15年続いた安定事業を手放してリ・スタート――リスナーズ株式会社 代表取締役CEO 垣畑光哉さん【起業家たちの選択と決断】

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垣畑光哉さんは、外資系保険会社に10年勤務した後、ノウハウを活かして起業。保険会社50社、保険代理店200社ほどのクライアントを抱えるほか、外資系金融機関から新規事業立ち上げを託されるなど、業界での地位を確立した。

ところが、会社設立から15年目、堅調な業績を挙げているにも関わらず事業を売却。社名を変更し、まったく異なるビジネスを立ち上げた。

それは、「人と企業のストーリーをつくる」というもの。人や企業の魅力、価値をインタビューからストーリーに書き起こし、紙媒体とウェブを併用して広くシェアすることで、共感した人同士のマッチングを図る、いわば「メディア」「データベース」事業である。

独立起業、そして第二創業に至るまでにどんな「選択」と「決断」があったのか。そのプロセスと想いを伺った。

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リスナーズ株式会社 代表取締役CEO 垣畑光哉さん

充実した会社員生活10年目。急ブレーキがかかる

垣畑さんが新卒で就職したのはバブル期のさなか。大手企業では大量採用が行われていたが「大きな組織の歯車になるのは嫌だ」という反抗心から、当時まだ日本では知名度もなかった外資系保険会社に入社した。保険という成熟した市場に、新しいマーケティング手法で勝負をかけているところに惹かれた。

少数精鋭の組織で最先端のマーケティングノウハウを身に付け、20代で年収1000万に到達。収入はもちろん、責任ある仕事、そして業界の先頭を疾走しているという充実感があったという。しかし入社10年目、突然転機が訪れる。交通事故に遭い、長期入院。これが、初めて自身のビジネス人生を振り返り、今後の自分を見つめ直すきっかけとなった。

「今の道をこのまま進んでいっても、心から目指したい目標や理想を持っていないことに気付いたんです。であれば、会社にぶら下がり続けるよりも、自分の脚で歩ける人間になりたい、自分で人生を切り拓きたい、という気持ちが湧いてきました」

「起業」という選択肢が浮かび上がったが、安定した高収入を捨てることに不安がなかったわけではない。それでも独立起業を決断できたのはなぜだったのか。

「病院の窓から、小さな中華料理屋さんが見えていたんです。古びた店で、客の出入りはまばらだけど、どうやら経営は成り立っている。経営者らしき老夫婦はヒマになると玄関先のイスに座って外を眺め、穏やかな時間を過ごしている。その姿が幸せそうに見えたんです。大成功しなくても、最低限の生活の糧を得て、幸せに生きていくことはできる。そう考えて腹をくくりました」

その翌年に会社を退職。まずは個人創業し、2001年に保険のマーケティング会社を設立した。ダイレクトマーケティングのノウハウへのニーズは高く、業績は右肩上がりに伸び、少人数で高収益を挙げるモデルを作り上げた。途中、さらなる成長を目指して新規事業に参入するものの3年で撤退するという失敗もあったが、本業は順調に推移していった。

「保険」のプロなのに「ウエディング」の本を出版!?

転機が訪れたのは、創業から12年目のことだ。ある雑誌から保険の特集ページの監修を依頼され、それが好評を得て次に1冊の保険特集号を監修。さらなるリクエストに応える形で、保険プランナー30人にインタビューを行い、その仕事観や保険選びのノウハウを紹介する書籍を出版した。

すると、ウエディング会社を経営する友人からある相談が寄せられた。

「ウエディングプランナーの仕事を啓蒙する本をつくってほしい、と言われたんです。最初はポカン…としてしまいましたね。保険とはまったくの畑違いですから。さすがに迷いましたが、思い切って引き受けました。やってできないことはないだろう、と。僕は子どもの頃から、『そんなの無理だろう』と言われると挑戦したくなる性分なんです(笑)」

