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仕事に役立つ「戦国武将」15の名言!織田信長・真田幸村から軍師・黒田官兵衛まで

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織田信長や真田幸村をはじめ、戦国武将のファンは昔から大勢います。面接などで尊敬する人物を聞かれて、戦国武将の名前を挙げる人もいるのではないでしょうか?

群雄割拠の時代を生き抜いた戦国武将たちには、数多くの魅力的なエピソードや名言が残されていて、その中には現代のビジネスパーソンの生き方にも通じるものがあります。今回は、9人の戦国武将の言葉から、仕事に活かせる名言15個をご紹介します。

行動派!部下を引っ張るカリスマリーダー

戦国武将の中でも自らの行動で兵・部下たちを引っ張るカリスマ的リーダー3人の5つの名言を見てみましょう。

●上杉謙信(1530~1578年)

上杉謙信は越後(新潟県)の戦国大名で、「越後の龍」「軍神」と称されました。武田信玄とのライバル関係は有名であり、信玄没後に衰退した武田家を攻め入ることはせず、私利私欲のための戦はしない、義に忠実な武将として知られます。謙信は越後で作られる布を「越後上布」というブランドにして、専売制を実施。その布を自ら足利将軍家に売り込むなど経営者としても優れていました。


【名言】

「人の上に立つ対象となるべき人間の一言は、深き思慮をもってなすべきだ。軽率なことは言ってはならない」

軽い気持ちで発した言葉が、他人の心を傷つけたり、思わぬ波紋を広げてしまうことがあります。それは、人の上に立つ立場の人なら、なおさらのこと。経営者、上司として軽率な発言を戒め、深き思慮をもって言葉を選ぶことの大切さを説いています。

●伊達政宗(1567~1636年)

伊達政宗は後に仙台藩の初代藩主となる戦国大名です。23歳で奥州を制圧し、乱世の時代には勇猛果敢な若き武将として活躍。その後は抜群の行動力で仙台藩を統治しました。幼少時に患った天然痘の影響で右目を失明したことから「独眼竜」という呼び方でも知られています。また、政宗の身につけるものは弦月の兜など特徴的でセンスの高いものばかりでした。このことからオシャレな男性を「伊達男」と呼ぶようになったという説が流布されていますが、真相は不明です。


【名言】

「時を移さずに行うのが勇将の本望である。早く出立せよ」

競合他社より出遅れてしまうと、機会損失の影響は後々大きく響いてきます。いざ勝負と思ったときは、時を移さず行動すること。つまり、戦略立案から決断→実行をスピーディに行い、ライバルに先んじることが勝利のカギを握ると解釈できるでしょう。

【名言】

「大事の義は、人に談合せず、一心に究めたるがよし」

重大な選択をする際、他人に相談して意見を求めたり、さまざまな情報を調べることは大切ですが、最終的な判断は自分でするべきだという言葉です。自ら決断したことは、腹をくくって進むことができますが、他人の意見に流されて失敗してしまえば、相談した相手を憎んだり、後悔が生じてしまいます。

●織田信長(1534~1582年)

織田信長は最も有名な戦国武将の1人です。奇抜なエピソードもありますが、その一方で目標設定を上手く活用した戦術家でもあり、非常に優れたカリスマリーダーでした。

有名な戦に「桶狭間の戦い」があります。ここでは目先の利益である戦利品を奪うことはせずに、完全勝利という目的設定を徹底します。また、「戦いに参加した者全員が末代まで英雄として語り継がれる」という、目的に対するリターンを明確に告げることで部下たちのモチベーションを向上させました。

【名言】

「絶対は絶対にない」

一見矛盾した言葉ではありますが、これには自分を勇気づける「絶対に不可能と思えることでも突破口はある」という意味と、自分を戒める「絶対に大丈夫と思った時点で隙が生まれる」という2つの意味を持ちます。前者は常に考えて行動せよというメッセージであり、後者は大丈夫と思った時点で成長が止まってしまうことを危惧せよという意味です。

