さよならアメリカ、さよなら中国

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内田樹の研究室

さよならアメリカ、さよなら中国

今回は内田樹さんのブログ『内田樹の研究室』からご寄稿いただきました。

先日の結婚式では右隣が某自動車メーカーの取締役、左隣が某貴金属商社の取締役だったので、さっそく日本経済の今後について、東アジア圏の経済動向について、現場からのレポートをうかがう。
私は昔から“異業種の人から、業界話を聞く”のがたいへん好きなのである。
あまりに熱心に話を聞くので、相手がふと真顔になって「こんな話、面白いですか?」と訊ねられることがあるほどである。
私が読書量が少なく、新聞もテレビもろくに見ないわりに世間の動向に何とかついていけるのは、“現場の人”の話を直接聞くことが好きだからである。
新書一冊の内容は、“現場の人”の話5分と等しい、というのが私の実感である。
さっそく「TPP加盟でアメリカ市場における日本車のシェアは上がるのでしょうか?」というお話から入る。
「多少は上がるでしょう」というのがお答えであった。
アメリカの消費者は同程度のクオリティであれば、ブランドというものにほとんど配慮しないからだそうである。
トヨタが3200ドルでヒュンダイが3000ドルなら、大半の消費者は迷わずヒュンダイを買う。
一円でも安ければそちらを買う、というのは、私の定義によれば“未成熟な消費者”ということになる。
“成熟した消費者”とは、パーソナルな、あるいはローカルな基準にもとづいて商品を選好するので、消費動向の予測が立たない消費者のことである。
同じクオリティの商品であっても、“国民経済的観点”から「雇用拡大に資する」とか「業界を下支えできる」と思えば、割高でも国産品を買う。あるいは貿易収支上のバランスを考えて割高でも外国製品を買う。そういう複雑な消費行動をとるのが“成熟した消費者”である。
“成熟した消費者”とは、その消費行動によって、ある国の産業構造が崩れたり、通貨の信用が下落したり高騰したり、株価が乱高下したり“しないように”ふるまうもののことである。
資本主義は“勝つもの”がいれば、“負けるもの”がいるゼロサムゲームである。
この勝ち負けの振れ幅が大きいほど“どかんともうける”チャンスも“奈落に落ちこむ”リスクも増える。
だから、資本主義者たちは“振れ幅”をどうふやすかに腐心する。
シーソーと同じである。
ある一点に荷重をかければ、反対側は跳ね上がる。
どこでもいいのである。ある一点に金が集まるように仕向ける。
“金が集まるところ”に人々は群がり、さらに金が集まる。
集まった金をがさっと熊手でさらって、“仕掛けたやつ”は逃げ出す。
あとには「そこにゆけば金がもうかる」と思って群がってきた人間たちの呆け顔が残される。
その繰り返しである。
このマネーゲームが順調に進むためには、消費者たちはできるだけ未成熟であることが望ましい。
商品選好において、パーソナルな偏差がなく、全員“同じ行動”を取れば取るるほど、“振れ幅”は大きくなる。
だから、資本主義は消費者の成熟を好まない。
同じ品質なら、一番安いものを買うという消費者ばかりであれば、サプライサイドは“コストカット”以外何も考えなくて済む。
消費者の成熟が止まれば、生産者の成熟も止まる。
現に、そのような“負のスパイラル”の中で、私たちの世界からはいくつもの産業分野、いくつもの生産技術が消滅してしまった。
アメリカの消費者は“未成熟”であることを求められている。
アメリカのように、人々の文化的バックグラウンドがばらついている移民社会では、不可解な消費行動はその人が“なにものであるか”についての情報(おもに収入についての情報)をもたらさないからである。
『ベストキッド』のミヤギさんは不可解な消費行動を取る人なので(庭師のはずだが、家の中に和風のお座敷を作り、ヴィンテージカーを何台も所有している)、お金持ちなんだか貧乏なんだか、わからない。こういう人はたぶんアメリカ社会ではすごく例外的なケースなはずである。
“消費行動がパーソナル”というだけで“神秘的な人”に見えるくらい、アメリカの消費者は単純な行動を社会的に強制されている。
私はそういうふうに理解している。
TPPというスキームは前にも書いたとおり、ある種のイデオロギーを伏流させている。
それは“すべての人間は一円でも安いものを買おうとする(安いものが買えるなら、自国の産業が滅びても構わないと思っている)”という人間観である。
かっこの中は表だっては言われないけれど、そういうことである。
