GLIM SPANKYから迷える高校生へ「ワイルド・サイドを行け」Part1

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GLIM SPANKYから迷える高校生へ「ワイルド・サイドを行け」Part1

夢があるけど、本当に実現できるのか不安。

そもそも、自分のやりたいことがみつからない。

進学先を決めようにも、自分の目指す道に迷っている人は多いのでは?

 

そこで、映画『ONE PIECE FILM GOLD』の主題歌に大抜擢され、注目度急上昇中の男女二人組新世代ロックユニットGLIM SPANKYの松尾レミさんと亀本寛貴さんにインタビュー。第1弾では、高校でバンド結成したときから大学へ進学するまでの話を聞いてみた。

 

絵と歌と両方できるのがミュージシャンだった。

 

おふたりは長野県内の同じ高校の先輩と後輩で、GLIM SPANKYを結成したのは高校生のときだったとか。

 

GLIM SPANKYから迷える高校生へ「ワイルド・サイドを行け」Part1

 

「中学校の文化祭のステージで歌って楽しかったから、高校ではちゃんと自分のバンドを組もうと思ったんです。

 

高校に軽音楽部がなかったので、友達や知り合いに声をかけて、GLIM SPANKYを結成。1年の文化祭で1曲だけ演奏しました。

 

でも、当時はプロになるとか、そこまでは考えてなくて。もともと2歳のころから絵を描く人になりたいと思っていたんですが、中学で音楽を好きになってからは両方やりたくなった。

 

絵を描いて、歌を歌いたい。

両方やるには自分がミュージシャンになっちゃえばいいんだ。

 

バンドをやって、自分でジャケットやグッズのデザインをすれば、絵も描けるし、歌も歌える。だからミュージシャンになりたいな、って、何となく考えてはいましたね」(レミさん)

 

一番はじめのGLIM SPANKYは、文化祭で1曲やっただけでメンバー4人のうち2人が脱退。1年先輩の亀本さんが加入してからオリジナル曲を作るようになり、本格的なバンド活動をスタート。

 

「長野県の田舎だけど、町に1軒だけアコースティックのライブハウスがあって、月1回、誰でも出演できる『飛び入り参加ライブ』をやっていたんです。

 

そこで毎月15分のライブをするために、頑張って曲を作っていましたね。カラオケボックスの廃墟みたいなところを月2万円で借りて、そこに機材を持ち込んで練習。

 

複数のバンドで分け合って使っていて、1人2500円くらいで24時間使い放題なので、夜遅くまで練習することもあり、すごく充実していました」(亀本さん)

 

夢を嘲笑する大人たちを歌で感動させてやる!

 

レミさんが高校2年の冬、SonyMusic主催『ロック番長』で優勝。順調に活動を続けていたが、まわりの大人たちから嘲笑されることもあったという。

 

「25歳以下の新人バンド発掘用イベントが長野支部でも開催されたので、まだオリジナルは3曲しかなかったけど、その3曲を演奏して優勝したんです。

 

でも、私が育った村は本当に田舎で、村の人たちから『絶対プロになれないんだから、バンドなんてやめな』って、すごく言われました。

 

高校の地域の人との交流会では、『美術大学へ入って、音楽活動を続けたいです』と言ったら、そんなの無理だとクスクス笑われたんです。

 

もう怒りを通り越して悲しくて。

でも、この人たちの心さえも潤わせて、感動させるような歌を歌いたいって気持ちで、生まれて初めて人に聴かせることを意識して『焦燥』という曲を書きました」(レミさん)

 

GLIM SPANKYから迷える高校生へ「ワイルド・サイドを行け」Part1

 

高校3年の夏、SonyMusic&東京FM“SCHOOL OF LOCK!”主催「閃光ライオット09」で、その『焦燥』を演奏して、全国5500組中14組のファイナリストに選ばれた。メジャーデビュー曲にもなった「焦燥」は、まさにレミさんの人生を変えた一曲。

