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「厳しい中居」と「憧れのお兄さん木村」結成時からの役割

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 1988年にSMAPが結成された当時、「光GENJI」が人気の絶頂期にあった。ところが時代はアイドルに逆風。1989年に『ザ・ベストテン』(TBS系)、1990年に『歌のトップテン』(日本テレビ系)、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)と、次々に音楽番組が姿を消していた頃だ。

「事務所の喫緊の課題は、光GENJIに続く人気グループを作ることでした。そのためには、音楽番組だけでなく、バラエティーやドラマでも活躍できることが条件になる。そんな頃に産声を上げたのがSMAPでした」(芸能関係者)

 当時、中居正広と木村拓哉の2人は15才だった。稲垣吾郎、森且行の2人は1つ年下の14才。草なぎ剛は13才、香取慎吾はまだ11才の小学生だった。

「SMAPとしての活動を優先するため、中居は地元の神奈川県から、木村は千葉県から東京都内にある定時制の都立高校に転校しました。2人はそこで同級生だったんです。まだデビュー前だったこともあり、当時は学校の部活動の延長のように、2人は和気あいあいとしていました」(テレビ局関係者)

 1991年9月、『Can’t Stop -LOVING-』でCDデビュー。翌1992年4月にはフジテレビ『夢がMORIMORI』のレギュラーに抜擢される。仕事は増え、もう部活のノリではやっていけない──2人の関係は変わっていった。

「他のメンバーに対して厳しいことを言うのは中居くん。みんなまだ子供だったので、高校を卒業したばかりの最年長の中居くんが『騒いじゃだめ。静かにしろ』『遅刻するな』『しっかり練習しよう』と注意し、時に怒ることもあった。責任感から、あえて嫌われ役を買って出ていたんです。一方の木村くんは中居くんに怒られてシュンとしているメンバーに『気にするなよ』と声をかける役割でしたね」(当時を知る関係者)

 中居が「規律を重んじる厳しい先輩」なら、木村は「話のわかる憧れの兄貴分」──それが2人の“役割分担”だった。

 上下関係は続く。人気も2人が群を抜いた。小学校、中学校時代での3~4才の年の差に加えて圧倒的なカリスマ性。デビューから25年たった今でも、「年下3人のメンバーにとって中居は怖い存在で、自分たちから軽口を叩くようなことはできません。逆に木村のことは“木村クンってかっこいいよね!”とファン目線のようなところもありました」(前出・テレビ局関係者)という。

 こんなエピソードがある。1992年、舞台『ドラゴンクエスト』出演のために宿泊していたホテルの部屋で木村と中居が殴り合いの大ゲンカをしたのだ。木村は後にラジオ番組『木村拓哉のWhat’s UP SMAP!』でこう語っている。

「(チャイムが)ピンポーンって鳴ったんで、“誰だろう?”って開けたら、いきなり髪の毛つかまれて、ガーッて。それで“他のメンバーはお前のことが嫌いなんだ!”って言ってましたね(笑い)。で、わりと狭めの一人部屋の中で、殴り合いしてましたねェ」

※女性セブン2016年9月1日号

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