難聴ですが何か?障害を受け入れた私の働き方・生き方

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はじめまして、修羅場へ自ら「こんにちは」をしてくる波乱万丈オンナ、修羅ガールと申します!

突然ですが、皆さんは五体満足ですか?

私は不満足です(笑)。なぜなら、20歳で聴力を失ったからです。じゃぁ、今どうしてるの?って話ですが、補聴器をフル活用して普通に仕事をしています。はい、まるで健常者のように。

難聴というと、50歳・60歳くらいから気にするものと思う人も少なくないですが、近年は驚くほど若年者による難聴者が増えてきています。今では補聴器は学割がきく時代です。

イメージしづらいので解説すると、20代~30代の健常者は10デシベル(※音量や電波の強さを表す単位)くらいの音が聞き取れるのが普通です。普通の人の会話が平均して、50~60デシベルくらいの音量と言われていますが、ここまで大きく明瞭に話す人は実際には稀です。人は自分の聴こえている音量に合わせて話をするので、特に若い人だと周りの環境にもよりますが30デシベルぐらいのことも少なくないと実感しています。そして、数値が大きくなっていくほど音の大きさは増していき、蝉の音・やかんの音などが70デシベルに相当し、騒音に該当するレベルです。

日本ではなんと、この70デシベルからしか音が聴こえない人に対して聴覚障害者認定がされません。ちなみにこの基準は、先進国でも稀に見る厳しい基準で、正直70デシベルからしか聴こえないなんて、生活ができないレベルです。日本は恐ろしい国だなと、本気で思います。

これから、難聴を受け入れて健常者のように働いている私について、お話したいと思います。この記事を読んで、目に見えない障害に対する見方が少しでも変わってくれたり、勇気を持ってくれたら嬉しいです。

障害を隠して、日常生活を送るということ

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目に見えない病気の1つ、それが難聴です。

これがどういうことかというと、要するに人に分からず・極めて理解されづらいことを指します。特に若ければ若いほど、誤解や偏見、そして居心地の悪さは、日常生活で様々な不適合を起こしていきます。

私の難聴は生まれつきではありません。ですが、父方の親族が代々聴力が弱く、少しづつ悪くいっていったのに無理をし続け、父も・叔母も40代でほぼ聴力を失いました。その後、全く回復せず、私にもその症状が、少し違った形で発症しました。

私は20歳で1度完全に聴力を失ったものの、何故か2週間後くらいに健常者の状態から30デシベルほど聴力を失った形で復活しました。その後も何度か音の消える時期を経て、ゆるやかな低下の一途をたどっていき、現在の聴き取れるレベルは50デシベル~60デシベルの間を彷徨っています。(※医者曰く、かなり特殊例らしいです。)

さて、難聴になると日常生活の何が大変かというと、コンビニの店員さんとの会話も聴き取りづらく、電話の聴き取りも容易ではありません。私は体調でも聴力の変動が激しいのですが、本格的に聴力を失うと、ほんとうにやかんのお湯の沸騰したお知らせ音すら聞こえず、危うく火事になりかけるなど信じがたいことも経験しました。

障害認定されていない若年難聴者、社会人になる

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想像してみて下さい。この状態で職場にいる、そして働くということを。先ほども一言触れたように、見た目では他人に分からないので何から何まで不便です。電話怖い・会議怖い・話しかけられるのも怖い・・・怖い怖いの三拍子です。

さて、そんな私の会社内での過ごし方ですが、我ながら頭を使い「難聴者とバレない様に」しました。まず、話しかけてきてくれた人がいたら不自然すぎないように相手に近づき、誠実な受け答えをする。

もしくは少し大きめの声で、

「すいません!今ちょっと手が離せないので、お手数ですが1本メールかチャットいただけると助かります!そのほうが間違いないので!申し訳ないです!」・・・のようにとにかく丁寧な対応が伝わるように心がけることでした。

これらの行動はうざがられるどころか、むしろやる気のある若手のように見られて、好印象になるという良い副作用を生みました。大きな声で注意されることがなかったのかというと嘘になりますが、「修羅ガールさんはそういう人だし、元気がないよりあった方がいい」と、半ば強引に周囲を納得させ、押し切っていきました。

また、電話の対処法ですが、まずはメールで電話が必要ないぐらいに、少し時間をかけて丁寧な文章を作成して送っていました。少しでも電話対応を減らす手段として、これは有効でした。他にも、電話対応はできるけど、ある特定の仕事において苦手意識を持っている同期をサポートすることによって、「私はこれをやるから、電話はお願いします!」という流れを、自然だけれどもワザと作り上げました。

私は、自分が難聴者であることを、ある経験で徹底的に隠したかったので、多少時間がかかろうが効率が悪かろうが、健常者に劣らないような働きをすることが最優先でした。そう、目に見えない病気を隠して闘うには、普通の人より頭を使って過ごしたり、努力を伴う物なのです。

不特定多数の人に難聴をカミングアウトするとどうなるのか

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私がここまで徹底して、会社で難聴を隠し通したのには、ある理由があります。

遡ること、最初の難聴発症から不完全な状態で回復した、大学生時代のこと。私は21歳の時に、ある大手企業のオフィス内でドキュメントの管理や作成のアルバイトをしていたのですが、人が大量に辞めたことをさかいに部署全体の膨大な量の電話対応を頼まれました。