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こうして垣畑さんは、ウエディングプランナーら16人に自らインタビューを行い、結婚式の意義や仕事の醍醐味を伝える本を出版。すると、さらに意外な展開が待っていた。

経営者仲間たちから「自分も本を出したい」という相談が寄せられたのだ。無名のベンチャー企業は人材採用に苦戦している。優秀な学生や若手を呼び込むために、本を使ってベンチャーで働くメリットを伝えたい、というわけだ。

そこで、23社の経営者が登場し、自身の思いやビジョン、若手へのメッセージを語った書籍を幻冬舎から出版。他の経営者たちから「自分もメッセージを発信したい」という声が相次いだことからシリーズ化し、取材した経営者は300人に達した。

「企業や人のストーリーを伝える」をライフワークに

出版の効果は目に見えて現れた。

「『本を読んで社長の理念に共感した』と、優秀な学生が応募してきてくれた」

「自社社員が改めて社長の理念やビジョンを理解し、モチベーションが高まった」

「内定者の親がベンチャー企業への就職を反対していたが、認めて応援してくれるようになった」

――そんな感謝の言葉が寄せられたのだ。

垣畑さんは「メッセージを発信する」ことの大切さを実感したという。

「それぞれの企業、それぞれの人ならではの『ストーリー』がある。それをちゃんと伝えることで、共感する仲間が集まり、組織が活性化し、成長が加速していく。それをお手伝いできるなんて、こんな面白い仕事はない!と思いました」

以前は「マーケティングのプロ」を自負していた垣畑さんだったが、新たな自身の「得意」に気付いた。それは「聴く力」だ。相手の気持ちに寄り添い、相手の話にじっくり耳を傾けていると、不思議と自然に心を開いてもらえる。また、客観的な視点で問いかけることで、相手が自覚していなかった魅力も引き出すことができる。その力を活かして、企業のストーリーをつくり、発信することをライフワークにしようと決断した。

安定した事業を譲渡し、リスク覚悟で一から再スタート

従来の保険マーケティング事業を収益の柱としながら、「ストーリーづくり」の新規事業に取り組むという選択肢もあった。周囲からも「そうしたほうがいいのでは」と言われた。

しかし垣畑さんは、既存事業をあえて手放す決意をした。

「保険もやって取材もやる会社に、ストーリーを感じてもらえないと思ったんです。2つの事業が自分の中では矛盾なくつながっていても、わかりにくいストーリーは共感されにくい。『すべての人に一冊のストーリーを』というコンセプトに合わせて社名も人員も一新したほうが、結果的には営業面でも採用面でもプラスに働くはずです。それに、年齢的にも、リスクをとってでも本当にやりたい仕事に賭けたいという想いはありましたね」

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こうして垣畑さんは既存事業を他社に譲渡。「聴く」というコンセプトを反映した「リスナーズ株式会社」に社名変更し、2016年春、第二のスタートを切った。

コアコンピタンスを「出版」から「人と企業のストーリーづくり」へと置き換え、対面配布できるブックレットと、SNSと親和性の高いウェブサイトをセットにした新サービス『LISTEN(リスン)』を開始。ストーリーのデータベース化を目論む。最初は一人で始める覚悟だったが、編集・執筆、Web制作など、各分野のプロフェッショナルが垣畑さんの想いに共感し、集まり始めている。

「企業の未来、働く人の未来をよりよく変えていけるようなストーリーを1つでも多くつくっていきたいですね」

<垣畑さんの「選択」と「決断」のポイント> 現状の延長線上に、心から実現したいと願う目標や理想があるかを見つめ直した。 「今ある幸せが、必ずしも本当の幸せとは限らない」と現状を一旦否定した。 得意分野ではないことに取り組む機会に出会ったとき、拒むのではなく、チャレンジした。 自分の「得意」「やりたい」を途中で発見したら、それを活かす道へと軌道修正した。 「時間」を含む限られたリソースを最大限に活かすために、「捨てる」勇気を持った。

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EDIT&WRITING:青木 典子 PHOTO:田中 振一

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