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姫路モノレールつくった「伝説の市長」 田中角栄との相似

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 鉄道と地域開発、政治は切っても切れない関係にある。政治の力によって開発された駅や路線のなかには、利用者激減のため使われなくなった幻の路線もある。約40年前まで姫路市内を走っていたモノレールと、その現在について、ライターの小川裕夫さんがリポートする。

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 昨今、田中角栄ブームが再燃している。石原慎太郎著『天才』(幻冬舎)は70万部のベストセラーになり、田中を取り上げる書籍や雑誌は後を絶たない。田中は『日本列島改造論』で日本全体を熱狂させ、政界のスターへとのし上がっていった。

 田中が著した『日本列島改造論』を体現するのに、もっとも機能したのは鉄道だった。田中は長岡鉄道の社長を務め、鉄道が地域に大きな富をもたらす力を内包していることを痛感。

 そうした経験から、田中は自民党幹事長時代に「新幹線は地域開発のチャンピオン」と形容し、全国に新幹線を建設することを急いだ。

 そうした田中の鉄道への傾斜は時に強引に映る部分もあったため、疑惑をもたれることも少なくなかった。例えば、田中の選挙区だった新潟県南魚沼市には上越新幹線の浦佐駅がある。浦佐駅には、田中が没した今でも払拭しがたい疑惑が囁かれている。

 浦佐駅は大正12(1923)年に開業しているが、一帯は水田が広がる農村だったために利用者は決して多くなかった。そんな小さな駅だった浦佐駅だが、上越新幹線が開業すると、新幹線の停車駅に決まる。

 在来線でさえ利用者が多くない浦佐駅なのに、新幹線を利用する人はいるのか? そうしたことから浦佐駅に新幹線駅が造られたのは、田中の政治力によるものではないか? と、多数の人たちが勘繰るようになる。駅前にある田中角栄像は、それらの疑惑に根拠を持たせる材料になっている。

 インフラを整備することで地方都市を活性化させるという田中の手法は、ほかの政治家にも模倣されて、脈々と受け継がれていった。

 特に道路や鉄道といった交通インフラは、過疎化する地方にとって地域活性化の起爆剤になると期待が大きかった。多くの政治家たちは”ミニ角栄”と化し、ミニ角栄によって利益誘導型の鉄道誘致や道路建設は進められた。

 交通インフラを整備することで都市を発展させるという手法は、田中が編み出し、定着させたと思われがちだ。しかし、田中よりも早くから同様の手法で都市を発展させようとした政治家がいる。それが、姫路市発展の礎を築いた石見元秀だ。

 石見は1946(昭和21)年に姫路市初の公選市長に当選。大空襲で荒廃した姫路市の再建を託された。現在、姫路市長を務める石見利勝は元秀の三男にあたる。そうした所以もあるだろうが、全国的には無名な存在の石見が、姫路市において誰もがその名を知るカリスマ的存在として現在も語り継がれている。

 在任中、石見は駅前からつづく幅員50メートル超の幹線道路・大手前通りを整備した。これが、姫路市民間で伝説的な市長として語り継がれる要因になっている。

 大手前通りは自動車社会の到来を予期して単に広幅員の道路にしただけではなく、景観などを考慮して電柱の地中化もなされるなど、先取的な取り組みと理念が込められていた。

 石見が手掛けた交通インフラの整備は道路だけではなかった。姫路駅と手柄山とを結ぶ姫路市営モノレールの建設にも着手している。

 石見は手柄山を姫路の観光拠点と考え、手柄山一帯には遊園地・博物館・武道館・文化センター・太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔などが整備された。

 手柄山は1966(昭和41)年に開催された姫路大博覧会のメイン会場になり、それを機に整備が進められたわけだが、姫路駅とメイン会場とを結ぶ交通手段としてモノレールが建設された。

「モノレールは博覧会の輸送手段として建設されましたが、博覧会終了後は姫路港ちかくに立地する新日鉄(現・新日鉄住金)の工場へ通勤する人たちの足を担う構想もありました。また、石見市長の中では鳥取にも延伸して、山陰と山陽の結節点を目指すという構想もあったようです」(姫路市手柄山交流ステーション)

 博覧会の開催期間中、モノレールは盛況を博した。しかし、その後は次第に客足が遠のいていく。市バスの初乗り料金が大人20円だった時代に、モノレールの運賃は100円。それほど高額では、利用者が集まらないのは当然だった。結局、モノレールは開業から8年で休止を余儀なくされた。

 中間駅だった大将軍駅に至っては、開業から2年で休止に追い込まれている。休止しても駅や橋脚などを撤去するには費用がかかる。そのため、廃止後も都市に憑依した亡霊のようにモノレールの遺構は放置されてきた。

 モノレールが開業から50年を迎えた今年、それらは災害時に危険を及ぼすといった理由で撤去されることになった。

 公団住宅の3階に造成された大将軍駅は長らく封鎖されていたが、取り壊しに先立ち一般公開を実施。8月13・14日に実施された公開イベントには、見学者枠400人に対して約8700人の応募が殺到した。急遽、市は定員を増やしたものの、実際に参加できたのは898人にとどまっている。

 それにしても、石見市長の肝煎りで建設されたモノレールが、たった8年で休止してしまった理由は何だったのだろうか?

「モノレールが廃止された理由は、大きく3つあると考えています。ひとつは、利用客が少なく採算が取れなかったこと。もうひとつは、建設を推進してきた石見市長が落選してしまったこと。そして、モノレールの車体を製造していたロッキード社が倒産してしまったことでメンテナンスなどのアフターケアが難しくなったことが挙げられます」(同)

 石見の進めた地域開発は急進的だったこともあり、市の財政を圧迫する要因になった。それが、選挙での敗北につながる。

 石見と田中に共通するのは、どちらも交通インフラを整備することで地域の発展を夢見たことだ。そして、奇しくも両者ともにロッキード社という企業によって夢を打ち砕かれた。

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