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私が譲った席に無言で座った妊婦さん…母になった今だから想像できる彼女の気持ち

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私はいま4歳の子供の母親なのだが、妊娠はおろか結婚もしていない頃に体験した、忘れられない出来事がある。

就職してしばらく、都内から1時間以上かかる実家に暮らしていた私は、毎日超満員電車に揺られていた。

ときには体力温存のためにグリーン車に乗車することもあったのだが、そのささやかな事件はそんな日に起こった。

グリーン車に乗り込み、2階部分の先頭の通路側に着席した私。さすがラッシュの時間帯だけあって、グリーン車もそれなりに混んでいて、パッと見る限り空席はなかった。

駅を出発して数分後、目の前の階段をお腹の大きな妊婦さんが上ってきた。年齢は若く、20代半ばくらいだったと思う。

私は反射的に席を立ち、「ここ、どうぞ」と言った。

彼女は険しい表情を浮かべたまま、「ありがとう」とも言わずにドスンと座り、私は50分弱の行程をデッキに立って過ごすことになった。 関連記事:「私の存在そのものがプレッシャー?」妊婦の通勤電車は、気持ち的にもしんどい!

このとき、私は正直イヤな気持ちになった。

「譲ってあげたのにお礼も言わないなんて」

……しかし、自分が妊娠してみて認識を改めた。

マタニティマークをつけていても、明らかにお腹が大きくても、席を譲ってくれる人は滅多にいない。ごくたまに譲ってもらうと、涙が出るほど嬉しくなるが、それと同時にいつもこう思っていた。

「なんで誰も譲ってくれないんだろう」

今ならば、私は彼女の気持ちが想像できる。

重いお腹を抱えているから満員の車両に乗車することを避け、決して安くはないグリーン券を購入してグリーン車に乗り込んだ。自分の身を守るたには正しい選択だ。

しかし、いざ車両に乗り込んでみると、空席はない。座っているサラリーマンたちは、自分の大きなお腹を見ても誰も譲ってくれようとはしない。

「どうして?」

「私はグリーン車に乗らなければいけない事情があるのに」

「追加料金まで払って頑張って出勤しているのに」

おそらく彼女は、比較的空席が見つけやすい1階部分から見て回っただろう。2両あるグリーン車の最初の車両の1階を見て、2階を見て、隣の車両に移動して、1階を見る。

空席はない。走行中の車内でフラフラと歩く彼女の姿を見ても、誰も席を譲ってはくれない。

「どうして?ひどい!」

そんな気持ちがピークに達したとき、私のいる席の前まで辿り着いた。

やっと席を譲ってもらった。しかし、怒りと絶望の気持ちがあまりに強くて、咄嗟にお礼の言葉が出てこない。ようやく心が鎮まったときには、私はデッキに移動してしまっていて、どこにいるのか分からなくなってしまった。

……もしかしたら、ただ単に失礼な女性だったのかもしれない。

でも、今の私はこんな風に想像している。彼女はきっと、絶望に打ちひしがれていたのだと。

こう考えるようになってから、ベビーカー論争やマタニティマーク論争の際に、「妊婦様」「謙虚さがない子連れも悪い」といった言い回しを見かけると、強烈な違和感を覚えるようになった。

相手に対して感謝の気持ちや謙虚な態度を求める権利なんて、誰にあるのだろう?

誰もが乗車できる公共交通機関において、”立っていることにリスクがある”人間が優先的に着席するのは、極めて合理的な判断だ。

足元もおぼつかないお年寄り、抱っこ紐に赤ちゃんを入れている母親、立っていることすらしんどい妊婦。

転倒するリスクがあり、もし転んでしまったら深刻な事態に陥る可能性が高いこのような人たちが、優先的に座席を使用することには、合理性がある。言い方を変えれば、「当然」だ。

万が一なにか起こった場合には、電車を止める必要があるかもしれない。他の乗客にとっても、このような人々にはより安全でいてもらった方がメリットがあるはずなのだ。

オーストラリアのシドニーに滞在したとき、バスに老人やベビーカーが乗ってくると、席に座っている若者は反射的に起立し、席を譲っていた。それに対し、「ありがとう」と言う人もいれば、なにも言わない人もいた。

私はその光景を見ながら、「あの人、感じが悪いな」ではなく、「ああ、ここでは老人や子連れや妊婦に席を譲ることは”当然のこと”なんだな」と感じていた。

もちろん、「ありがとう」の一言があった方が、気分はいいだろう。お互い気持ち良く生活するためには、謙虚さや感謝の気持ちは大切だ。

しかし、”自分が感謝の気持ちや謙虚さを大切にすること”と、”相手に対して謙虚さや感謝の気持ちを強要すること”とは、全く違う。

座席を必要としている人に席を譲るのは、特別なことではない。”合理的に考えて”、”当然”すべきことなのだ。

そして、誰かに何かをやってあげるときに、見返りを求めることほど愚かなことはない。

やってあげるのは”当然”と考える。

そして、やってもらったら、心から感謝をする。

お互いがこう考えているだけで、世の中は全く違うものになるのではないだろうか。できることならば、あのときの妊婦さんに憤慨していた私に向かって、このことを伝えたいと思う。 関連記事:マタニティマークをつけてわかったこと。席を必要としている人に気づける自分でありたい

著者:ピロ

元イベントプロデューサー。夫の転勤を期に今春より初めての主婦生活&初めての関西生活に突入。趣味は舞台鑑賞・映画鑑賞・読書・旅行。大好きな文章を書きながら、世の中で最も苦手だった家事に精力的に挑戦中。最近、息子の好物が「たこやき」になりました。

※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。

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