 

「田舎に住んでいたから、テレビや雑誌に出ている人なんて身近にいなくて、プロになるのは雲をつかむような話だった。

 

でも、10代限定のロックフェスに参加したら、そこには同世代でもテレビや雑誌に出ているバンドが当たり前のようにいた。

 

東京ビックサイトで1万人の観客を前に演奏したとき、『これは夢とは言ってはいけない。目標って言いたい』と思い直して、『音楽でやっていこう』とプロになる覚悟を決めました」(レミさん)

 

バンド活動を第一に考えて美術大学を選んだ。

 

プロになるために東京へ行くことにしたレミさんが選んだ大学は、日本大学藝術学部デザイン学科だった。なぜ音楽大学ではなかったのか?

 

「保育園の頃から美術大学へ行くって決めていたので、もうそれは絶対!

 

音楽の学校へ進もうとは一度も考えませんでしたね。数ある美術大学のなかで、一番バンド活動がしやすい大学を考えたときに、映像や写真の学科もある日藝には、バンド活動に必要なすべてがそろっていると思ったんです。

 

でも、私の父はすごく変わっている人で(笑)、絶対に外国の大学へ行けって、ずっと言われていたから、説得するのが大変。

 

自分がやりたい音楽とか、学びたいことを考えると、まずは日本の大学へ行って、しっかりと東京で活動したいという気持ちが大きかったので、母にも助けてもらって、ようやく認めてもらいました。

 

受験勉強よりも、父に許してもらうほうが苦労したかも(笑)」(レミさん)

 

GLIM SPANKYから迷える高校生へ「ワイルド・サイドを行け」Part1

 

前年に名古屋の大学へ入学した亀本さん。週末のたびに長野へ戻ってバンド活動を続けていたが、レミさんから「私は東京へ行くから一緒に来てよ」と誘われた。

 

「自分も音楽でやっていきたいと考えていて、大学のサークルとか、名古屋のライブハウスに出ているバンドを見たんですけど、なかなかいいボーカルに出会えず。

 

さらに曲も書ける人なんて、なかなかいなくて。ロックフェスで5500組のなかから選ばれたんだから、自分たちは何か人とは違うものを持っているんじゃないか、大学を辞めてでもGLIM SPANKYで頑張れば成功できるんじゃないか、と決心。

 

音楽大学やギターの専門学校への進学も考えましたが、親から『東京へ行って好きなだけ音楽をやってもいいけど、大学4年間だけにして、普通の会社に就職してほしい』と言われ、関東の大学の経済学部を受験し直しました。

 

もちろん就職するつもりはなかったから親には申し訳ないけど、4年以内にバンドとして結果を出せばいいんだって、明確な目標が定まったんです」(亀本さん)

 

GLIM SPANKYから迷える高校生へ「ワイルド・サイドを行け」Part1

 

中学生で大学4年までの人生設計をノートに書いていたレミさん。その大学4年の欄には「メジャーデビュー」と記されていたという。偶然にも、ふたりは「4年以内にメジャーになる」という同じ目標に向かって、大学生活をスタートさせたのだった。

-Part2へ続く-

 

GLIM SPANKY

松尾レミ(ボーカル/ギター)&亀本寛貴(ギター)の男女二人組新世代ロックユニット。松尾レミの日本人離れしたハスキーな歌声が多くのクリエイターを夢中にさせ、数々の映画やアニメの主題歌を手がけたり、CMの歌唱を担当。映画『ONE PIECE FILM GOLD』主題歌『怒りをくれよ』、映画『少女』主題歌『闇に目を凝らせば」、NHK Eテレアニメ『境界のRINNE』第2シリーズエンディングテーマ『話をしよう』などが収録されたアルバム『Next One』が大好評。

 

GLIM SPANKYから迷える高校生へ「ワイルド・サイドを行け」Part1

 

GLIM SPANKY公式サイト

http://www.glimspanky.com/

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