医者にも「耳を大事にして、イヤホンや電話は気を付けること」と言われていた矢先だったので、「下手に聴き取れずに迷惑をかける前に言おう!」と、堂々とそのことを一緒に仕事をしていた皆様に告知しました。

そこからです、人の対応がガラリと変わったのは。

瞬く間に「修羅ガールさんって、障害者だ!!!」という話が部署の垣根を超えて広がり、今まで仲良く話をしてくれていた人が途端に腫れ物に触るかのような態度に変貌しました。もちろん、話しかけてもくれなくなりました。仕事も、「修羅ガールさんにはこれはできないよね?」と今まで何の問題もなく普通にこなしていた仕事に対して、されたことがない再チェックが入るなど、驚くほどのスピードで差別と偏見の渦中に放りこまれました。

結果的に私は「君、来月からこなくていいよ」と、突然のクビ勧告を受けました。ショックを通り越して悔しさに燃えた私は、最後の日まで無遅刻・無欠勤はもちろんのこと、みんなが面倒がってやらないことまで積極的にやり、周囲を驚かせました。

そうして迎えた最終日、彼らはなんと盛大に「障害者なのに、こき使ってごめんね。今までありがとう。」と、大きな花束を私に渡したのです。

「障害者って世の中ではこういう目で見られているんだな。」と、その時の不快極まりない衝撃経験は、今も忘れずに私の精神に残っています。これが、『難聴を隠すことは必須である』と思い始めたきっかけになりました。

障害者認定手前の難聴者、社内での理解者の作り方

アルバイトで早々に社会の闇を目の当たりにした私は、ある例外を除いて実際の会社員になってからは何が何でも『難聴である事実を伏せてやる』と心に誓いました。この例外というのは、人事部・そして、配属部署の部門長に対してです。

よく考えてみて下さい。社員は健康診断を受けなければならない時点で、全員に身体的弱点を隠すことは不可能なのです。そこで私は事前に、医者の診断書と検査結果の紙を人事部に持ち込み、相談しにきました。

私が新卒で配属されるはずだった部署は、最初の数ヶ月は研修でカスタマーサポート(電話によるお客様サポート)をする期間があります。要するに、1日中恐怖の電話対応をしなければならないのですが、私は事前に行動を起こしたことにより、それが回避できる部署への配属に、変更になったのです。

付け加えると、当時の人事部長が、片耳が全く聴こえない男性という事実が偶然にも分かりました。彼も私と同様、普通にお話しをするので、不自由であるようにはパッと見分からないのですが、嫌な顔一つせず私の状況を聞き入れてくれたのです。

人事部から、部門長のみへの告知

当然ですが、このような人事があった以上、人事部から必然と私の身体状況は配属先の部門長に伝わりました。ただし、そこには私の気持ちを汲んだ最大限の配慮があり、他の社員への特別な告知はしないとの通達も同時に渡りました。

『99%の人は私の難聴を知らないけれど、1%の大事な人だけは知っている状態』にし、私は普通の人と同じように働ける環境を、自ら形成していったのです。彼らは本当の意味で、私の理解者でした。

私は今でもこのスタンスを取ることが多いですが、最近は自分とは少し異なるものの、突発性難聴といった病気になる人も、以前よりはるかに目立つようになってきました。それにつれて自分も、本当に少しづつですが、ごく一部の人にだけは打ち明けるようになってきました。

打ち明けた人は一様に驚きますが、逆にそれは私が健常者と同じように対応できていたということ。ただ、加齢とともに人間は誰しも聴力が低下していくし、私の将来も低下していく可能性が十分にあることは事実です。そうであるならば、自分の弱点を早々に信頼できる相手に打ち明けることによりストレスを軽減して、理解してくれる人とだけ関わっていきたいと思いはじめて、積極的に行動できるようになりました。

障害は強制的に自分をリセットさせるもの

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私は難聴を発症する前、そして発症してから数年間、強がってはいたものの自分のことが世界で一番嫌いでした。ひたすら自己否定をする毎日だったのです。でも、よく考えてみれば毎日自分と向き合うことを避け続けて、休みなく・寝る間も惜しんで何か予定を入れていれば、当たり前ですが身体は疲れていき、何らかの不調をもたらします。

私は難聴を機に少しづつ自分と対話する時間を増やしていき、より強くなることができました。自分の弱点を受け入れ、自分を許し・他者に打ち明けることは、恐れよりも他へ目を向ける余裕が生まれることにも気付いたからです。

自分の人生はどうやっても自分次第です。諦めた人はそこで終わるし、諦めなかった人は、私のように、何かしらのメソッドを発見できたり、素晴らしい仲間にも出会うことができます。

病気に負けないということだけではなく、人生に彩りをつけたいなら、自分の意思を固めて行動を起こすこと。五体満足な人でも、これが出来る人と出来ない人では、雲泥の差がついてきます。

また、私たち障害のある人間は、下手な特別扱いを望んでいません。確かに、不便をかけてしまうことはあると思うし、難聴の場合は大きな声で話してくれるとありがたいのは間違いないですが、あくまで健常者のように『普通の人として接して欲しい』のです。

今後どんな障害がある人に出会っても、このことを心にとめて過ごしていただけるとありがたいです。

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【修羅ガール】

難聴と、何故か遭遇しがちな修羅場と闘うことがよくある波瀾万丈系オンナ。事業会社でのマーケティング・PRや広告代理店勤務を経て、現在はフリーライターとして活動中。こんなんで元モデルでもある。

修羅ガール (@shula_girl) | Twitter


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