【名言】

「臆病者の目には、常に敵が大軍に見える」

日本三大奇襲の1つ、「桶狭間の戦い」で2万5000の兵を擁する今川義元をわずか2000の軍勢で強襲し、討ち取った信長らしい言葉です。(数字には諸説あり)

自分を過小評価して弱気になるのではなく、しっかりと戦略を練ったら、リスクを取ってチャレンジしないと、いつまでたっても勝利は得られないということを訴えています。

頭脳派!上司に気に入られて出世したリーダー

次に、カリスマ性や武力ではなく、頭脳で乱世に頭角を現した2人の戦国武将をご紹介します。

●豊臣秀吉(1537~1598年)

低い身分から叩き上げで出世し、天下統一まで成し遂げた戦国武将であり、智将としての要素が人気の理由です。秀吉が信長へ行った、冬の寒い日に懐に草履を入れて温めたエピソードはあまりに有名ですが、他にも象徴的なものが数多く残っています。

例えば、増え続ける薪代のコストを下げるよう信長から指示された秀吉は、流通過程から調査し、問題のあった仕入れルートを排除。代わりに城下の村にあった枯れ木を薪として利用しました。その上で、この無料同然の薪代を「苗木代」、すなわち植林のための費用として徴収し、城下に植林を行い、自前で薪を賄えるようにしました。

まさに、そのまま現代のビジネスに通じるエピソードといえます。


【名言】

「一歩一歩、着実に積み重ねていけば、予想以上の結果が得られるだろう」

草履取りから天下人にまでのし上がった秀吉らしい名言です。周囲の人は最初、秀吉が天下統一まで成し遂げるとは誰も思っていなかったようですが、下積みの仕事をコツコツ積み重ねて、一歩ずつ成長していきました。大きなことを成し遂げるためには、目の前の仕事を一つ一つ丁寧に行うことが大切だという名言です。

【名言】

「戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである」

ポイントは、戦わずして逃げるのではなく、戦わずして勝つという点です。戦うべきときは徹底的に戦う秀吉ですが、その一方で不毛な戦いで味方の被害を出すことも嫌いました。「兵糧攻め」や「水攻め」で相手をギブアップさせる作戦も、被害を最小限に抑えながら勝ちを得るという点で理にかなった戦術です。

●黒田官兵衛(1546~1604年)

秀吉の天下統一を支えた軍師です。本能寺の変で信長を裏切った明智光秀を討つ秀吉の活躍をお膳立てしたのが官兵衛であり、上司を立てて信頼・評価を高め出世しました。

【名言】

「その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主だ。目利き違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い」

「自分の上司に読ませたい」と思った人もいるかもしれません。仕事を任せたのは上司であって、部下がその仕事を完遂できなかったことは、部下の責任もありますが、上司にも責任があります。いや、むしろ上司の責任のほうが重いというのが官兵衛の意見です。自分が上司になって部下を持ったときも忘れないようにしたい名言です。

【名言】

「上司の弱点を指摘してはならない」

どんな人にも弱点はあります。しかしその弱点を部下から指摘されると、上司としては気分が良いものではありません。表面上は納得してくれても、信頼関係を築くことは難しいでしょう。

上司の弱点に気づいたときは、そこを部下として補完することが大切です。そのことで上司から信頼され、良い評価を受けられるでしょうし、責任のある立場に取り立ててもらうこともできるでしょう。

部下から慕われる!人材活用術に長けたリーダー

最後に、部下をうまく活用することに長け、理想の上司像として語られることの多い戦国武将を4人ご紹介します。

●真田信繁(真田幸村)(1567~1615年)

NHK大河ドラマ『真田丸』でもお馴染み、織田信長と並んで人気の戦国武将です。天下分け目の戦いである関ヶ原の戦いの際に、亡き豊臣秀吉に恩義を感じていた信繁は、莫大な報酬で徳川家康率いる東軍から誘いを受けますが、これを断ります。義を大切にしたリーダーです。ちなみに「幸村」の名前が広く浸透していますが、正しくは「信繁」です。


