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ジョニ・ミッチェルの『ブルー』はシンガーソングライターとしての名声を確立した初期の傑作

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70年代初頭に巻き起こったシンガーソングライターのブームは、当時の音楽ファンにとってはワクワクするような体験であった。次から次へと新しい魅力を持ったミュージシャンが登場するのだから当たり前だが、それにしても多くの才能が現れたもので、今でも不思議なぐらいの大きな収穫期であった。ジェームス・テイラー、キャロル・キング、ジャクソン・ブラウン、カーリー・サイモン、ニール・ヤング、ジェリー・ジェフ・ウォーカー、ブルース・スプリングスティーンなどなど…この頃にデビューした新人たちは、今でも活躍している人が多いのも特徴だ。これらの才能あふれる自作自演歌手の中でも、特に光り輝いていたのがジョニ・ミッチェルではないだろうか。今回は彼女のクリエイターとしての才能が花開いた初期の傑作『ブルー』を紹介する。
『Blue』(’71)/Joni Mitchell (okmusic UP's)

ワン・アンド・オンリーの天才、ジョニ・ミッチェル
70年初頭のシンガーソングライター(SSW)ブームについては冒頭でも触れたが、ジョニ・ミッチェルはカナダ出身で、アメリカ生まれのSSWが多い中にあって、少しハンデがあるかと思われがちなのだが、実はカナダ出身のミュージシャンには優れた人が少なくない…てか多い。有名なところでは、ニール・ヤング、ザ・バンド(5人中4人がカナダ出身)、アン・マレー、ブライアン・アダムス、セリーヌ・ディオン、アラニス・モリセット、アヴリル・ラヴィーン、ジャスティン・ビーバー、レナード・コーエンとまぁ、思い付くところを挙げただけでも結構いるものだ。それも、ひと筋縄ではいかない頑固そうな人間ばっかりだ。なぜカナダに優れたミュージシャンが多いかについては、科学的なエビデンスはないが、少なくともアメリカのラジオを聴いて育ったという人が多いのは事実だろう。アメリカ音楽に親しむことで、アメリカへの憧れが強くなり、いつの間にかアメリカ人よりアメリカのことをよく知るようになる…こんな感じではないかなと推測する。確かにニール・ヤングにしてもザ・バンドにしても、彼らの音楽は“アメリカらしさ”をアメリカ人よりも巧みに表現しているとしか思えないのだ。
ただ、ジョニ・ミッチェルの場合は少し違う。彼女の音楽がアメリカのフォークやロックに影響されたものであることは間違いないのだが、彼女の作品を聴くと、誰にも似ていないことが分かるのだ。ソングライティングの面では難解で前衛だと言えるし、ハイノートを駆使するヴォーカルでもすごいグルーブ感を醸し出している。それはギターの演奏にしてもそうで、彼女は自身で編み出した変則のオープン・チューニング(1)で、当時のミュージシャンの中でも群を抜いて上手い。要するに、ジョニ・ミッチェルはどこを切り取っても彼女独自のサウンドを創り上げていて、まさにワン・アンド・オンリーの存在なのだ。

ディランと同傾向のアマチュア時代、そしてデビュー
彼女はもともとカナダからニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに渡り住み、フォークシンガーを目指した。そのあたりは本コーナーでも紹介したボブ・ディランら、60年代にデビューしたSSWたちと似たようなスタートを切るわけだが、まずはソングライターとして認められている。初期の代表曲「青春の光と影(原題:Both Sides Now)」はジュディ・コリンズによって全米トップテン・ヒットとなり、各社の争奪戦の末にリプリーズレコードと契約、68年にアルバム『ジョニ・ミッチェル』でソロデビューを果たす。この時点で彼女は、透明感のある歌声と複雑なサウンドを軸に、すでにアコギ1本で圧倒的な存在感を示している。彼女が編み出した変則チューニングは、その後クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)にも影響を与え、彼らを通して多くのフォロワーを生むことになる。
続く2ndアルバム『青春の光と影(原題:Clouds)』(‘69)では大ヒットした曲をセルフカバーし、話題になった作品。しかし、サウンドは暗め。バックの楽器が少ないということにも関係があるだろうが、この2枚のアルバムは難解な上に内省的な楽曲が多いので、アルバムを通して聴くには体力を必要とする。しかし、同時代のフォークシンガーと比べると、彼女の才能が抜きん出ていることは間違いない。彼女の曲は演奏するのが難しいがゆえに、バックを務めるミュージシャンが少ないのも仕方がないと思うのだ。この作品を録音する少し前に、彼女はグリニッジ・ヴィレッジから西海岸のローレル・キャニオンに移り住んでいる。これは当時のミュージシャンのトレンドであり、ロサンジェルスやサンフランシスコなど、当時の西海岸はミュージシャンにとって音楽活動の重要な拠点となっていた。西海岸でたくさんの音楽を間近で聴き、彼女がその才能にますます磨きをかけていたことは想像に難くない。
3作目の『レディーズ・オブ・ザ・キャニオン(原題:Ladies Of The Canyon)』ではギターだけでなく、ドラムやピアノ、ホーンなどバックの音数が増えたこともあって、難解さは薄れ、その代わりにドラマチックな曲が増えた。そして、彼女の歌には力強さがみなぎるようになったが、これは西海岸での生活が充実していたからだと僕は推測する。彼女の作品では「青春の光と影」と並んでもっともよく知られた名曲「サークル・ゲーム」(バフィ・セント・メリーのカバーが映画『いちご白書』のテーマ曲となり大ヒットした)や、CSN&Yがカバーした「ウッドストック」も収録された好盤。

本作『ブルー』について
そして71年、いよいよ彼女の4thアルバム『ブルー』がリリースされる。本作では、これまでの3枚のアルバムの良い部分が凝縮され、当時の公私ともにパートナーであったジェームス・テイラーをゲストに迎えるなど、ミュージシャンとしての才能が大きく開花した作品となった。そのサウンドは、もはやフォークでもロックでもなくオルタナティブを先取りしたものであり、プリンスやハービー・ハンコックといった後の大物たちが衝撃を受けたと告白しているぐらいの傑作である。
ローリング・ストーン誌のベスト500アルバムでも30位に選ばれるなど、時代を超えて永遠に聴き継がれる作品となった。全10曲、全ての曲が傾聴すべき名曲であり、45年前にリリースされた作品だとは思えないほど、時代に媚びない感性を持っている。芭蕉の不易流行ではないが、真に良いものは時代を飛び越えて迫ってくるものだと思う。そうそう、ジャケットデザインも秀逸であることを付け加えておきたい。

本作以降の活動
『ブルー』をリリース後、多くのSSWが在籍したアサイラム・レコードに移籍し、フュージョンやジャズ界で活躍するミュージシャンをバックに従え、リプリーズ時代とは違ったバンド・サウンドを展開する。特に70年代中期の作品では今は亡き天才ベーシストのジャコ・パストリアスを迎えて、極上のサウンドが味わえるので、興味のある人はぜひ聴いてみてほしい。
(1)オープン・チューニング

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0

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