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贖罪としての記憶、人生という名の償い

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『金春屋ゴメス』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞して、2005年にデビュー。ファンタスティックな要素のある時代小説を得意とする西條奈加だが、〈SF Japan〉2008年春季号に発表した「刑罰0号」は現代が舞台の本格SFだった。読者からの評判も高く、星雲賞の参考候補作にもあがった。2014年より続篇を連作形式で発表していたが、それがこのたび一冊にまとまった。

 中核にあるアイデアは人格の転移だ。ひとの記憶をデータとして抽出し、ほかの場所で目ざめさせる。そこに倫理の問題、屈折した人間関係(とくに親子のつながり)が絡んでくる点で、グレッグ・イーガン『ゼンデギ』と共通するものがある。大きく違うのは、『ゼンデギ』のサイドローディングが人類への福音として出発したのに対し、『刑罰0号』の技術は題名が示すとおり刑罰として企画された点だ。

 法務省の依頼を受け、記憶中枢分野のスペシャリストである佐田洋介教授は「死刑を減らすためのまったく新しい刑罰」の実用化に取り組む。死刑は誰も救わない。犯罪被害者の遺族の怒りや悲しみは癒えず、刑務官の負荷はあまりにも大きい。0号計画は、犯罪犠牲者の記憶をそのまま加害者に体験させることで、遺族が望む「心からの贖罪」を実現する。

 自分が犯した罪を犠牲になった相手の身になって思いしれば、真正の悔悟と謝罪へ至るはずだ。これはいっけん正論のように思える。しかし、そうだろうか?

 私たちはついコンピュータのアナロジーで、人格というシステムと記憶というデータを別々に考えてしまうが、両者は本来不可分なものだろう。記憶の移植が人格の再現にほかならないとしたら、刑罰0号は加害者を罰しているのではなく、被害者にもう一度同じ苦しみを味わせているだけではないか?

 作品中にはそこまでラディカルに問われているわけではないが、被害者として生きる不条理がありありと表現される。佐田教授もプロジェクトにおいては中立的な研究者だが、自身の父が犯罪に巻きこまれたことで平静ではいられなくなる。その父は広島の被爆者として世間の偏見と闘ってきた人生があり、それが物語に複雑な陰影を与えている。

 また、記憶の移植は入れ替わりやミスリードなどミステリのギミックとしても効果的だ。もちろん、SF的飛躍は諸刃の剣で安易に用いればご都合主義に陥ってしまう。しかし、西條奈加はプロットを繊細に構成し、本格ミステリに求められるフェアネスを満たしている。とくに最初の二篇、「刑罰0号」と「疑似脳0号」は、読者がそれまで見ていた図がくるりと裏返るようなサプライズがみごとだ。

 いっぽう、後半の諸篇ではテーマを深化させる方向へ進んでいく。もともと計画された刑罰としての実用化は頓挫するが、技術自体はいくつもの方面への応用が可能であり、これをめぐって民間企業、海外の機関、テロリストなどが暗躍をはじめる。

 最終篇「グラウンド・ゼロ」ではイスラム過激派の手に0号技術がわたる。彼らの指導者は「我々が求めるものは、米国の、西洋原理主義者の、心からの贖罪だ」とうたい、米国に平和的な核を落とすと宣言する。最初の作品「刑罰0号」でふれられていた広島の被爆者の苦しみが、ねじれたかたちで再演されようとしている。

 はたして贖罪はなされるか? それとも、報復の連鎖があるだけなのだろうか?

(牧眞司)

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