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耳で「見る」、手で「読む」!?目の見えない人に学ぶ、私たちの脳のフシギ

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文字を読むことや景色を見るのは、「目」ですること――そう考えている人は多いのではないでしょうか。

しかし、「見る」ことは、本当に目だけがおこなう機能なのでしょうか?実は、目の見えない人でも別の器官を使って見たり、読んだりできる方法があります。キーワードは、「脳」と「進化」です。今回は、目の見えない人の感覚から、私たちの脳のフシギをご紹介します!

音で世界を「見る」エコーロケーションとは?

米カリフォルニア州在住の男性ダニエル・キッシュさんは、先天的な目の病気のため、生後1歳で全盲となりました。しかし50歳になった彼は、自転車に乗ったり1人でトレッキングに行ったりすることができます。それはなぜでしょうか?

実は、彼は「舌打ち音」を出して、その反響音で空間を把握しているのです。「エコーロケーション(反響定位)」と呼ばれるこの認識方法は、イルカやコウモリが使うことで知られています。舌打ち音で放たれた音波が周りの物体に当たって、かすかな反響が返ってきます。それを耳でとらえて、脳でイメージに変換するのです。

キッシュさんは、エコーロケーションをこう表現します。“いわば、周囲の環境と対話しているようなものですよ。舌打ち音を立てるたびに、弱いカメラのフラッシュがたかれる感じです。それを元に半径数十メートルの三次元イメージを組み立てます。”(引用:音で世界を「見る」-ナショナルジオグラフィック日本版)

「視覚は、目ではなく脳にある」

キッシュさんは、これまで世界中の視覚障がい者にエコーロケーションを教えてきました。彼によれば、多くの人がおどろくほどすぐに効果を得られるそうです。キッシュさんはこう語ります。“人間は本来、エコーロケーションの能力を秘めているのではないでしょうか。

照明のない大昔、人類はこの力を駆使していたのかもしれません。おそらく神経系の「ハードウェア」は元からあって、私はその起動法を見つけただけ。視覚とは目ではなく、脳の中にあるのです。”(引用:音で世界を「見る」-ナショナルジオグラフィック日本版)

“あなた方の脳と同様に、情報から像を結ぶのです。(中略)これは私が盲目であることを通じて学んだ「見る方法」なのです。困難という名の未知の暗闇の中を歩んでいくために。これによって、ついたあだ名は「すごいバットマン」です。(中略)でも、これがそんなに「すごい」ことでしょうか?私は目を使わずに、脳を使うまでのことです。”(引用:How I use sonar to navigate the world-TED)

こうした脳のはたらきについては、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』の著者である伊藤亜紗さんが「進化」という言葉で次のように説明しています。“何らかの器官を失うことは、その人の体に、「進化」にも似た根本的な作り直しを要求します。

リハビリと進化は似ているのです。生物は、たとえば歩くために使っていた前脚を飛ぶために使えるように作り替えました。同じように、事故や病気で特定の器官を失った人は、残された器官をそれぞれの仕方で作り替えて新たな体で生きる方法を見つけます。”(引用:『目の見えない人は世界をどう見ているのか』伊藤亜紗(光文社新書)P113-114)

点字は「触る」のではなく「読む」感覚?

「点字」についても、実は似たようなことがいえます。前提として、目の見える人が抱きがちな「視覚障がい者=点字」というイメージが、実は間違っているという事実があります。平成13年の厚生労働省の調査では、点字の識字率は視覚障がい者のうちでほんの1割程度です。

これには主に2つ理由があります。1つ目は、音声認識ソフトの普及などで若い世代に「活字離れ」ならぬ「識字離れ」が進んでいることです。そして2つ目の理由について、前述の伊藤さんはこのように説明しています。

“点字を純粋な触覚の働きとみなすのは、実はどうやら間違っているらしい。(中略)点字は「触る」ものではなく「読む」ものなのです。(中略)見えない人が点字を読むときには、脳の視覚をつかさどる部分、すなわち視覚皮質野が発火しているのだそうです。(中略)見えない人では視覚的な情報を処理する必要がなくなるため、視覚野が視覚以外の情報処理のために転用されるようになるのだそうです。”(引用:『目の見えない人は世界をどう見ているのか』伊藤亜紗(光文社新書)P99-100)

つまり、見えない人は目ではなく、手で「読む」ことをしているわけですね。これも、一種の「脳の進化」といえそうです。

だからといって「視覚障がい者はすごい!」とはいわないで

このように、目の見えない人は独自の脳の使い方を身につけています。これは「見える」人にとってはおどろきです。

しかし前述の伊藤さんは、「だから視覚障がい者はすごい!」と誉めることには問題があるといいます。

“ひとつめの問題は、「すごい!」という驚嘆の背後には、見えない人を劣った存在とみなす蔑(さげす)みの目線があることです。(中略)無意識のレベルで「見えない人は見える人にできることができないはずだ」と考えていることを、見えない人は感じとっています。(中略)二つ目は、見えない人のイメージを固定してしまうことです。(中略)私たちはつい「見えない人」とひとくくりにしてしまいますが、実はその生き方、感覚の使い方は多様なのです。”(引用:『目の見えない人は世界をどう見ているのか』伊藤亜紗(光文社新書)P85-87)

当事者である前述のキッシュさんも、次のように語っています。“目が見えないことそのものよりも、「盲目」の与える印象の方がずっと、目が不自由な人々にとっては恐ろしいものです。(中略)自分やあなたの愛する人の目が見えなくなることについて、考えてみて下さい。その恐怖とは、私たち多くの者にとって、理解出来ないことです。(中略)私たちは恐れによって、困難を前にすると動けなくなります。”(引用:How I use sonar to navigate the world-TED)

そこで、伊藤さんは「すごい」ではなく「おもしろい」ということを提案しています。自分とは違ったやり方でものを「見る」相手のことを「おもしろい」と感じられれば、目の見える人も見えない人も、お互いに新しい発見があるというのです。そうやって、「目」に対する思い込みから自由になってみるのも、おもしろいですね!

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