勤務。 1990年に西明寺境内に入院・緩和ケアも行なう普門院診療所を建設、内科医、僧侶として患者と向き合う。2014年10月に最も進んだステージのすい臓 がんが発見され、余命数か月と自覚している。

※週刊ポスト2016年11月11日号

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