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謎解きのさみしさを宿した短篇集〜北村薫『遠い唇』

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 謎は解けるからおもしろい。
 いつまでも解けない謎の中で戯れていたい。

 二つの相反する気持ちを抱えながらページを繰り続けるのが謎解き小説ファンという人種だ。
 謎がついに解けてしまったときに胸をよぎるあの思いは、夢から覚めたときのそれに似て、爽快感の中に一抹のさみしさが宿る。

 優れた書き手であると同時にミステリーの卓越した読み手でもある北村薫は、その謎解きのさみしさを誰よりもよく知っている。たとえば新刊の短篇集『遠い唇』の表題作には、そうした資質が如実に現れているのである。

 中村草田男の句、「大學に来て踏む落ち葉コーヒー欲る」が話の導入となる。その句を何十年も前に大学生だった寺脇に教えてくれたのは、長内という先輩だった。ある日、寺脇は彼女から謎めいた手紙を受け取った。ほとんどがアルファベットで記された文面を彼は解読できなかった。その意味を明かすことなく長内先輩は大学を卒業して帰郷してしまい、それきりになってしまう。

 回想形式で綴られる物語は、長内先輩の手紙という暗号解読が軸になって進んでいく。その謎が解かれた瞬間に生じるものが小説の要になるのだ。寺脇が味わった思いは、読者にも確実に伝わるはずである。謎解きのさみしさを端的な形で表現した佳品だ。

 続く「しりとり」では、俳句そのものが暗号の題材となる。ある女性編集者が、死別した夫に示された未完成の一句をどう解釈するか、という小説なのだ。全七篇のうち、三篇が暗号解読を題材とした作品である。もう一作の「続・二銭銅貨」は、題名から自明の通り、江戸川乱歩による有名な一篇の後日談だ。周知の通り「二銭銅貨」は、硬貨に仕込まれていた暗号文を巡る物語で、二名の若者が謎解きで知恵を競い合う。平井太郎こと江戸川乱歩本人が登場して、作品の背景にあったものを解き明かすという内容なのである。

 さらにもう一作、北村薫ファンならば読み逃せない短篇が収められている。「ビスケット」で語り手となる「わたし」の名は姫宮あゆみ、かつて巫弓彦の記録役を務めていた女性だ。十八年前、彼女は叔父の経営する不動産屋で勤務していた。その二階が「巫名探偵事務所」だったのである。探偵ではなくて名探偵、巫弓彦は自分が存在としての名探偵であることに気づいてしまった人だ。気づいたからにはそれを無視することができず、いつか出会うであろう事件に備えるために事務所を開いた。ゆえにその看板には「人知を超えた難事件を解決 身元調査等、一般の探偵業は行いません」との但し書きがされていたのである。

 時が流れ、姫宮あゆみは夢だった作家業に転じていた。一方、巫弓彦は東京の片隅に隠棲し、変わらず自分を必要とするであろう難事件のために備え続けていた。ある大学の構内で起きた殺人事件が、再び二人を結び付けるのである。巻末に付された「ひらめきにときめき」という小文には、時代の移ろいが名探偵の拠って立つべき基盤をも変化させていることについての思いが吐露されており、北村のミステリー観を示すものとして興味深く読んだ。なお、「ビスケット」という短篇は小学館文庫『探偵Xからの挑戦状!3』にも収録されているが、作者の意図としては本書が最終形であるという。その理由についても明記されているので、同書をお持ちの方は読み比べていただきたい。

 以上の四篇に、毛色の異なる三篇が併せて収録されており、振れ幅のある作品集になっている。その中で笑いを誘うのが「解釈」だ。地球調査にやってきた宇宙人の勘違いを描いた作品で、文明理解のためのサンプルとして持ってきたもののために大きな誤解が生まれていく。一種のファーストコンタクトものだが、作者らしいものが小道具に使われていて独自性を出している。それを解釈すればするほど理解不能なことが増えていくという、これもまた一種の謎の物語なのである。

(杉江松恋)

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