現に日本では1960年代から地方の商店街は壊滅の坂道を転げ落ちたが、これは「郊外のスーパーで一円でも安いものが買えるなら、自分の隣の商店がつぶれても構わない」と商店街の人たち自身が思ったせいで起きたことである。
ということは“シャッター商店街”になるのを防ぐ方法はあった、ということである。
「わずかな価格の差であれば、多少割高でも隣の店で買う。その代わり、隣の店の人にはうちの店で買ってもらう」という相互扶助的な消費行動を人々が守れば商店街は守られた。
「それでは花見酒経済ではないか」と言う人がいるだろうが、経済というのは、本質的に“花見酒”なのである。
落語の『花見酒』が笑劇になるのは、それが二人の間の行き来だからである。あと一人、行きずりの人がそこに加わると、市場が成立する。その“あと一人”を待てなかったところが問題なのだ。
商店街だって店が二軒では“花見酒”である(というか生活必需品が調達できない)。
何軒か並んで相互的な“花見酒”をしていれば、そこに“行きずりの人”が足を止める。
循環が活発に行われている場所に人はひきつけられる。
だから、何よりも重要なのは、“何かが活発に循環する”という事況そのものを現出させることなのである。
“循環すること”それ自体が経済活動の第一の目的であり、そこで行き来するもののコンテンツには副次的な意味しかない。
“一円でも安いものを買う”という“未熟な”消費行動は、たしかに多くの場合は“商品の循環”を促す方向に作用する。
けれども、つねに、ではない。
後期資本主義社会においては、それがすでに商品の循環を阻害する方向に作用し始めている。
それがこの世界的な不況の実相である。
未熟で斉一的な消費行動の結果、さまざまな産業分野、さまざまな市場が“焼き畑”的に消滅している。
資本主義は“単一の商品にすべての消費者が群がる”ことを理想とする。
そのときコストは最小になり、利益は最大になるからである。
けれども、それは“欲望の熱死”にほとんど隣接している。
商品の水位差がなくなり、消費者たちが相互に見分けがたい鏡像になったところで、世界は“停止”してしまう。
資本主義はその絶頂において突然死を迎えるように構造化されている。
私たちは現に“資本主義の突然死”に接近しつつある。
その手前で、この流れを止めなければならない。
それはとりあえず“消費者の成熟”というかたちをとることになるだろう。
“パーソナルな、あるいはローカルな基準によって、予測不能の消費行動をとる人になること”、資本主義の“健全な”管理運営のために、私たちが今できることは、それくらいである。
TPPは「国内産業が滅びても、安いものを買う」アメリカ型の消費者像を世界標準に前提にしている。
まさにアメリカの消費者はそうやってビッグ3をつぶしたのである。だが、それについての深刻な反省の弁を私はアメリカ市民たちからも、ホワイトハウス要路の人々からも聞いた覚えがない。
日本の車がダンピングをしているというタイプの非難はあったし、自動車メーカーにコスト意識が足りないとか、労働組合が既得権益にしがみついたという指摘はあった。だが、「アメリカの消費者はアメリカの車を選好することで国内産業を保護すべきだった」という国民経済的な視点からの反省の弁だけは聞いた覚えがない。
ビッグ3の売る車の品質に問題があろうと、燃費が悪かろうと、割高であろうと、それが彼ら自身の雇用を支えている以上、国民経済的には「つぶしてはならない。だから、泣いてキャデラックに乗る」という選択を“成熟したアメリカ市民”はしてよかったはずである。
でも、しなかった。
誰も“しろ”と言わなかった。している人間を褒め称えることもしなかった。
そこからわかることはアメリカには“国民経済”という視点がないということである。
“二億五千万人をどう食わせるか”ということは政府の主務ではないということである。
TPPの問題は“国民経済”という概念をめぐる本質的な問題である。
そのことを乾杯のあとのシャンペンを飲みながら改めて感じた。
もう一つ「中国での工業製品生産はもう終わりだ。これからの生産拠点はインドネシアだ」「これから“川上”の経済活動を牽引するのは中国ではない、インドだ」というのも、両方のエグゼクティヴの共通見解だった。
中国の没落は私たちの予想よりもずいぶん早い可能性がある。
というわけで、アメリカと中国は“もうそろそろ終わり”という話を結婚式のテーブルでうかがって、耳学問をしたウチダでした。

執筆: この記事は内田樹さんのブログ『内田樹の研究室』からご寄稿いただきました。

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