【名言】

「部下ほど難しい存在はない」

褒めて育てると甘やかすことにならないか、厳しく指導すると辞めてしまわないか――人材育成というのは今も昔も難しいもの。「笛吹けども踊らず」とならないよう、部下の能力を最大化して、チームとして結果を出すにはどうすれば良いのか?上司としての力量が問われるところです。

【名言】

「いざとなれば損得を度外視できる、その性根。世の中にそれを持つ人間ほど怖い相手はない」

ビジネスは損得勘定をベースに動きます。しかし、人間関係において損得勘定のみを優先する人の周囲には同じような人ばかりが集まり、その人物と付き合っても損だとわかると潮が引くように皆去っていくものです。信繁が日本人の心を捉えて離さない理由の一つは、損得勘定よりも義を優先した彼の姿勢にあることは間違いありません。

●徳川家康(1543~1616年)

戦力の差がない関ヶ原の戦いにおいて、味方だけでなく敵軍をも上手く動かして戦局を有利に進め、江戸幕府を築いたのが徳川家康です。自身の失敗はもちろんのこと、味方の裏切りや秀吉の失敗、最終的には部下からも学ぶ家康の「学習能力」と「柔軟性」の高さが受け継がれ、江戸幕府は260年以上も繁栄を続けました。


【名言】

「最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える」

江戸幕府という長期政権を築いた初代将軍・家康らしい名言です。

自分だけ、自社だけが栄えれば良いのではなく、「Win‐Win」の関係を築くことや、その商品・サービスによって、どれだけ多くの人に幸せをもたらすことができるかが、結局は企業の繁栄につながるという考え方と同じです。

【名言】

「いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある」

上司として「裸の王様」になることは避けたいもの。家康も同じことを思っていたようです。上司に進言することは、部下にはなかなかできません。それをあえて、勇気を持って実行してくれる部下は、それだけで大切にするべき存在です。上司になったとき、この言葉を忘れないようにしたいですね。

●武田信玄(1521~1573年)

「風林火山」の軍旗を使い、「甲斐の虎」として知られた戦国武将で、上杉謙信との五度にわたる川中島の戦いが有名です。現代でも「部下の力を引き出し、チームの力を高められる」として、戦国武将の中の「理想の上司№1」に選ばれたこともあります。

信玄は身分を問わず、部下の意見をよく聞き、部下が活躍すると高い評価を与え、モチベーションを高めることに常に配慮していました。功績を上げた部下にはボーナスとして金を与えることもあり、慕われるリーダーの見本としても名を残しています。


【名言】

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」

戦いに勝つために必要なのは、堅固な城ではなく、人の力であるという、効果的な人材活用術で知られる信玄ならではの名言です。また、後半は、「人に情けをかければ相手の心に届き、味方になってくれるが、相手に恨みを持たれれば敵になる」という意味であり、信玄のように日頃、大勢の猛者を部下として率いている人は、参考にしたい言葉です。

●長宗我部元親(1539~1599年)

四国の戦国大名として、部下思いな一面だけでなく、山が多く米の収穫量が少ない四国を経済的に救ったリーダーとして知られます。

元親は弱みである山の多さを逆に強みと捉え、木材を管理し、職人たちの力で商品化を進めて経済難を回避しました。地元産業の活性化に力を注ぐことで経済力をつけた政治家としてだけでなく、名経営者ともいえるでしょう。


【名言】

「一芸に熟達せよ。多芸を欲張るものは巧みならず」

色んなことに手を出すと、すべて中途半端に終わってしまいがちです。それよりは1つのことを追求し、その道のプロになることを目指せと説いた名言です。つまり、ゼネラリストよりもスペシャリストを目指し、一芸に秀でてその道で認められることが大切だという意味です。

戦国武将の名言を仕事に役立てよう

戦国武将の名言を、ただ流し読みしても成長はありません。名言を心に留め、その言葉を実行に移してこそ意味があります。15の名言のうち1つでもいいので、自分に合った名言を選択し、自分の行動に落とし込んでみてはいかがでしょうか?

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