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落合務シェフ 100席の店に客10人の苦難の日々あった

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 1997年の開店当初から「日本一予約の取りにくいレストラン」として知られる東京・銀座のイタリア料理店『ラ・ベットラ・ダ・オチアイ』。直営店は名古屋や富山など5店舗を数え、各地で開かれる料理講習会やイベントから声のかかるオーナーシェフ・落合務氏(68)は多忙を極める。だが、「人間、忙しいうちが華。暇が一番辛いですよ」と、かつて辛酸をなめた日々があったことを忘れていない。

「2年間のイタリア修業を終えた34歳の時、日本料理店『ざくろ』グループのオーナーだった桂洋二郎さんに、赤坂のイタリア料理店『グラナータ』を任されました。100席ある大型店で、当時としては値段の高い店でした。本場のイタリア料理を味わってもらおうと意気込んで始めましたが、お客様が10人という日もあり、厳しい日々がしばらく続きました。毎月の赤字が数百万円。胃潰瘍に2回もなりました」

 今や誰もが知る「パスタ」や「アルデンテ」という言葉が日本に定着していなかった時代、「スパゲッティが固い」「ご飯に芯が残ってるじゃないか」と客のクレームは後を絶たなかった。それでも本場の味にこだわり続け、イタリア政府関係者の目に留まったことをキッカケに息を吹き返す。閑古鳥の鳴いていた店が一転、「本場のイタリア料理が食べられる店」として人気を呼び、繁盛店の仲間入りを果たした。

 1997年、満を持して独立、「前菜」「パスタ」「メイン」をそれぞれ選べる3800円のプリフィックスメニューが評判を呼び開店早々から予約が殺到、今もその人気は続く。だが、成功の秘密は値段だけでなく、落合氏の“味”に対するこだわりだった。

「お客様にイタリア料理をもっと気軽に食べてもらいたかった。だから開店から今まで19年間、一度も値上げをしていません。でも、味は少しずつ変えています。『昔と変わらないね。いつ食べても美味しいよ』と思ってもらうためには、同じことをしていたらダメ。変わらなければ、必ず『昔は美味しかったのに』といわれる。だからといって急に変えてもダメで、『変わらない』といわれるためには、人知れず少しずつ変わらなければならないのです」

 本場の味を自らの舌で確認するため、時間があればイタリアに飛ぶ。だからといって頭の中は店のこと、料理のことばかりの仕事人間ではない。「誰だって楽をしたいし私もそう。でも、楽をしたらダメ。楽しむことが大事なんです」と笑う。イタリアでの修業中、同僚は仕事ばかりしている落合氏を「何が楽しくて生きているんだ」と呆れ、「もっと人生を楽しめ」と教えた。

「今、店に行くと『仕事が終わったらさっさと帰る人間が一番偉いんだよ』とスタッフにいうのが口癖なんです。私自身、内緒で仕事サボって遊んでるしね(笑い)。つい先日も、生まれて初めてディズニーランドに行きました。たまたまチケットをいただいて、朝から行ったら天気が悪くてガラガラ。2時半まで8つもアトラクションに乗れた。すごいでしょ?(笑い)」

◆おちあい・つとむ:1947年、東京都出身。高校中退後、日本橋のレストランなどでの修業を経て1966年にホテルニューオータニに入社。1971年、『ざくろ』グループに移り、1976年に渡仏。イタリアで約2年修業の後、1982年『グラナータ』のシェフに就任。1997年、『ラ・ベットラ・ダ・オチアイ』を開店。現在、日本イタリア料理協会会長。

■撮影/江森康之 ■取材・文/小野雅彦

※週刊ポスト2016年9月9日号

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