実用とエンタメの”笑える闘病記”〜新井素子『ダイエット物語……ただし猫』

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実用とエンタメの”笑える闘病記”〜新井素子『ダイエット物語……ただし猫』

 健康だけが唯一の取り柄だった私の自信が揺らぎ始めたのは、40代に入った頃だった。それまでは学生時代にもとったことのないようなオールAの検診結果に、「再検査」項目が頻出するようになったのだ。私は全般的にできものができやすいらしく、ポリープやら筋腫やらがちょこちょこある。切除するほどでもなく結果的には必ず良性と言われるのだが、再検査結果が出るまでの憂鬱さったらない。

 そんなヘタレにとって、大腸ポリープの切除手術を「この時の経験がねー、実は、ほんとに、楽しかった」「もの凄くいろんな発見があって、是非とも書いてみたくなっちゃったんです」と言ってのける著者はアンビリーバブルな存在である。作家という人々の貪欲さをまざまざと思い知らされた(むろんほめ言葉です)。

 さてこの小説は、新井素子ファンにはおなじみの『結婚物語』『新婚物語』『銀婚式物語』に続く、陽子さん&正彦さんカップルのドタバタを描くラブコメ第4弾。フィクションの形式で書かれてはいるが、新井さんご本人とだんなさんの体験に基づいた限りなく実話に近いシリーズだ。本書には「ダイエット物語……ただし猫」「ダイエット物語……今度はヒト」「大腸ポリープ物語」の3編が収録されている。

 猫? そう、新井さんが猫好きでいらっしゃることはやはりファンの間では有名な話。陽子&さん正彦さんに飼われている猫ズ(兄・天元と妹・こすみ)のうち、天元に糖尿病の恐れがあると獣医に指摘され、ダイエットを決行するというのが「ダイエット物語……ただし猫」のあらまし。家の中で飼われている猫のダイエットというのは、実質的に飼い主が食事療法を徹底させるしかないという厳しいものだそうだ。というわけで、心を鬼にして猫ズ(こすみの方は全然太ってはいないのだが同じく餌の食べ過ぎであるということが判明し、とばっちりに近い形で天元のダイエットにつきあわされることになった)の餌を減らすようにした夫妻だったが、天元とこすみの反撃が…!

「ダイエット物語……今度はヒト」の「ヒト」とは正彦さんのこと。何年も前から人間ドックで血糖値の数値がひっかかり続けていた正彦さん。しかし、自覚症状がほとんどないこともあって根本的な改善策を打てずにいたところ、なんと主治医から唐突に”教育入院”を言い渡されてしまったのである(教育入院とは、その病気がいかに恐ろしいものであるかを伝え、同時に症状を改善するために必要な食事療法の重要性を伝えたり運動療法を実践させたりするもの)。人間は運動も食事も自分で気をつければいいから…と思ったら大間違い。バリバリ働き盛りの50代、規則正しい生活を送るのは至難の業なのだ(うちの夫も正彦さんほどの激務ではないものの、夕飯を食べる時間が不規則になりがち。やはりここ何年も脂肪肝と言われ続けている…)。入院を経て糖尿病がいかに恐ろしい病気かということがわかってなお、また仕事が立て込んでくればやっぱり健康への意識を保ち続けることは難しくなる。また、教育入院中の患者の家族向けの講座もきちんと受けたし、時間の融通をつけやすい仕事に就いている料理好きの陽子さんをしてなお、糖尿病患者向けの食事(単位食)を長期的に供することは困難だった。そんな一進一退の状況にあるふたりに、正彦さんの両親の病気というさらなる問題が持ち上がり…!

 そして上で触れたように、新井さんご自身の大腸にポリープが見つかったことで起こったあれやこれやを書いたのが「大腸ポリープ物語」。たいていの場合、病気についての詳細を根掘り葉掘り聞くのは失礼なことだというイメージがあるし、闘病記を読むにしても他人のデリケートな話題をこっそり盗み読みしているような罪悪感めいた気持ちを払拭するのは難しい。しかし、少なくとも本書を読むときにはそんなことを心配する必要はないのだ。なぜなら、著者が「ずっとやりたかったのは、今でもずっとやりたいのは、読んで下さった方をエンターテインすること」であり、本書で目指したのは”笑える闘病記”なのだから。そう、このシリーズは実用とエンタメの融合を狙ったハイブリッド小説なのである。『結婚物語』からずっと読んできて、最初は結婚するにあたっての心得であったり結婚してからの心得であったりを陽子さんや正彦さんから学んできたわけだが、とうとう病気に対する心構えを教えてもらうようになったということだ。いつの間にか遠くへ来てしまったなあと感慨深いが、こうなったら例えば”老人会で和やかに人づきあいするには”や”足腰が弱ってきたら”といった悩みにも答えていただきたい。ついて行きます、新井さん!

 あと激しくどうでもいいことだが、今回初めて気づいたことがある。私のノリツッコミ体質って、新井さんの影響だ…。デビュー作『あたしの中の…』から変わらぬ芸風(?)、こちらも末永く磨きをかけていかれますように!

(松井ゆかり)

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